登校
文字数 5,579文字
08:13
周りの迷惑も考えずに朝っぱらから喚き散らす生活指導の教師に急かされ、格好の悪い小走りで校門をくぐり昇降口へ。
規則を守らない生徒の靴底からすのこへ移動した砂と水は決まって、律儀に規則を守る生徒の靴下に付着する。
今に始まったことでなかろうと、不快なものはいつまで経っても不快に感じてしまうもの。
神の教えに邪心なく従うには、何に臨もうと苛立ってかかるこの年頃で挑むには、極めて無謀な試練を乗り越えなければならないのだ。
小雨に濡れたローファーと入れ替え、手に取った靴箱内の上履きは例日通り、雑多な異物で敷き詰められていた。
しかし異なることもあり、靴底から足裏を目掛け貫通する画鋲の針が十七本にも上っていたこと。
というのは、普段のおよそ三倍にも及ぶ本数であるのだ。
よって安心感が身を包み、起床時から今の今まで固定されてきた愁眉を、こうして開くことができたのだった。
なんと喜ばしいことであろう!
他所の横着ないじめっ子とは違い、彼らは週初から、これほどにもやる気に満ち溢れているのだ。
もはやすっかり朝の顔となった金色の画鋲が、このベタついた頭髪さながらのテカりを放ちながら悠然とこちらを見つめている。
こちらを見つめているというか、こちらが見つめているから見つめられているように思えただけで、けして画鋲のテカり具合からそれの言わんとしていることを読み取れるわけでもないというか、それすらこの身はまずできない。
あいにく、使い道に迷い、置き場所に困り、挙げ句の果てには捨ててしまう旅行土産を彷彿とさせるような背徳感は求めていない為、欲を言うならば処理にかかる手間を考慮して何か有意義な別のものを仕掛けてほしいのだけれど、身の程知らずも甚だしい。
自身に作用する時間が第三者のもとにあることこそ、紛れもない幸いであるのだから。
とは言ってみたものの、自傷行為の道具にするのは気が乗らなかった。
それにしても量が多すぎるし、何より気の毒であるが、他の活用法などただの一つも思いつかない。
いいように使われた結果行き着いた汚れの靴底から汚れの指につまみ上げられ、何重もの穢れたガムテープに巻かれ、そうして廃棄されてしまう彼らの行く末を思い、この不条理な世の中にまたもや苛立ちが募り始める。
ありふれた哀れみで蔑ろにすることができない。
惻隠の情に宿る画鋲の憂き目が胸を刺す。
自分が良ければそれでいい。
その一言で、身体中の罪悪感を拭い去ることのできる楽観的な性格があれば、どれだけ生きやすいだろうか。
一、二時間前にも巡らせたような思いと、上履きをスクールバッグへ詰め込んで着々と廊下を汚しながら、階段に左足を掛けるまでの一連の行動。
ふと無意識なそれに焦点を当ててみたことで、視線の溢れる状況であろうと構わず、すのこに腰掛け画鋲の処理作業へと励んできたほどの愚鈍にも、いつの日からか、規則正しく物事を考える力が養われてきている、そう気づくことができた。
感受性か、はたまた共感性か。
これをどう呼ぶべきかはともかく、成長というのは嬉しくも、少し切ない。
できることが増えると同時に悩む事柄も増えるわけで、無知蒙昧、鈍感な人間よりも、頭脳明晰、繊細な人間の方がそれを実感する機会に遭遇する頻度は高い、その事実こそがその理由である。
すなわち、取り返しのつく早い段階で潔く学習を諦めた未熟児が、世界情勢に興味を持たず、道理も人間の汚さも知らぬまま、自身の生きたいように生き、死にたい時に死ぬことで、最も能率的かつ純真無垢な昇天を経験することができるのだ。
目の前の階段を一段飛ばしで駆け上がることも、踊り場で文字通り陽気な踊りを踊ることも、強制されてはつまらない。
それを理解していればなおさらのこと。
孤児院の景色を懐い、目が潤む。
この頃は何故か、妙に涙腺が緩くなった。
もう子供でも、まだ大人でもないくせに。
梅雨特有の薄寒さで痛んでいた古傷を、室内に程良く効いたほこりのきつい暖房が癒す。
普段と比べて十五分程度遅い到着となったものの、どうにか遅刻を免れることはできた。
クラスメイトの注意を引くべきでないと教室後方からゆるやかな入室をし、窓際最後尾に位置する自席へと直行。
幾ばくかの視線を感じる。
装飾を施されていない自分の机を視認することで寂しさを覚えたのは、いつ以来であったか。
などと思うのも束の間であった、というのは、椅子を引いたことで露わになった光景が、これを安堵へと変えたのだ。
引き出しの中でうごめくウジ虫が、見るからに強引な圧縮をされた廃棄物へ集る光景が。
これだけのものをはて、どこから調達してきたかという問題は、二日半にわたるそれの放置であっさりと解消できる。
敏腕刑事が推理小説のプロローグで魅せるような無駄のない推理には及ばずも、成長はやはり伊達でなかった。
言うまでもなく、この程度で臆するような腰抜けではないのだが、ノーリアクションではせっかく用意をしてくれた皆に合わせる顔がまるでないと、また、退屈を感じさせてはならないと、これは十分な甲斐があるものであるということを信じ込ませる必要があった。
そうして作り上げた、物事が自分の思うように運ばないからといって簡単に喚き散らす、迷惑な童を思わせるような苦悶の表情に影響され、教室の三方にて満足げな表情を浮かべながら小さく笑う彼らに愛おしさを覚えることで、一日の始まりを実感することができるのだ。
内で何を感じていようとも、道化を演じればいつだって、何だって上手くいくものである。
さて、それはそれとしてどうしたものか。
絶えず鼻を突く、強烈な腐敗臭。
捨て去りたいのは山々だけれど、不幸なことにゴミ箱は黒板の隣に据え置かれてある。
この身にとってこれをこなすのは、膨大な精神力を要する仕事であるのだ。
だからと言って人目のつかない場所へ捨ててしまうのは、この良心が許さない。
時間をかけすぎる難点もある。
第一、悪事などやがて明るみに出て、かえってこれらを増やしてしまう。
ならば、スクールバッグの私物へ紛れ込ませるのが賢明か。
それはそうかもしれない。
しかし、素手で取り出すというのには何とも気後れがする。
衛生的な対処法と言えるものでもない。
もしくは、放置するか。
さすれば異臭が染み付いてしまい、後にこの机を利用してゆく不運な後輩たちの気分を害することになるだろう。
図らずも、学習意欲に満ちた生徒の成長を妨げる要因とさえなり得るのだ。
悠長なことをぼやいている場合ではない。
大体、これほどにも小さく、白い、艶を帯びている幼虫が、人間の体を蝕めるほどの有毒な菌を持ち合わせているはずはないのだから。
体臭については擁護のしようもないが、それについてはこちらも同じ。
種類が少し違うだけで、この身もウジ虫も、さして変わりはしないのだ。
選択肢はない。
これが始まり、直に三ヶ月が経つ。
ガイジ、化け物、おなべなどと、入学早々に浴びせられた幼稚な罵声が懐かしい。
日に日に程度と頻度を上げる彼らの熱心さには感心させられるばかり。
近頃で言えば、手の込んだいたずらを、日課の如く生み出すにまで発展したのだ。
恐らく、彼らのその初志貫徹の精神が、それぞれの勉学やスポーツへと活かされているのだろう。
勉強はろくにこなせず、これといった才能もない身には羨ましい限りである。
これほど彼らを奮い立たせる確かな所以を挙げるとすれば、見苦しい外見、トゥレット症候群、発達障害などいくらでも思い当たるけれど、どれを取ってもやはり、常人には個性の一言で片付けられないものらしい。
正常に紛れる異常を判別し、多数派とは大きく異なる存在を排斥せずにいられないのが人間の性である為に、たとえ異常者が始めからこの立場を外れていたところで、自己犠牲すらも厭わないお人好しとして前例を崩しはできないのだから、マイノリティに彼らを憎む権利などというものはない。
憎むどころか、ありがたく思うべきである。
自己肯定感は限りなく低いくせに、刃物で自らを思うように傷つけることすらできない臆病な者にとって、いじめられている時、冷たい視線を送られている時、熱々の暴言を投げ掛けられている時だけが、生を実感することのできる唯一の機会である為に。
快適とは言えずとも、この校舎にはそれを実現可能なものへと変える老若男女が備えられている。
そう誤認しているのであろうともその点は然程重要でなく、そう誤認できる場所であることに何よりの意味があるのだ。
無論、いじめを真っ向から正当化するつもりはない。
けれども、日々欠かすことなく自らの時間と頭脳を活用するに留まらず、このような身へ助け舟を提供してくれる彼らをどうして憎く思えようか。
こうしている間にも、比較的気を滅入らせやすい梅雨シーズンから影響を受け、早々に転校を考え始めるいじめられっ子も中にはいるかもしれないが、仮に転校を繰り返したとて生涯偏見と差別から逃れることのできない、このような人間であれば結果は手に取るように読める。
行く先々で、阻まれる運命にあるのだ。
移行作業を終え、ファスナーを閉める。
提供された異物と同じ空間に密封される、文房具や教科書などへと染み付いてしまうであろう臭いを想像し、嗚咽が出る。
されど、後輩たちの輝かしいスクールライフを邪魔せずに済んだと考えてみれば安いもの。
時既に遅しであろうと、この身におけるせめてもの対処はした。
そこらの弱者を搾取する資本活動を起こした巨大多国籍企業があるように、素知らぬ顔してあるのがいい。
そうして膝に靴を横たわらせ、ひっそりと画鋲を抜いていると、この身によって今しがた閉められたばかりの教室後方、その引き戸が小さく鳴らしたスライド音に耳を奪われ、この作業の手を休めた、とは言っても、視点のもとある場所からそれを外すことはしなかった。
それから三秒も経たぬうちに、身長百六十センチ前後の制服姿が、そそくさと右斜め前で着席する。
こちらの右横を通り過ぎたと同時に、ラウンドショートらしき黒髪から仄かに香ったフローラルの匂いが心地よい。
悪臭に曲がりかけた鼻を通って体全体へと行き渡るそれが、胸を見る見る高鳴らせてゆくのを感じられる。
稀な遅刻寸前の登校、生新の気に口元の緩みを押し止めることができない。
思えば、本来障りであるはずの引き戸がこの心を揺さぶる引き金と化してしまったのは疑いの余地もない、彼女の働きかけによるのだ。
フロアの隅に設置された一室へ、わざわざ直角の移動を要する廊下奥から入室するに伴い、主に役立てられる手前の戸を経由してはけして成せない、注意を引く危険への対策を行うことができる。
彼女もまた、クラスメイトの注目を避けたいが故、敢えてこれを利用しているに違いなかった。
一度抱いた親近感を足掛かりに急激なヒートアップを始めた彼女への興味は止まる所を知らぬかのように、この心に空く広大な穴を滞りなく埋めてゆくばかりか、華々しく栄えるものへと変えてしまう。
生まれて初めてのときめきに心躍らせたあの日から、意義のあるその命が恥辱を受けてしまわないように、彼らの眼光が彼女へと向けられる危機をなしうる限りの努めによって追いやり続けた現状にあるのは、顔も知らなければ、名前すらもが定かではない平行線の隔たり。
馬鹿は、どこでどのようなボロを出すか知れない。
ただし、彼女の風情を感じる度ごと、この身とそれとの間にある乖離が余りに巨大なものであることへひれ伏す必要をそれが生み、そこでピントを合わせようにも憚られるまで萎縮する故、これにつく特段の進展を望んでいるわけでも、現状打破の案を練るつもりでもない。
母の教えに、こんな言葉がある。
障害者の恋なんて、どう発展させたところで最終的には誰かを傷つけ堕とすだけの猛毒なんだよ。
立場を弁えるのは昔から得意なので、高望みをする気が起こらないのだ。
平たく言えば、彼らのいじめと彼女の魅力が、この身の命と皆勤記録をまんまと繋いでしまうのである。
いつの間にか、室内の暖房は止まっていた。
もはや習慣となった予鈴前の千思万考を終えて目線を上げた時には既に、騒がしい荒くれ者どもを煩わしそうに眺める初老の担任教師は教壇に立ち、室内にて進行中の非行へは見向きもせず、相変わらずの澄まし顔をぶら下げ始めていた。
非行というのは、この身から放たれる悪臭に慣れた様子の彼らをもってしても、頭と首を痙攣させつつ、クラスメイトへの気遣いもなく独言に興ずるこの身が未だに焦れったいからか、そこかしこにある各席から視線と「死ね」を飛ばすことである。
出来たことならば昨夜にでも成し遂げていたものなのだが。
このままでは、カサンドラ症候群さながらの精神的苦痛に悶えるクラスメイトを散見する日も、そう遠くはないかもしれない。
はたから見れば、どちらを被害者と呼ぶべきか判然としないだろう。
申し訳ない気持ちがあっても、それを表現する力がない。
彼らには、暴力と暴言を駆使することで持ちこたえてもらう他にないのだ。
両極端な躁と鬱の心理状態を混ぜ合わせる顔中の唾と彼女のうなじ。
いつもと変わらない光景。
空気と音声もまた。
ショートホームルーム開始までに画鋲の処理作業を終えられそうになかったので、冷える足先を床から数センチ程度浮かせる体幹トレーニングへシフト。
程なくして、一日の開幕を告げるチャイムが校内に鳴り響くと、自由奔放な生徒たちへの枯れ枯れなる怒号が、教壇から届けられる。
多少の不満はあれども、居心地は悪くなかった。
周りの迷惑も考えずに朝っぱらから喚き散らす生活指導の教師に急かされ、格好の悪い小走りで校門をくぐり昇降口へ。
規則を守らない生徒の靴底からすのこへ移動した砂と水は決まって、律儀に規則を守る生徒の靴下に付着する。
今に始まったことでなかろうと、不快なものはいつまで経っても不快に感じてしまうもの。
神の教えに邪心なく従うには、何に臨もうと苛立ってかかるこの年頃で挑むには、極めて無謀な試練を乗り越えなければならないのだ。
小雨に濡れたローファーと入れ替え、手に取った靴箱内の上履きは例日通り、雑多な異物で敷き詰められていた。
しかし異なることもあり、靴底から足裏を目掛け貫通する画鋲の針が十七本にも上っていたこと。
というのは、普段のおよそ三倍にも及ぶ本数であるのだ。
よって安心感が身を包み、起床時から今の今まで固定されてきた愁眉を、こうして開くことができたのだった。
なんと喜ばしいことであろう!
他所の横着ないじめっ子とは違い、彼らは週初から、これほどにもやる気に満ち溢れているのだ。
もはやすっかり朝の顔となった金色の画鋲が、このベタついた頭髪さながらのテカりを放ちながら悠然とこちらを見つめている。
こちらを見つめているというか、こちらが見つめているから見つめられているように思えただけで、けして画鋲のテカり具合からそれの言わんとしていることを読み取れるわけでもないというか、それすらこの身はまずできない。
あいにく、使い道に迷い、置き場所に困り、挙げ句の果てには捨ててしまう旅行土産を彷彿とさせるような背徳感は求めていない為、欲を言うならば処理にかかる手間を考慮して何か有意義な別のものを仕掛けてほしいのだけれど、身の程知らずも甚だしい。
自身に作用する時間が第三者のもとにあることこそ、紛れもない幸いであるのだから。
とは言ってみたものの、自傷行為の道具にするのは気が乗らなかった。
それにしても量が多すぎるし、何より気の毒であるが、他の活用法などただの一つも思いつかない。
いいように使われた結果行き着いた汚れの靴底から汚れの指につまみ上げられ、何重もの穢れたガムテープに巻かれ、そうして廃棄されてしまう彼らの行く末を思い、この不条理な世の中にまたもや苛立ちが募り始める。
ありふれた哀れみで蔑ろにすることができない。
惻隠の情に宿る画鋲の憂き目が胸を刺す。
自分が良ければそれでいい。
その一言で、身体中の罪悪感を拭い去ることのできる楽観的な性格があれば、どれだけ生きやすいだろうか。
一、二時間前にも巡らせたような思いと、上履きをスクールバッグへ詰め込んで着々と廊下を汚しながら、階段に左足を掛けるまでの一連の行動。
ふと無意識なそれに焦点を当ててみたことで、視線の溢れる状況であろうと構わず、すのこに腰掛け画鋲の処理作業へと励んできたほどの愚鈍にも、いつの日からか、規則正しく物事を考える力が養われてきている、そう気づくことができた。
感受性か、はたまた共感性か。
これをどう呼ぶべきかはともかく、成長というのは嬉しくも、少し切ない。
できることが増えると同時に悩む事柄も増えるわけで、無知蒙昧、鈍感な人間よりも、頭脳明晰、繊細な人間の方がそれを実感する機会に遭遇する頻度は高い、その事実こそがその理由である。
すなわち、取り返しのつく早い段階で潔く学習を諦めた未熟児が、世界情勢に興味を持たず、道理も人間の汚さも知らぬまま、自身の生きたいように生き、死にたい時に死ぬことで、最も能率的かつ純真無垢な昇天を経験することができるのだ。
目の前の階段を一段飛ばしで駆け上がることも、踊り場で文字通り陽気な踊りを踊ることも、強制されてはつまらない。
それを理解していればなおさらのこと。
孤児院の景色を懐い、目が潤む。
この頃は何故か、妙に涙腺が緩くなった。
もう子供でも、まだ大人でもないくせに。
梅雨特有の薄寒さで痛んでいた古傷を、室内に程良く効いたほこりのきつい暖房が癒す。
普段と比べて十五分程度遅い到着となったものの、どうにか遅刻を免れることはできた。
クラスメイトの注意を引くべきでないと教室後方からゆるやかな入室をし、窓際最後尾に位置する自席へと直行。
幾ばくかの視線を感じる。
装飾を施されていない自分の机を視認することで寂しさを覚えたのは、いつ以来であったか。
などと思うのも束の間であった、というのは、椅子を引いたことで露わになった光景が、これを安堵へと変えたのだ。
引き出しの中でうごめくウジ虫が、見るからに強引な圧縮をされた廃棄物へ集る光景が。
これだけのものをはて、どこから調達してきたかという問題は、二日半にわたるそれの放置であっさりと解消できる。
敏腕刑事が推理小説のプロローグで魅せるような無駄のない推理には及ばずも、成長はやはり伊達でなかった。
言うまでもなく、この程度で臆するような腰抜けではないのだが、ノーリアクションではせっかく用意をしてくれた皆に合わせる顔がまるでないと、また、退屈を感じさせてはならないと、これは十分な甲斐があるものであるということを信じ込ませる必要があった。
そうして作り上げた、物事が自分の思うように運ばないからといって簡単に喚き散らす、迷惑な童を思わせるような苦悶の表情に影響され、教室の三方にて満足げな表情を浮かべながら小さく笑う彼らに愛おしさを覚えることで、一日の始まりを実感することができるのだ。
内で何を感じていようとも、道化を演じればいつだって、何だって上手くいくものである。
さて、それはそれとしてどうしたものか。
絶えず鼻を突く、強烈な腐敗臭。
捨て去りたいのは山々だけれど、不幸なことにゴミ箱は黒板の隣に据え置かれてある。
この身にとってこれをこなすのは、膨大な精神力を要する仕事であるのだ。
だからと言って人目のつかない場所へ捨ててしまうのは、この良心が許さない。
時間をかけすぎる難点もある。
第一、悪事などやがて明るみに出て、かえってこれらを増やしてしまう。
ならば、スクールバッグの私物へ紛れ込ませるのが賢明か。
それはそうかもしれない。
しかし、素手で取り出すというのには何とも気後れがする。
衛生的な対処法と言えるものでもない。
もしくは、放置するか。
さすれば異臭が染み付いてしまい、後にこの机を利用してゆく不運な後輩たちの気分を害することになるだろう。
図らずも、学習意欲に満ちた生徒の成長を妨げる要因とさえなり得るのだ。
悠長なことをぼやいている場合ではない。
大体、これほどにも小さく、白い、艶を帯びている幼虫が、人間の体を蝕めるほどの有毒な菌を持ち合わせているはずはないのだから。
体臭については擁護のしようもないが、それについてはこちらも同じ。
種類が少し違うだけで、この身もウジ虫も、さして変わりはしないのだ。
選択肢はない。
これが始まり、直に三ヶ月が経つ。
ガイジ、化け物、おなべなどと、入学早々に浴びせられた幼稚な罵声が懐かしい。
日に日に程度と頻度を上げる彼らの熱心さには感心させられるばかり。
近頃で言えば、手の込んだいたずらを、日課の如く生み出すにまで発展したのだ。
恐らく、彼らのその初志貫徹の精神が、それぞれの勉学やスポーツへと活かされているのだろう。
勉強はろくにこなせず、これといった才能もない身には羨ましい限りである。
これほど彼らを奮い立たせる確かな所以を挙げるとすれば、見苦しい外見、トゥレット症候群、発達障害などいくらでも思い当たるけれど、どれを取ってもやはり、常人には個性の一言で片付けられないものらしい。
正常に紛れる異常を判別し、多数派とは大きく異なる存在を排斥せずにいられないのが人間の性である為に、たとえ異常者が始めからこの立場を外れていたところで、自己犠牲すらも厭わないお人好しとして前例を崩しはできないのだから、マイノリティに彼らを憎む権利などというものはない。
憎むどころか、ありがたく思うべきである。
自己肯定感は限りなく低いくせに、刃物で自らを思うように傷つけることすらできない臆病な者にとって、いじめられている時、冷たい視線を送られている時、熱々の暴言を投げ掛けられている時だけが、生を実感することのできる唯一の機会である為に。
快適とは言えずとも、この校舎にはそれを実現可能なものへと変える老若男女が備えられている。
そう誤認しているのであろうともその点は然程重要でなく、そう誤認できる場所であることに何よりの意味があるのだ。
無論、いじめを真っ向から正当化するつもりはない。
けれども、日々欠かすことなく自らの時間と頭脳を活用するに留まらず、このような身へ助け舟を提供してくれる彼らをどうして憎く思えようか。
こうしている間にも、比較的気を滅入らせやすい梅雨シーズンから影響を受け、早々に転校を考え始めるいじめられっ子も中にはいるかもしれないが、仮に転校を繰り返したとて生涯偏見と差別から逃れることのできない、このような人間であれば結果は手に取るように読める。
行く先々で、阻まれる運命にあるのだ。
移行作業を終え、ファスナーを閉める。
提供された異物と同じ空間に密封される、文房具や教科書などへと染み付いてしまうであろう臭いを想像し、嗚咽が出る。
されど、後輩たちの輝かしいスクールライフを邪魔せずに済んだと考えてみれば安いもの。
時既に遅しであろうと、この身におけるせめてもの対処はした。
そこらの弱者を搾取する資本活動を起こした巨大多国籍企業があるように、素知らぬ顔してあるのがいい。
そうして膝に靴を横たわらせ、ひっそりと画鋲を抜いていると、この身によって今しがた閉められたばかりの教室後方、その引き戸が小さく鳴らしたスライド音に耳を奪われ、この作業の手を休めた、とは言っても、視点のもとある場所からそれを外すことはしなかった。
それから三秒も経たぬうちに、身長百六十センチ前後の制服姿が、そそくさと右斜め前で着席する。
こちらの右横を通り過ぎたと同時に、ラウンドショートらしき黒髪から仄かに香ったフローラルの匂いが心地よい。
悪臭に曲がりかけた鼻を通って体全体へと行き渡るそれが、胸を見る見る高鳴らせてゆくのを感じられる。
稀な遅刻寸前の登校、生新の気に口元の緩みを押し止めることができない。
思えば、本来障りであるはずの引き戸がこの心を揺さぶる引き金と化してしまったのは疑いの余地もない、彼女の働きかけによるのだ。
フロアの隅に設置された一室へ、わざわざ直角の移動を要する廊下奥から入室するに伴い、主に役立てられる手前の戸を経由してはけして成せない、注意を引く危険への対策を行うことができる。
彼女もまた、クラスメイトの注目を避けたいが故、敢えてこれを利用しているに違いなかった。
一度抱いた親近感を足掛かりに急激なヒートアップを始めた彼女への興味は止まる所を知らぬかのように、この心に空く広大な穴を滞りなく埋めてゆくばかりか、華々しく栄えるものへと変えてしまう。
生まれて初めてのときめきに心躍らせたあの日から、意義のあるその命が恥辱を受けてしまわないように、彼らの眼光が彼女へと向けられる危機をなしうる限りの努めによって追いやり続けた現状にあるのは、顔も知らなければ、名前すらもが定かではない平行線の隔たり。
馬鹿は、どこでどのようなボロを出すか知れない。
ただし、彼女の風情を感じる度ごと、この身とそれとの間にある乖離が余りに巨大なものであることへひれ伏す必要をそれが生み、そこでピントを合わせようにも憚られるまで萎縮する故、これにつく特段の進展を望んでいるわけでも、現状打破の案を練るつもりでもない。
母の教えに、こんな言葉がある。
障害者の恋なんて、どう発展させたところで最終的には誰かを傷つけ堕とすだけの猛毒なんだよ。
立場を弁えるのは昔から得意なので、高望みをする気が起こらないのだ。
平たく言えば、彼らのいじめと彼女の魅力が、この身の命と皆勤記録をまんまと繋いでしまうのである。
いつの間にか、室内の暖房は止まっていた。
もはや習慣となった予鈴前の千思万考を終えて目線を上げた時には既に、騒がしい荒くれ者どもを煩わしそうに眺める初老の担任教師は教壇に立ち、室内にて進行中の非行へは見向きもせず、相変わらずの澄まし顔をぶら下げ始めていた。
非行というのは、この身から放たれる悪臭に慣れた様子の彼らをもってしても、頭と首を痙攣させつつ、クラスメイトへの気遣いもなく独言に興ずるこの身が未だに焦れったいからか、そこかしこにある各席から視線と「死ね」を飛ばすことである。
出来たことならば昨夜にでも成し遂げていたものなのだが。
このままでは、カサンドラ症候群さながらの精神的苦痛に悶えるクラスメイトを散見する日も、そう遠くはないかもしれない。
はたから見れば、どちらを被害者と呼ぶべきか判然としないだろう。
申し訳ない気持ちがあっても、それを表現する力がない。
彼らには、暴力と暴言を駆使することで持ちこたえてもらう他にないのだ。
両極端な躁と鬱の心理状態を混ぜ合わせる顔中の唾と彼女のうなじ。
いつもと変わらない光景。
空気と音声もまた。
ショートホームルーム開始までに画鋲の処理作業を終えられそうになかったので、冷える足先を床から数センチ程度浮かせる体幹トレーニングへシフト。
程なくして、一日の開幕を告げるチャイムが校内に鳴り響くと、自由奔放な生徒たちへの枯れ枯れなる怒号が、教壇から届けられる。
多少の不満はあれども、居心地は悪くなかった。