第6話 すんでの処で拾われた草薙剣

文字数 2,617文字

 武蔵七党のひとつで、現在の所沢市に本拠を持った地方豪族・山口氏は保元の乱(1156年、崇徳上皇と後白河天皇との権力争い)の折に後白河天皇方に与し、関東武士ながら天皇公家方に恩を売った形となる。
 その後、源頼朝による関東平定、鎌倉幕府成立後は幕府の御家人となり、平家討伐軍に加わり平家との戦闘に加わる。そして運命の、壇ノ浦の戦いの日、山口胤敦(たねあつ)は密かに後白河上皇の密命をおび、安徳天皇が持つ「三種の神器」奪還に動いていた。
 しかし戦闘中のこと容易くはない。ようやく天皇の御座船を見つけ出した時には、安徳天皇は祖母・平時子に抱きかかえられ、母親の平徳子(のちの建礼門院)は三人の神器を胸に抱えた侍女たちと入水したあとだった。
 壇ノ浦は潮の流れが速い場所。しかも自殺する者を救い出すことは困難を極める。ただ運が佳かったとしか言えない。舳先に縛り付けた縄を下締めに括りつけ、たまたま飛び込んだ先に十二単の女官が潮流にもまれていた。
 必死に上衣の裾を掴みあとは無我夢中だった。手足をバタつかせ海上を目指す。何しろ身に付けていた甲冑が重い。配下の足軽数人の手を借りて女官共々に船に引き揚げられたまでは覚えているが、過呼吸で失神してしまう。

 目覚めたのは砂浜だった。女官と並べて横たえられていた。見渡せば水死体、矢や弓などの武具、軍を見分ける御印旗で渚は埋め尽くされている。
「胤敦さま、ご無事でいらっしゃいますか?」
 山口勢の侍大将の声だ。胤敦はようやく身を起こした。甲冑類はすでに外されていた。
「うむ。女官殿は無事か?」
「はい、気を失っているだけでございます。一体、どなたで?」
 胤敦にも見当がつかない。必死に潮流に揉まれた女官の裾を掴んだだけ。ただ十二単を着る女官はそう多くはない。しかも裾を掴んだ上衣の色柄に見覚えがある。たぶん後白河上皇に謁見拝謁した折に見たような。
 源平合戦はすでに終わっていた。あちこちらで源氏方の勝鬨が響いてくる。胤敦は鎌倉方に組していたことにホッと肩を撫でおろした。小さな地方豪族にとっては常に勝利者側に就く、趨炎附熱(すいえんふねつ)の計は重要なのだ。
 戦果がなければ恩賞にはありつけない。しかし運よく敵方平氏側の女官を捕らえた。証拠の品があれば功績など何とでも脚色出来る。胤敦は自らの強運を神に感謝した。帰郷の暁にはしかるべき仏神に感謝せねばならない。この時の彼にはどの神が幸運をもたらしてくれたのか、全く想像もしていなかった。
 さてさて、その晩のこと、山口軍総勢五十は一時滞在先、潮先神宮(現宇部市)で甲冑をほどいた。荷車で運ばれた女官は高熱を出した。重ね着した十二単はまだ冷たい海水温からは体温を保持するのに役立ったが、湿った衣はどんどん体熱を奪ってゆく。
 下働きの下女たちによって衣は脱がされ全身は褞袍(どてら)に包まれ柳髪は麻布に巻かれた。今宵が生死の境だと云う。その報告に来た文官と陰陽師からは、とてつもない話しを聞かされた。
「あの女官とおぼしき清し女(すがしめ)は、壇ノ浦に沈まれた安徳天皇の母君、平徳子殿に間違いございません。あの気品ある十二単が何よりの証拠。この世に二品無き唐衣に御座います」
 胤敦は驚いた。だから、見覚えが在ったのか。確かに宮中で観た。
「さらに、もうひとつ、ただならぬことが御座います」
 いつも冷静な陰陽師の額には汗が浮いていた。
「徳子殿はなんと『三種の神器』のひと柱『草薙剣』を抱えておられました」
「なんと!」
 仰天し、目を剥く胤敦の前に、金襴緞子の布にくるまれた一振り大剣が差し出される。
「なぜ、草薙剣と判る? 誰も見た者は居ないはず?」
「さようでございます。しかしながら、あの場所で徳子殿が手にされていた剣で在れば左様な事かと」
 確かに、他に考えようがない。思案していると、陰陽師が、
「殿のご前で披露されるのが一番の近道かと。それほどの剣ならば一目見て誰しもが納得するはず」
 なるほど百聞は一見にしかず、か。それならば、と胤敦は金襴緞子の布を恭しく取り外す。誰もが、瑠璃光に輝く見紛う難なき神代の剣、と刮目する。ところが。現れ出でた物は、黒黴に全身を覆われた、哀れな遺物だった。
 おまけに木製の鞘の部分はあちこちで亀裂が入り、崩壊寸前の呈。そんな筈はと、黒ずんだ束を持ち鞘から抜き出して見たものの、黴錆びだらけのなまくらだった。
 とんだ贋物と想われた。剣と鞘を取り囲んで一座は沈む。立派なのは金襴緞子の布のみ。これを天皇家や鎌倉に手土産にした処で鼻で笑われるだけだろう。見かねた陰陽師が、咳払いののち、おもむろに、
「それはそれ、安徳天皇が天界に持ち去った剣には他なりませぬ。家宝として丁重に取り扱うべきかと存じます。思うに、剣に宿る魂は天皇と一緒に天界へと連れ去られたのでありましょう」
 的を得た発言に一同は納得した。魂の抜け落ちた、刀身ならば仕方がない。無様な在り様にも得心がゆく。
 詮議はそこで終わり、当主をはじめお歴々が去った神社神殿の床の上で、脇侍の服部六左衛門が無残な一振りを元に戻そうとしていた。ご祭神に一礼し、刀身を鞘に戻そうとした矢庭に、ご祭神から眩いばかりの御光が到来し、一瞬、剣が本来の在り様を現出した。
 アッと茫然自失する六左衛門。次の一瞬で、また元の無残ななまくらに立ち還っていた。服部六左衛門はこの一見を「服部家文書」にしかと書き記している。
 …この平家の如き、哀れなる一振りではござれど、天神はまこと草薙剣と示し賜(たも)うた、
 我が身ひとり内密の儀に致し候こと…


 平良徳子は一命をとりとめ、山口胤敦は鎌倉に引き渡した。その時の模様は、山口家の文官と陰陽師によって、一大スペクタクル活劇と脚色されたことに疑いの余地はない。胤敦は一時、後白河天皇方に付いたことを許され、鎌倉方より武蔵野国山口の所領の安堵を許された。
 平良徳子は天皇家の血筋として罪を免じられる。彼女は「草薙剣」を抱いていたことを覚えてはいなかった。いや、天皇方に対する恨みから言わなかったのか、本音は判然としない。
 彼女は京洛北、大原の地で出家し、寂光院で建礼門院と名乗る。
 今や夢昔や夢とまよはれて いかに思へどうつつぞとなき 
 (今が夢なのか、それとも昔が夢なのかと心は迷い、どう考えても現実のことととは思えません。けれど、草薙剣のことだけは知ってるよ、フフ) 
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