第6話

文字数 5,249文字

「この前の特番、そこそこ評判良かったぞ」
「ありがとう、でもダイさん、本当は違うんでしょ?」
 大越が先に褒め言葉を口にする時は、大体がその正反対の事が多い。何年も一緒に番組をやってると、ぴんと来る。
 次の言葉は、あそこをこうすればもっと良かったとか、ニーズに合ってなかったとかが出て来る筈だ。
 千晶は聞き慣れた言葉が、大越から発せられるのを待った。判り切ってはいても、相手の言いたい事を待つだけの分別が、最近はついて来たようだ。
「俺個人は、ああいうの嫌いじゃない。ただ、もうちょっと柔らかくていうか、まあ、これは他の人間の意見だから。それでなんだが、今度のピアフの企画な…もう少し手直しを、て……」
「上がって事?」
「まあ、言ってみればそういう事なんだが」
 もって回ったような言い方だが、番組の企画に横槍が入った事実に変わりはない。
「どの部分を手直ししろって言ってるの?」
「それがだな、アーティスト……」
「何それ?ピアフをやるって一旦通ったものを変えろってどういう事よ」
 強い口調で詰め寄る千晶に、大越はたじろいで後ずさりした。
「だから、企画そのものは悪くないんだけど、組むアーティストをもっとパワーのある旬の…」
「わたしの番組のカラーは、そういう流行とかに左右されないものを発信して行くってスタイルで続けてるのよ。ダイさんだってそれを判った上でわたしの好きにさせてくれてたんじゃないの?」
「確かにそうさ。けどな、そうそうこっちの言い分ばかり通して、好き勝手に作れない場合だってあるんだ。俺にしても、千晶にしても、今迄かなり好き放題番組作りをさせて貰ってたんだ。編成部の方だっていろいろ事情ってもんがあるんだよ」
「どんなに言われても納得は出来ませんけれど、ダイさんがそこまで言って来るって事は、もう代替えの企画も上がってるんでしょ?」
「ああ……」
「教えて。知る権利はある筈だから」
「Mai」
「Maiって……あのバリバリのアイドルの事?」
「そう、そのMaiだ」
 Maiは、去年デビューした女性アイドル歌手だ。所属事務所は業界大手で、これまでも数多くの人気アーティストを送り出して来た。
 最近は、アーティスト性の強い歌手やグループだけでなく、Maiのようなアイドル系までプロデュースするようになった。事務所の影響力はかなり強く、メディア全体が顔色を窺う程である。番組プロデューサーが飛ばされたりとかはザラで、下手すると番組一つ潰す事も可能な程だ。様々なクライアントが絡み、ラジオとは比べ物にならない制作費が動くTVの場合は、尚更この事務所には気を使うが、その点、ラジオのFM局は割と大丈夫だった。ユーザーの違いもあるが、影響力という点で軽く見られていた部分もある。
 Maiは、アイドルとしてデビューしたが、今年からコンビを組んだプロデューサーの音楽性もあり、アーティスト性を打ち出す戦略に変わった。
 確かにアイドルとしてはそこそこ歌は上手い方だし、売上も出すシングルは必ず一位になる。アルバムチャートもトップだ。だが、千晶からすれば、どんなにアーティスト路線を歩もうが、所詮はアイドルとしてしか認識出来ない。個人的好き嫌いで言えば、決して嫌いではなく、寧ろ悪くないとさえ思っているが、自分の番組で取り上げるには、色が違い過ぎる。その事を言った。
「俺だってそんな事位判ってんだよ!」
 珍しく大越が千晶を怒鳴った。
「あのな、俺達は所詮会社に使われる身なんだ。三度三度おまんま食えてんのは、会社から出てる給料のお陰なんだよ。その会社だってな、俺達に給料払い続けるには、それなりにいろいろあんだよ!」
 一気にまくし立てた大越は、他のデスクの椅子を蹴り飛ばしながら出て行った。千晶の番組編成に横槍が入った大元が、Maiの所属する事務所からの圧力である事は、誰の目にも明らかだった。ティーンのファンからだけの人気では先が見えている。アイドル予備軍は後ろに嫌という程控えているのだ。
 そういえば、最近やたらと彼女の曲がパワープレイされてたな……。
 それだけ事務所もかなり本気でプッシュしている証拠のだろう。恐らく、彼女の特番を一本入れてくれと捩込まれたのではないか。局としては、旬の人気アイドル歌手がゲストで出演した方が、数字は取れる。捩込まれたというよりは、寧ろ、局側が積極的だったかも知れない。
 ただ、既に番組編成は組まれていたから、間近な週に特番で組み入れるとなると、手直しをする他ない。丁度お誂え向きな番組があった。幾らでも手を入れられる番組が。
 固定のリスナーも大事かも知れないが、新たなリスナーの獲得の可能性もある。というよりは、Maiの事務所に断った後の影響を考えた。大越の言葉が耳に残った。あの怒りが、千晶への怒りではない事など、彼女にも充分判っていた。やるせなさに、千晶は溜め息を漏らすばかりだった。
 その日の放送も終わり、帰り支度をしていた千晶の所へ大越が缶珈琲を差し出して来た。
「お疲れさん……」
「缶珈琲が昼間の慰謝料か……」
「なんせ年中懐が寂しい安月給取りなもんで」
「今日の事は、わたしの方が慰謝料を払う方かも……ねえ、飲みに行かない?奢るから」
「ちぃ、熱出たか?」
「せっかく本心から言って上げてるのに」
「夢じゃないよな?」
「ダイさんの夢は、キレイ系のおねえちゃん達に囲まれて過ごす事でしょ。わたしみたいな行き遅れのアラフォーと飲む位、夢に入らないわよ」
「ヨッシャァー!」
「言っとくけど、間違ってもおねえちゃんはいませんからね」
 二人で冗談に花を咲かせながら、千晶は、ふと、大越と何年も仕事をしているが、二人だけで飲みに行くのは初めてだなと思った。
 妙な感じ……。
 意味もなく一人でその事を考えていたら、
「何を一人で笑ってんだよ」
「何でもない」
 表に出ると、冷たい空気が鼻の中でキィーンとした。
「寒い」
「北海道じゃ初雪だとさ」
 そう言って大越は、自分のマフラーを千晶にそっと掛けた。
「しっかし、いくらおねえちゃんは付きませんからって、こんなオッサンしか来ないようなおでん屋で一杯とは、ちぃもなかなかの趣味だな」
「冬はおでんっしょ。で、熱燗できゅうっと、日本人でこの良さがわかんないなんて、わたし、そっちの方が、ぜぇんぜん理解不能!」
「んな事言ってっから、婚期逃しちまうんだぜ」
「何よ、せっかくわたしがご馳走してんのに、そういうセクハラ発言かぁ?まあ、ダイさんからセクハラ取ったら、残るのはそのメタボなお腹ちゃんだけでちゅもんねぇ。あ、酒が無い。おばちゃん、お銚子ちょおだぁい、二本!」
「飲み過ぎだぞ」
「なぁに言ってんの。こら、ダイ。飲め」
「行き遅れのアラフォー風情に酒で負けたらお天道様が西から昇っちまうってんだ、べらぼうめ」
「ダイさん、いつから江戸っ子になったの?確か、在所は千葉は房総の……」
「いいの、ご先祖様が江戸っ子なんだから。ほら、来たぞ。飲め、ちぃ」
 確かにこの店に入ってからかなり時間が経っているが、実際にはそんなに二人とも飲んでいない。千晶の酔っている姿も見掛けだけで、本当は酔っていない事など、大越にも判っていた。
 千晶に合わせてはいるが、大越にはお見通しだった。酔ったふりをする千晶の気持ちが判るからこそ、大越は自分も酔ったふりをして付き合った。そして、大越がそうやって自分の酔った姿に付き合ってくれている事を千晶自身も判っていた。
「歳って、取るもんじゃないよね……」
「しゃあねえだろ、四十過ぎりゃ誰でも腹は出てくんの」
「違う。その事じゃないわよ」
「じゃあ何だよ、はっきり言えよ」
「わたしが入社仕立ての頃のダイさんて、まだADだったでしょ?」
「また随分古い話持ち出すなあ。ああ、年中どやされてた使えないADだったな……」
「わたしにはそうは見えなかったなあ」
「へええ、どう見えてた?」
「思ってる事を何でも言って、自分が間違ってないって思ったら、脇目も振らず突っ走ってた……」
「そうだったかなあ」
「そう。でもね、ちゃんと、自分が間違ってた時は頭下げてた」
「今は違うってか……」
「正しいと思ってても、頭下げたりしてる」
「……立場ってもんがあるんだ」
「判るわよ、それ位。背負うものもいろいろ出て来るし。わたしもそうなって来てるから」
「ちぃが?そうかあ、俺から見ると、お前さんは前と少しも変わってないけどな」
「そんな事ないよ……そんな事」
 頬杖をついて話す千晶の目を見て、大越は今夜はとことん付き合うかと思った。
「千晶」
 いきなり名前で呼ばれ、千晶は少しビックリした。大越がきちんと名前で呼ぶ事など、滅多に無いからだ。
「急に改まってどうしたのよ」
「お前、本当はもっと話したい事がいっぱいあるじゃねえのか?吐き出したい事が。」
「……」
「だから話し相手が必要だったんだろ?」
「結構鋭いね」
「お前の事なら大概はお見通しさ。聞くだけなら、幾らでも付き合うぞ」
「まあ、だからダイさん誘ったんだけどね。ダイさんは余分な意見とか押し付けないから」
 銚子の空くペースがほんの少しだけ早くなった。千晶は、梶谷から来た手紙をバックから出し、大越に見せた。そして、その返事を書いた事と、今回流れた企画を梶谷と約束した事も。
「わたしは、梶谷って人の弟さんを想う気持ちに応えたかったの。前にダイさんはわたしに言ったじゃない、お前の仕事は何だって。自分でも余り判ってなかったところがあったから、はっきり言われてドキッてしたわ。それでね、わたしなりにいろいろ答えを探したの。その時、わたしなりに浮かんだ答えは、ラジオを通して様々なものを伝える人…でもね、それは、100点の答えじゃなかったって、この手紙で気付いたの。ラジオから流れるわたしの声を自分と社会を繋ぐ糸だって思ってくれる人がいるのよ。いつ番組を飛ばされてもおかしくない、たかが局アナの番組に……」
 大越は何も答えず、ただ千晶の話を聞いていた。
「余り深く考える事じゃないってダイさんは言うだろうけど、これって浅く考えられる?たかがラジオだけど、こんなにも必要としてくれてる人がいるのよ」
「……もう一本、飲むか?」
「はぐらかさないで。何か言ってよ」
「喋ってもいいのか?」
「少しは会話にならないと、自分でも何話してるか判らなくなるから、だから話して」
「多分、死刑囚というのがちぃの頭の中で引っ掛かってんだろうなあ。いや、死刑囚というんじゃなく、死を目前にした人間に対して、何とかしたい、して上げたい、でも出来ない、そういうのが複雑に絡んでるんだよ。これが同じ死を目前にした人間でも、例えば癌で余命僅かって人間からこういう手紙が来て、番組で勇気付けられましたって話ならば堂々と番組の中で取り上げられるのにって、編成部だって、そういう話なら感動的だ、よし、そのリスナーとの手紙のやり取りを特番にしちまえってなるかも知れない。でも、現実には、手紙の主は癌ではなく、死刑で命を絶たれる人間だ。犯した犯罪は、何人も人を殺してのもんだし、世間から感動も同情も集まらない。でも、自分は手紙から何かを感じてる。その思いを伝えたいのに伝えられないもどかしさ……。そんなジレンマは、世の中には吐いて捨てる程あるぜ」
 一気に捲くし立てるように話した大越は、少し言い過ぎたかなと後悔した。何時もなら、これだけの事を言われたら必ず反論してきた千晶が押し黙って俯いている。
 深く溜息をつきながら、漸く一言だけ千晶は言った。
「結構厳しい事言うのね……」
「喋り過ぎた…俺の事だから、的外れな見方してると思うから、忘れろ」
「無責任」
「平成の無責任男だもん、しゃあねえだろう」
 大越に話して良かったと千晶は思った。確かに、大越が言った事は、千晶の心の内とは少しズレているかも知れないが、丸っきり外れてるという訳ではない。
 ラジオのパーソナリティとか言われ、世間一般のOL等に比べれば、華やかな仕事に見える。けれど、自分達が何かを生み出したとか、作り上げたという部分では、なかなか目には見えない仕事だ。
 実感が欲しい。必要とされているんだという実感が。考えてみれば、報道局を希望していたのも、そういう思いが潜在的にあったからであろう。たかがラジオの音楽番組でも、それを感じれるんだと判ったのに、それに応えられない。自分の無力さにどう立ち向かえばいいのか、それが見えて来ない苛ただしさ。
「Maiの特番さあ、わたしがやっぱ相手すんの?」
「ちぃの名前が付いた番組で、当の本人がMCやんないでどうすんだよ」
「気が進まないなあ。ねえ、わたしの代わりにダイさんやれば?あの子、ダイさん好みの巨乳だよ」
「ざあんねん、俺は、正統派の巨乳好きなの。Maiは正統派じゃないから趣味じゃない」
「巨乳に正統派とかあんの?」
「もち」
「わけ判んない」
 真面目な顔でそんな事を言う大越を見て、千晶はその日初めて本当の笑顔を見せた。
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