一限

文字数 3,657文字

 08:44

 授業中だが何だろうが、無法地帯はそうである。
 担任教師の発する平坦な読み聞かせはたちまち、底辺高校ならではの聞くに堪えない喧騒へ溶ける。
 幼稚園児の口にするような英文の解読に二分も三分も要する馬鹿が、母国語もろくに扱えないニコチンにものを教授できると思っているのだ。
 彼らには遥かな知識を叩き込むだけの学習力があるというのに、日本の大人はどうも語学に弱いばかりでなく、改善の意欲を持たない。
 どういうわけで文法に何よりの重きを置いているのか知らないが、長らく変化してきた言語の歴史や奥深さの追及を織り込むことはしなかったり、言葉の奥に秘められた意図を汲み取れていなかったりする教材と、その監修がこれ故に、子供が長けて育たないのだ。
 そんな授業へ愚直に聞き入るクラスメイトを尻目に、今さら詳述する必要がなく、ありふれて、さりげなく、子供じみてはいるものの、この身で退屈を凌ぐ彼らがまさしくそれを呈しているというのに。
 金は、どぶに捨てるべきものではない。
 彼らも彼らでそうである。
 高校生にもなったのに、小学生時代のやり口から何も進展が見られないのだ。
 脚を足先で小突くやら、授業の妨害を強要するやら。
 やってきた紙飛行機や消しカスのだまを食したところで、ゴリラさながらの感嘆詞が出るのみ。
 当たり前の日常を生きていることに感謝すべきは元より、せっかく大人が黙認しているのだ、たまにはクラスの団結力とやらを用いて、派手に見舞うのも悪くないのではなかろうか。
 それこそ画鋲を投げつけるだとか、謂れ無い罪を負わせて皆で告発するだとか。
 陰湿ないじめが、一体誰のもとへ得を呼べるというのか。
 消しゴムのカスから、出来の悪いスライムが口の中で分散する瞬間を思い起こせる感覚や、歯につきにくい長所を見出せるように、ティッシュペーパーのような日用品から尿、鼻垢といった嫌われものに至るまで、先入観に邪魔をされているだけで、蓋を開けてみると案外好みに合うものだってあるのだから、試みなければその価値は分からないのだ。
 ベジマイトを目の前にしては顔をしかめずにいない母を、同じような隔靴掻痒の思いで見ていた。
 何にせよ、肉食の異常性と比べればよほど清らかなものであろう。

 そうは言えども、今朝はいつにも増してツイている。
 というのは、どさくさ紛れに視線を黒板へと持っていく過程で、またゆっくりと手元の学習ノートへと戻す過程で、うつらうつらと縦揺れをする彼女の頭を捉えた瞳孔が、この身の用心そっちのけでそれを焼き付けることに成功したのだった。
 いわゆる、ギャップというものだ。
 ほんの一瞬ピントの合った、とてもこの教室に似つかわしいとは思えない淑やかさ、勤勉さを持っているであろう彼女が、はやばや誘惑を断ち切るのだと健闘する一限。
 寝坊でもしたのだろうか。
 邂逅した彼女の意外な一面は、今朝だけで既に二つ。
 明日にでも死んでしまうのだろうか。
 想像を掻き立て、ついぞ目にしたことのない彼女の寝ぼけ顔が浮かんでくる。
 直視時間は一秒にも満たないものの、母性本能をくすぐられて心ときめく世の女を理解するには十分なそれの時間と言えるだろう。
 次々と溜まりゆく机周辺のゴミがもはや、反旗を翻して湧き上がるこの特別な感情をからかう、友人のように思えてくる。
 その結果生まれた気色の悪い微笑みは、さぞかし醜いものだろう。
 恋とは、実に高尚で美しい煩いである。
 この場にそれがあったなら、心痛を免れることはないだろう。

 間もなくして、新品同様の教科書が一冊、頭部を見事に直撃する。
 ページを開いたまま、床へと汚れに落ちてしまった。
 直撃したのが殺傷能力の低い平部分であったせいで大した痛みはないのだが、前触れもない強烈な投擲にたちまち教室は静まり返る。
 また、これまで途絶えることなく続いてきたチョークの音が止まったかと思うと、それまで生徒に背を向け続けてきた教師はのんびりとした回れ右を披露し終えてから、ふてくされた面を構えて教室中を見回し始めたのだった。
 反応を窺う。
 怒鳴り散らすか、静かに怒りを振り撒くか。
 僅かばかりのそんな期待も、始めから、聞く耳のない生徒にねちねち指導を試みる意味などないことくらいは理解することができたようで、どういうわけかこの身を睨みつけた折から何事も起きなかったと言わんばかりに振り返り、黒板とのにらめっこへ復帰してしまう大人に踏みにじられてはそれっきりである。
 人間というのは、自身よりも下流層の、明確な弱者に対してであれば、随分したたかに敵愾心を向けられるようになるものだ。
 いじめがあろうとどうだっていい、自分には関係ないと、いとも簡単に目を背け、相手の立場を想定するようなこともせず、平凡な人生に退屈することのできる者がどれだけ恵まれている存在であるかを知らぬまま、年だけを無駄に重ねてきたのだろう。
 大人など所詮、おしなべてそんなものである。

 そうして静まるということは、ただでさえ不愉快な教師の声を鮮明に浮き立たせてしまう。
 積もりに積もる鬱憤を吐き出そうと、学習ノートに殴り書く左手が加速する。
 今更第一言語を勉強する必要もないので、この授業におけるそれはもはや日記帳である。
 別に、筆記からする得を求めているわけでもなければ、他人に読ませるつもりでもない。
 なるたけ単調に、そしてなるたけ小粋に繕っているつもりだが、詰まるところこれは、おませ者による極めて典型的な愚痴以上の何物にもなり得ないから。
 自殺志願者特有の、悟り澄ました被害者面は誰しも嫌う。
 加えて、字を書く、ということは、すなわちペンを走らせることは、不思議にも平静な、普段の自身を取り戻すことができる特別な習慣の一種であるのだ。
 この身に潜む、依存症の一つでもありながら。
 この殺伐とした文字郡が、プライバシー保護の心配を必要としないのは言わずもがな、低等な高等学校へ属するような落ちこぼれにアルファベットは扱えないので、どことない優越感を覚えることもできた。
 これらが高じ、一時期には、一丁前に作家の夢を抱いたこともあった。
 あれはいくつの時であったか。
 漫画家だとか作詞家は論外として、小説家にしろ、エッセイストにしろ、人を感動させられるような文章を書くことなどこの身にはできない。
 それを速やかに自覚したが故、夢を捨てるということにさほど未練は生まれなかったものの、当時はしかしかろうじて、言葉を紡ぐその行為に純粋な喜びを見出していた。
 母の教えに、こんな言葉もある。
 支離滅裂な文章で無才を誤魔化しているだけの障害者を個性派作家と呼べるのなら、何の脈絡もない落書きを見せびらかす幼児もまた抽象画家。
 今となっては、単語と単語を繋ぎ合わせる度に負の感情で満たされる。
 書けば書くほどに、文才の不足を思い知る。
 それでも書くのをやめられないのは、すべきと分かっていようとも禁煙を耐え忍ぶことのできないヘビースモーカーに同じである。
 中身は何だってよかった。
 書かねば、心が騒ぎ立てるのだ。



 この身の気が逸れている間に、教室は本来のにぎやかさを取り戻した。
 飛んできた紙クズに、筆記具を弾き飛ばされる。
 胸に当たって膝へ落ち、いざなうように床へ。
 可能性がなくもない為に、拾い上げようとしゃがみ込んだその途端に校舎の上半分が人間の体もろとも吹き飛んでゆく、余りに馬鹿げた絵空事へ内心おじけづきながら、落とされた鉛筆を求めて床を見回していると、座面真下に転がるそれのもの言いたげな先端と目が合った。
 圧に押し負けて視線をずらせば、右斜め後ろに、先ほどの教科書がゴミのサンドウィッチを受けているのを見た。
 同一視すべきではないが、生ゴミに集るウジ虫が頭をよぎる。
 触れれば、所有者に逆上されるか。
 だがそうであれば、病原菌さながらに扱う対象目掛けて私物の有害無益な投擲を敢行するはずがない。
 それとも、感情に流され、考えることを忘れたか。
 次回は何が飛んでくるか、これは実に興味深いけれども、蔑ろにすれば罪悪感に襲われるのがオチ。
 身体障害と画鋲の件から劣等感は間に合っているし、短時間に詰め込みすぎると身が持たない。
 要するに、これに固執せず代役を取り出しておけば防ぐことができたのにもかかわらず、たかが一本の私物を再び手中に収めたいという欲望を動機とした、この安易な行動がわざわいして、いずれかの心に傷をつけてしまう事態を免れないというわけだ。
 暴虐度が増すのはさておき、そう仕向けるのは好きではない。
 苦しめられるのに慣れていても、苦しませるのは好きではない。
 面倒なこの身に与えられている選択肢の、いずれが最善であろうか。
 既に所在地を特定済みの探し物に没頭する素振りをし、決断の為の時間を稼ぐが、そう長くは持たない。
 分からない。
 なりふり構わず葛藤を続ける自分が、次第に馬鹿らしく思えてくる。
 分からない。
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