第3話 旧家にお引越し

文字数 2,884文字

 
 こん時の加奈には劇的な身辺事情が起きていた。中学生まで育ててくれた祖父母が相次いで亡くなったのだ。母方の山口(祖父母の姓)家を継ぐ者は加奈しかいなくなっていた。ついこの前、祖母から最期に受け取った手紙にも家を継いでくれとの言葉が綴られていた。
 ある晩のこと、葬儀社からメールが届いた。山口由紀子殿の葬儀式の儀、万事整いましたので、明日朝十時に山口邸へお越しください、と記されていた。とうとう祖母も亡くなってしまった。薄情さとずぼらな性格を恥じ入る。
 一着しかない濃紺のワンピで祖父母宅に向かうと、立派な花輪が幾つも立てられ、喪服の人達が焼香に列を成していて、唖然とした。どうしてこんなことに? 呆然とする加奈の元に葬儀社の名札を付けた中年の女性が近寄って来た。名前は仙波とある。
 頷く加奈を見て、
「私共は山口由紀子様ご生前の折から、万が一の時の葬儀法要式一切を託されました〇葬儀社の者です。このたびはご愁傷さまでございました」
 女性は三つ指を揃えて深々と礼をする。加奈も慌てて頭を下げる。
「由紀子様より、この時が在れば加奈様に重々に説明されるように承っております」
 そう言われ、焼香の長い列を裂けるように仏間に向かった。加奈には勝手を知った家だが、何かよそよそし気に感じられた。
 仏間には仏壇の前に白木の棺が置かれ、祖母の遺体が安置されていた。観音開きの窓を開けると、薄っすら化粧を施された微笑む祖母の顔が見えた。涙ぐむ加奈。
「昨日の夕方、ひと月ほど前から入院されていた市立〇病院で逝去されました。死因は老衰でございます。改めまして、ご愁傷さまでございました」
 女性は今度は正座して再び三つ指をついて深々と頭を垂れた。そして頭を挙げるとほぼ同時に、背後から漆塗りの木箱を取り出し加奈の前に置いた。
「この中に加奈様にお譲りされる全目録が入っております。のちほどお改めくださいませ。本日は通夜と相成ります。午後九時まで燈火を絶やさずに弔い人をお迎え致します。それから、ご当家と関り深い社寺の代表者をこれから紹介致します」
 そう言い終わると女性は仏間をあとにした。  
 祖母からの最後の手紙とは、病院の死出の床からのものだった。入院しているとひと言書いてあれば見舞に行ったものを。後悔先に立たずとはこのことだ。祖母の亡骸を見ながらとりとめのないことを考えていると、見知らぬ二人が入って来た。
 ひとりは第一印象、狸を思わせる真ん丸なオッサン。もうひとりは精悍そうだが性格は悪そうな坊主だった。真ん丸の方は近くの八龍神社の氏子総代で、坊主の方は山口家の菩提寺の正真正銘の坊主だった。この坊主はどこかで観た記憶がある。
 加奈にとってここは、幼少期から中学生まで過ごした謂わば故郷。周辺の事情にも詳しい。八龍さんは山口家が代々氏子総代を務める神社で、菩提寺の一乗寺も祖父が永らく檀家総代を務めていた。どちらの境内でも友達とよく遊んだ。
 僧侶の方は、通夜行から初七日までの一連の法要を執り行うことを陳べて、邪魔だとばかりに仲間の僧侶数人で仏間を急場の葬儀場に変えて行く。加奈は仏間を追い出された。真ん丸なおじさんの方は、新たな氏子総代として山口家の跡取りに挨拶を陳べに来たそうだ。
 山口家の跡取りって誰の事? などと口をポカンと開けていたら葬儀社の女性から、貴方のことだと指摘された。これは、なんだかエライことになってしまった。マじで通夜から本葬、告別式、焼却場で遺骨にするまでの一連の葬儀法要式に三日間忙殺された。
 おまけに、山口家当主代表として告別式での挨拶をさせられた。人生初の人前での演説。なにをどう言えばよいものか? ざっと百人のお別れの客人を前にマイクの前でたじろいで居ると、例の葬儀社の女性から、これを読めと一枚のアンチョコが手渡された。
 ご参列の皆さま方には、本日はご多忙のなか……の文章の『ご多忙』が読めない。ごタ、ごた、言っていると弔事に笑う訳にもゆかない聴衆の気まずい雰囲気が伝わって来る。万事、こんな風だった。最後に火葬場から位牌を持って、山口家の仏壇前に設えた納骨檀に置いた瞬間に加奈は、仏間に大の字に倒れた。
 やれやれ、やっと全部終わった。すべてから解放された。山口家当主がこんなことでいいの? どっかからそんな嘲笑が聴こえて来そうだ。一週間後にはアパートを引き払った。荷物も別にない。リュックを背負ってニャンを詰めた買い物袋で電車に乗った。
 六畳一間のアパートから平屋だが部屋数十もある一軒家になった。おまけに瓦門をくぐると三十坪ほどの中庭が拡がり片隅には土蔵までもある。ニャンにとっては楽しいお引越しだ。
 加奈には懐かしい旧家。自分にあてがわれていた部屋にはちっちゃな勉強机がそっくりそのまま残されていた。ランドセルまでそのまま掛けられたまま。無垢な子供の頃に引き戻される感じ。

 大きなお尻でやっと椅子に腰かけて引き出しを開ける。28点、36点、17点、赤字で記された試験用紙が堆く重なっていた。親が居ないことをいいことに見せずに隠したものだ。あとは三角定規に分度器、消しゴムなどが出て来た。どれも懐かしい。
 居間に戻って来て、こんな広い家に自分ひとりは心細いし不用心だ。窓だけでもかなりの数ある。しかもチョー苦手な掃除。うん、ちょっと待てよ。こんなの大きな家の電気代とか、公共料金って一体月に幾らかかるの?
 アパート代は浮いても一軒家の維持費に消えるのでは? あくせく働かなくてもよくなったと仕舞い込んでいた(金欠の導火線)に火が点く。そう言えば、一軒家には税金だってあるんじゃないの?
 加奈は葬儀社の女性に託されて忘れていた祖母の遺品のことを想い出した。そうだ、この家のことをまるで知らないや。早速、漆塗りの立派な木箱を空けた。中にはかなり量の文書類が入っていた。
 真っ先に郵便局の貯金通帳に眼が向く。焦って開くとなんと五百万円が残っていた。ページをめくったり裏返したり、これが確かであることを確認する。ラッキー。加奈は心底安心した。
 現金なもので遺産である預金があると判ると他のものはどうでも良くなった。適当に取り出す。家の登記簿だったり権利書。なんだか毛筆で読めない古文書まで出て来た。こりゃ、無理。さっさと木箱に戻しながら一枚の紙キレに目がゆく。
 あて先は例の葬儀社の女性宛のものだった。祖母の死後の在り方が記されている。葬儀社に葬儀費用一式三百万円、菩提寺の一乗寺に葬儀法要式一式六百万円、氏神の八龍大社に五百万円。
 なんだこりゃ。葬儀社は致し方ないとしても。このお寺と神社への費用は今からでも少し返して貰えないものか? そうすりゃ、五百万円に上乗せできる。そんなこんなを考えていると、ニャンがまた悪さをしはじめた。
 いちいち全部の部屋を掃除するのは面倒なので半分は締め切って無きものにしようと考えた。ところがニャンのヤツはそういう締め切った部屋に何とか入ろうと襖を引っかいたり障子を破いたり、結局、引き戸を開けることまで覚えやがった。
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