三限

文字数 3,494文字

 10:45

 教室はもはや動物園。
 二限でよほど鬱憤を溜めたか、精を出してゴミ投げ大会。
 もっとも、トモダチコレクションの大喧嘩シーンのように物が飛び交うわけではなく、この身を投球練習の的に見立てた彼らが、型通りの紙屑を一方的に投げつけるのみである。
 そして今もまたよく解らない、計算式か公式か、得体の知れない何かを読み上げる教師はいても、それは低い背を湾曲させた、どこにでもある見てくれのおじ。
 緊張感の有無で精神状態は吉凶。
 二限の開幕とは違い、皆の気分が爽快だった。
 また、理由はそれだけでなく、今や体内で眠るあの子を思い耽っていた十分の休み時間を通して、これといった横槍を入れられることもなく穏やかに三限開始のチャイムで我に返られたことから、彼らのおおよそがあの失態を見ていなかったことの確証を得ることができたのだ。
 ひとまず不安から解放されたと思うと、間を置かず、まだ一日の半分も越していないというのに、大変な疲労が突としてのし掛かってきた。
 考えてみれば、今朝は何かと忙しい。
 自殺未遂上がりの身体には、やはりこたえるものがある。
 頭は痛いし、まぶたは重い。
 恰好の的であるのもいいが、早く帰って寝転んで、シガーロスを聴き眠りたい気分である。
 これはこれでまたも頭を悩ませる難点としてあるのが、緩んだ空気と落ち着いた環境音が故の、対策のしようがない眠気であったり、珍しく生徒人気の高いおじに矛先を転ずるクラスメイトが多いせいで、この身が半ばほったらかしにされて生まれる嫉妬なのだから。
 こちらとしては気が狂いやすい授業であり、冗談でも好きと言えたものではない。
 本来、彼ら皆の注目は、この身だけのものだというのに!

 人が、時に好意の感情を嫌がらせへ発展させる情動を疑っていたが、異常の見られない彼が対象に選ばれているということはこれがその現象か。
 それとも単に、肥えた目や勘でしか気づき得ない異なりがあるのか、向こう側でしか気づき得ない異なりがそこにあるのか。
 どれだけ講義を妨げられてもオドオド、ヘラヘラとしてそれを崩さない彼は、頭の中で何を巡らせているのだろうか。
 などということを語り、どうせ状況的に命を絶つ確率の高いあれやそれが自殺すると先入観を植え付けておいて、実際絶つのは予想に挙がりもしないほど生気はつらつな脇役、そんな結末もないことはないわけで。
 今と比較してまだ随分、思慮の浅かった小学生時代に触れたそんな映画脚本を思い返しては、追いつめられてもエスオーエスが届かない程度でわけなく自殺に踏み込めればさぞかし楽だろうと思い、そして憧れてしまうのだ。
 映画脚本といえば、現実味を帯び、自身と近しい境遇で、粛々と美しく物語を紡ぐ映画ほど目覚ましいものは類を見ない。
 前出のそれもその一例で、この十年足らずでこの身の救いとなった作品を記憶から掘り起こせばキリがない。
 生命のある友達を持てない者には、映画に小説に詩に音楽に絵画、総じて芸術。
 しかしながら、現代の日本に限って言えば、平和ボケした無神論者しかいない為、世界の心を真に揺さぶる芸術を生むことはできない。
 言い換えれば、外見に恵まれた「男」と「女」に軽薄な愛を謳わせていれば、日本のエンターテインメント界は安泰なのである。
 一概にそれを悪と唱えるつもりは毛頭ないが、遊びや勉強の時間を真の芸術に充てていると、文学愛好家としての誇りがあるからこそ持て余していたセミリンガルならではの言語力と、知能指数七十の理解力を恨めしく思う頻度も低くない。
 世間に高く評価された作品から見出せるものがなかった際にはもれなく髪の毛を引きちぎるので、毛髪への負担は著しいものの、そんな抜毛程度では直に苦とも何とも感じなくなってしまうほどに芸術は心地よく、灰色の人生に色をつける力があるものであることを伝えたい余り、独り日々うずくまるのである。
 少なからずここにも、トゥレット症候群の原因が潜んでいることだろう。

 授業時間を取り留めのない日記なんかに費やさず、読んだり書いたり描いたりで芸術欲を満たしたとて結局は埋めようのない空白。
 創作物の嗜みは虚しい。
 吸収力は低く感受性は高く、大人への敵対心と恐怖心の煽り、向学心と公徳心低下の促進。
 穴と虫とで埋め尽くされた口内の粘つき。
 二十数時間ぶりの食事が今となって染みを作る。
 湧き出る唾液はタバスコの風味。
 ツーン、キーン、ズキズキ。
 慣れたところで虫歯菌、死亡に至らせてくれないか、さっさと。
 創作物の魅力で恍惚としていたのに。
 ああ、気づかなかった、手に、汚い。
 ちょっと何をしてる、授業中なんだ。
 変な声出さないで、サーブを止めるのではない。
 痛いのは暴力だけで、害虫だけで十分であって歯磨きとかいう習慣の無い教育に非がある、というのも欲の捌け口になるのも、左端だけでいいんだしいじめは教訓でホロコーストは如狂でも打撲のお裾分けや人に加害させる被害も僕には良いものと思えない。
 見るにも聞くにも絶えず罪のない者の奉公虚しく彷徨咆哮後の芳香と同じ末路の辿りも厭わず椅子を蹴飛ばして暴行に飛ぶ選択を見据える暇も無く現状、恐るるに足らず全ては愛、無償の愛、始まりが故意であろうがなかろうが繊細な愛へのクリーンヒットでピタゴラスイッチに堪え忍ぶ限界が来たということでいつまでも僕を見つめて笑って馬鹿みたいに鼻水垂らす小便小僧は何不自由なく欲求の発散を楽しめるのに、余計なことをし過ぎるほど良いわけがないし、なんてことのない作業は僕という目の前にある粗大ゴミの呻き声を作ってゆくのだ。
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 僕はやっぱり負け組でクソ、みんな違ってみんな良いとかウソ。
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