起床
文字数 3,471文字
06:32
薄暗く、重苦しい、とりわけ新しくもない朝。
聞こえてくるのは雨音と、隣部屋からのトークショー。
あるいは、頭部に押し潰された左耳のホワイトノイズ。
生臭さが鼻を突き、交感神経を強く刺激する。
自身の余裕を大っぴらに掲げる鳥の歌声に妨害を受け、覚醒したのは名ばかりで、不眠症を思わせるような鈍い倦怠感に伸し掛かられ、体を起こす気力が湧かない。
思うようにまぶたを持ち上げるのもまた。
とうとう晩から日出にかけて夢遊するこの身が、目薬と液体のりとの判別もつかないほどに落ちぶれてしまったのか。
飽きもせず、体中の青あざは自己主張に、また、ビーピーエム二百前後の十六分音符に乗せられた、仕事量の割に面白味はなく、やかましいだけのトレモロピッキングに影響を与えられたと言わんばかりの速度で両こめかみを打つ片頭痛は勤める。
そこへ加勢するかのように、瞼裏の不明瞭な色彩模様が、将来への希望で満ち溢れていた胎児期への懐古心、いわゆるノスタルジーを用いて精神を蝕みにかかったところで悪心に堪えられなくなると、自身の体から込み上げてきたとは到底信じることのできない、鮮やかな緑色をした液体を勢いよくぶちまけた。
総合的な不快感に身体中の眠れる筋肉は呼び覚まされ、暗に順応してきた眼の組織は外光を浴びる。
眼球は、小さく震えていた。
そうして床に倒れ込んだまま、大円を描くような眼球運動により事件現場じみた自室を把握したことで、抜け落ちていた昨晩が少しずつ、記憶として蘇ってくる。
ここは地獄でも、煉獄でもない。
辺りは、昨晩の根性なしもまた事を完遂することが出来なかったが故の現状に対する自身の、はち切れんばかりの苛立ちと不甲斐なさを大胆かつ繊細に具現化してあるのだ、そう錯覚するほど悲惨であった。
目先で就寝中のスマートフォンに手を伸ばし、ブルーライトをまとうカレンダーに目をやった。
今日は月曜日。
即ち、登校日である。
時計の針は既に、規定の起床時間を十三分ほど回っていた。
更衣はおろか、起き上がることから自発呼吸まで、何もかもが億劫で、脳裏にて灰色を呈する。
何が悲しくて、知りたくもない過去の遺物や物体を組成する実体について追究する物好きに、巻き込まれねばならないのか。
若さは何にも変えられない武器や財産と言いながら、大人はさして義務でもない大量の義務を子供へ押し付け、その貴重な時間を意図的に損なわせている。
生きる才能のあるものは才能を生まれ持ったからであり、生きる才能のないものに学問の常識が手を差し伸べることはないのだ。
視点を変えると、前者後者のどちらにしても、交流能力の向上は見込めよう。
しかしそれも、健常であればの話。
高校生ともなれば、難しい年頃である。
多様性を認めない荒くれ者の集り場に、このような身のあり場所はない。
このまま再び目を閉じるのみでそのまま死んでしまえたなら、人生はどんなに素晴らしいものか。
このような不平不満が頭をよぎる登校日の朝は目新しくも何ともないものであるとはいえ、それにしても、今朝の鬱感情は少しばかり厄介なものであった。
月曜日の朝に急増する自殺者と現代社会の実態が、ここで垣間見られる。
死にたがりの思考はやはり似通うらしく、日曜日の項垂れから自傷へ飛びついたこの心もまた所詮、典型的なそれの一つに過ぎなかったらしい。
だからと言って、生気を得られるわけでもない。
今はただ、ぼんやりとした不安。
どこかで目にしたことのあるそんなフレーズで形容するのに打って付けな、胸のざわめきに苛まれるのみ。
例の如く、頭部を床へ打ち付けた反動で上体を起こし、勢い任せに立ち上がろうと試みた。
しかしながら迷惑なことに、両足を支えとするが早いか、右足にうまく力が入らず直立途中で横転するに終わる。
末梢神経の異常か、いずれかの筋肉が未だ眠り続けているのか。
いつもいつも、肝心な時に役に立たない。
百八十度の回転でひっくり返った景色はまるで代わり映えせず乱雑で、癇癪を起こすのにここは最適な環境であると断言し得るものだった。
母に手数をかける故、是が非であろうと遅刻は免れねばならない。
ひとまず椅子へ腰掛けることから始めようと、右方の学習机を目掛けシャフリングベビー顔負けの尻歩きを。
そして掴んだ脚を頼りに、座面へ。
と、計画を立ててみたはいいものの、考えを行動に移すというのはそれほど容易いものでない。
本来左右の力点により平衡することのできる胴が左へ傾けられる以上、円滑な進行ができない。
それでも駆け馬に鞭で、脚から座面を手掛かりにどうにかして這い上がり、ようやく椅子へ腰掛けることができたと一息をつく折から、間髪をいれず右下半身全体に満遍ない打撲を与えると天からのそれを今一度食らう羽目となる。
というのは、情けなさやら麻痺やらをこの足から追い出せまいかと与えた殴打を引き金に座面が傾き、バランスを崩し、挙げ句転倒したのだ。
十分な肉で覆われていない右肩の骨に、槌を直接叩き付けられたかのような鈍痛と苛立ちが走る。
度を越した痛みは、時に笑いを誘発する。
どうやら椅子も、この身を拒絶しているらしい。
考えてみれば、そもそも、学習机も電灯も、ゴミ箱も寝具も、自殺企図を繰り返す人間の所有物として時を重ねるなど不本意でないはずがない。
事の後から辿ってしまえばすこぶる容易と思えるが、事前の予測ができないことに大きな問題があるのだ。
不信感はこうして、うなぎ上りに増してきた。
うなぎ職人に捌かれたくもなる。
こうして無自覚に迷惑行為を積み重ねてゆく低能が、いずれ犯罪行為に走って牢にぶちこまれるのだ。
健常者には何でもないこのような日常的行動にさえ、苦労を強いられてしまう身体障害にはそれと、この身の日頃の精神的障害などとでは比較することもままならないほど、深刻な自殺願望がまとわりついていることだろう。
そんなことを考えてしまっては、他人と比べる必要はないと掲げているのは表面上、一般的に不幸と認識される者を都合のいい時にのみ取り挙げ、君より不幸な人間だっている、こうして言いくるめようとする輩の思考と何も変わらない。
しかし、痴呆であろうが何だろうが、人は人の心を持った人であることに変わりなく、この身もまたその例外ではない。
疑似体験をすれば、省みずにはいられない。
人の苦しみを他人が推し量ることはできない。
その試みがどれだけ無礼で、独りよがりであるかと考慮し心がいたたまれなくとも、同情せずにはいられない。
尻歩きはおろか、一本の指すら自由に動かせない人間もまた世の中には存在するというのに、一体何を嘆いているのか。
自分が良ければそれでいい。
その一言で、身体中の罪悪感を拭い去ることのできる楽観的な性格があれば、どれだけ生きやすいだろうか。
真黒い学生服への更衣を済ませ、体感十キログラムほどのスクールバッグを肩にかけて支度を終える。
顔も洗わず歯も磨かず、髪は脂ぎりよくうねる。
承認欲求に揉まれ、見るも無残な身のこなしで自己陶酔に浸るソーシャルメディア中毒者に匹敵する醜態。
鏡も、写真も、これを映すものなど全て消えてしまえばいいとすら思える醜態。
呑気に鏡を殴る暇などないと衝動を抑え、いくらか回復しつつある右足に活を入れる。
目が覚めてから既に、三十分の時が過ぎていた。
自室とリビングとを隔つ一枚の扉にあいた拳一個分の隙間の先で、つけっぱなしのテレビから流れる陽気な情報番組が、母の居眠るリビングの沈黙を見事に繋いでいる。
早朝の母は、総じて機嫌が悪い。
話し手を近づけまいとオーラを醸し出す背中からは、威厳さえ感じられる。
まるで自分がステルスゲームの新米主人公にでもなったかのように張り詰めた表情を浮かべているのを感じ取りつつ、母からの干渉を受けずにリビングを通り抜けられるタイミングを見計らったり、忍び足に努めたり。
そうして玄関に到着するや否や、ローファーの踵部分を憚ることなく踏みつけ、自宅から避難するかのような歩を進める。
朝食を取る余裕も母にキスをする度胸も、四の五のと図る時間もなかった。
ろくに機能しない右の肉を引きずってでも、さっさと清潔な空気を汚し、大した価値もない精神障害者による最大限の負け惜しみを、今日もまた、クラスメイトへと撒き散らさなければならないのだ。
外は、六月を疑う低気温。
帰宅時に内鍵が開いていることを祈った。
薄暗く、重苦しい、とりわけ新しくもない朝。
聞こえてくるのは雨音と、隣部屋からのトークショー。
あるいは、頭部に押し潰された左耳のホワイトノイズ。
生臭さが鼻を突き、交感神経を強く刺激する。
自身の余裕を大っぴらに掲げる鳥の歌声に妨害を受け、覚醒したのは名ばかりで、不眠症を思わせるような鈍い倦怠感に伸し掛かられ、体を起こす気力が湧かない。
思うようにまぶたを持ち上げるのもまた。
とうとう晩から日出にかけて夢遊するこの身が、目薬と液体のりとの判別もつかないほどに落ちぶれてしまったのか。
飽きもせず、体中の青あざは自己主張に、また、ビーピーエム二百前後の十六分音符に乗せられた、仕事量の割に面白味はなく、やかましいだけのトレモロピッキングに影響を与えられたと言わんばかりの速度で両こめかみを打つ片頭痛は勤める。
そこへ加勢するかのように、瞼裏の不明瞭な色彩模様が、将来への希望で満ち溢れていた胎児期への懐古心、いわゆるノスタルジーを用いて精神を蝕みにかかったところで悪心に堪えられなくなると、自身の体から込み上げてきたとは到底信じることのできない、鮮やかな緑色をした液体を勢いよくぶちまけた。
総合的な不快感に身体中の眠れる筋肉は呼び覚まされ、暗に順応してきた眼の組織は外光を浴びる。
眼球は、小さく震えていた。
そうして床に倒れ込んだまま、大円を描くような眼球運動により事件現場じみた自室を把握したことで、抜け落ちていた昨晩が少しずつ、記憶として蘇ってくる。
ここは地獄でも、煉獄でもない。
辺りは、昨晩の根性なしもまた事を完遂することが出来なかったが故の現状に対する自身の、はち切れんばかりの苛立ちと不甲斐なさを大胆かつ繊細に具現化してあるのだ、そう錯覚するほど悲惨であった。
目先で就寝中のスマートフォンに手を伸ばし、ブルーライトをまとうカレンダーに目をやった。
今日は月曜日。
即ち、登校日である。
時計の針は既に、規定の起床時間を十三分ほど回っていた。
更衣はおろか、起き上がることから自発呼吸まで、何もかもが億劫で、脳裏にて灰色を呈する。
何が悲しくて、知りたくもない過去の遺物や物体を組成する実体について追究する物好きに、巻き込まれねばならないのか。
若さは何にも変えられない武器や財産と言いながら、大人はさして義務でもない大量の義務を子供へ押し付け、その貴重な時間を意図的に損なわせている。
生きる才能のあるものは才能を生まれ持ったからであり、生きる才能のないものに学問の常識が手を差し伸べることはないのだ。
視点を変えると、前者後者のどちらにしても、交流能力の向上は見込めよう。
しかしそれも、健常であればの話。
高校生ともなれば、難しい年頃である。
多様性を認めない荒くれ者の集り場に、このような身のあり場所はない。
このまま再び目を閉じるのみでそのまま死んでしまえたなら、人生はどんなに素晴らしいものか。
このような不平不満が頭をよぎる登校日の朝は目新しくも何ともないものであるとはいえ、それにしても、今朝の鬱感情は少しばかり厄介なものであった。
月曜日の朝に急増する自殺者と現代社会の実態が、ここで垣間見られる。
死にたがりの思考はやはり似通うらしく、日曜日の項垂れから自傷へ飛びついたこの心もまた所詮、典型的なそれの一つに過ぎなかったらしい。
だからと言って、生気を得られるわけでもない。
今はただ、ぼんやりとした不安。
どこかで目にしたことのあるそんなフレーズで形容するのに打って付けな、胸のざわめきに苛まれるのみ。
例の如く、頭部を床へ打ち付けた反動で上体を起こし、勢い任せに立ち上がろうと試みた。
しかしながら迷惑なことに、両足を支えとするが早いか、右足にうまく力が入らず直立途中で横転するに終わる。
末梢神経の異常か、いずれかの筋肉が未だ眠り続けているのか。
いつもいつも、肝心な時に役に立たない。
百八十度の回転でひっくり返った景色はまるで代わり映えせず乱雑で、癇癪を起こすのにここは最適な環境であると断言し得るものだった。
母に手数をかける故、是が非であろうと遅刻は免れねばならない。
ひとまず椅子へ腰掛けることから始めようと、右方の学習机を目掛けシャフリングベビー顔負けの尻歩きを。
そして掴んだ脚を頼りに、座面へ。
と、計画を立ててみたはいいものの、考えを行動に移すというのはそれほど容易いものでない。
本来左右の力点により平衡することのできる胴が左へ傾けられる以上、円滑な進行ができない。
それでも駆け馬に鞭で、脚から座面を手掛かりにどうにかして這い上がり、ようやく椅子へ腰掛けることができたと一息をつく折から、間髪をいれず右下半身全体に満遍ない打撲を与えると天からのそれを今一度食らう羽目となる。
というのは、情けなさやら麻痺やらをこの足から追い出せまいかと与えた殴打を引き金に座面が傾き、バランスを崩し、挙げ句転倒したのだ。
十分な肉で覆われていない右肩の骨に、槌を直接叩き付けられたかのような鈍痛と苛立ちが走る。
度を越した痛みは、時に笑いを誘発する。
どうやら椅子も、この身を拒絶しているらしい。
考えてみれば、そもそも、学習机も電灯も、ゴミ箱も寝具も、自殺企図を繰り返す人間の所有物として時を重ねるなど不本意でないはずがない。
事の後から辿ってしまえばすこぶる容易と思えるが、事前の予測ができないことに大きな問題があるのだ。
不信感はこうして、うなぎ上りに増してきた。
うなぎ職人に捌かれたくもなる。
こうして無自覚に迷惑行為を積み重ねてゆく低能が、いずれ犯罪行為に走って牢にぶちこまれるのだ。
健常者には何でもないこのような日常的行動にさえ、苦労を強いられてしまう身体障害にはそれと、この身の日頃の精神的障害などとでは比較することもままならないほど、深刻な自殺願望がまとわりついていることだろう。
そんなことを考えてしまっては、他人と比べる必要はないと掲げているのは表面上、一般的に不幸と認識される者を都合のいい時にのみ取り挙げ、君より不幸な人間だっている、こうして言いくるめようとする輩の思考と何も変わらない。
しかし、痴呆であろうが何だろうが、人は人の心を持った人であることに変わりなく、この身もまたその例外ではない。
疑似体験をすれば、省みずにはいられない。
人の苦しみを他人が推し量ることはできない。
その試みがどれだけ無礼で、独りよがりであるかと考慮し心がいたたまれなくとも、同情せずにはいられない。
尻歩きはおろか、一本の指すら自由に動かせない人間もまた世の中には存在するというのに、一体何を嘆いているのか。
自分が良ければそれでいい。
その一言で、身体中の罪悪感を拭い去ることのできる楽観的な性格があれば、どれだけ生きやすいだろうか。
真黒い学生服への更衣を済ませ、体感十キログラムほどのスクールバッグを肩にかけて支度を終える。
顔も洗わず歯も磨かず、髪は脂ぎりよくうねる。
承認欲求に揉まれ、見るも無残な身のこなしで自己陶酔に浸るソーシャルメディア中毒者に匹敵する醜態。
鏡も、写真も、これを映すものなど全て消えてしまえばいいとすら思える醜態。
呑気に鏡を殴る暇などないと衝動を抑え、いくらか回復しつつある右足に活を入れる。
目が覚めてから既に、三十分の時が過ぎていた。
自室とリビングとを隔つ一枚の扉にあいた拳一個分の隙間の先で、つけっぱなしのテレビから流れる陽気な情報番組が、母の居眠るリビングの沈黙を見事に繋いでいる。
早朝の母は、総じて機嫌が悪い。
話し手を近づけまいとオーラを醸し出す背中からは、威厳さえ感じられる。
まるで自分がステルスゲームの新米主人公にでもなったかのように張り詰めた表情を浮かべているのを感じ取りつつ、母からの干渉を受けずにリビングを通り抜けられるタイミングを見計らったり、忍び足に努めたり。
そうして玄関に到着するや否や、ローファーの踵部分を憚ることなく踏みつけ、自宅から避難するかのような歩を進める。
朝食を取る余裕も母にキスをする度胸も、四の五のと図る時間もなかった。
ろくに機能しない右の肉を引きずってでも、さっさと清潔な空気を汚し、大した価値もない精神障害者による最大限の負け惜しみを、今日もまた、クラスメイトへと撒き散らさなければならないのだ。
外は、六月を疑う低気温。
帰宅時に内鍵が開いていることを祈った。