第9話 菩提寺の秘密

文字数 2,258文字

 
 一週間後に、山口家に宅配便が届いた。届くものと言えば大概、加奈の祖母の急死を知らない人たちからの贈答品だった。それだけ山口家は他家との親交が深い家柄なのだ。ただ今回のは、例の古物商からだった。
 一度囚われた加奈は尻込みした。ひょっとすると手製の爆弾かも。この前の意趣返しかもしれない。すると、婆さんが、心配ないと言った。ニャンもクンクンと荷物の臭いを嗅いでいる。
 開けると、一幅の掛け軸が入っていた。

「これは北斎の『牡丹図』だな。この前のお礼というべきだ」
 這う這うの体で逃げ帰った加奈は貧乏神にことの顛末を伝えた。婆さんはニコニコ笑って聞いていた。ゴロンゴロンとリラックスするニャンのお腹を撫でている。
「これで菊と牡丹が揃ったわ。あとは桔梗と朝顔。場所は大方見当はついています」
 ニャンはごろごろと呟いた。
「あんた、この頃、瘦せたね。顔が長くなってるし、腹も凹んできた。それにあんまりおバカなことも言わなくなってきたで」
 貧乏神の加奈評だ。加奈は嬉しそうに姿見鏡の前でステップを踏んでいる。
「確かに。『建礼門院』の白檀の香りがなければ救いには行けなかった。あの瞬間に芳香が風になびいた」
 ニャンのごろごろは続く。 
「これですきぴとお食事行けるかな?」
「すきぴとは誰のことか。まさか浅野屋ではなかろうな?」
「まさか、オッパブ時代の担当のことだよぉ」
 ?? 担当とは?
 ホストクラブのお気に入りのことだ。
「変わったとしても少しずつのようじゃな」
 貧乏神が呆れた顔付きをした。

 さてさて、ニャンは夕方になって散歩に出掛けた。行き先は一乗寺。武蔵野の人造湖・狭山湖畔にある。山口家の菩提寺でもある。密教寺院で格式は高い。七堂伽藍も有している。
 今の山主は代々ではなく本山より派遣された腕利きと噂されている。先代が暗愚で寺は傾きかけた。宗門の中興に期待をかけての抜擢だった。面構えが歌舞伎役者の市川〇蔵に似ている。
 精悍な顔付から信者には受けがよい。「銀龍会」なる新興宗教も運営していた。その柱は霊感占い。よく当たると評判でもあった。山口家にもつい最近、先代の葬儀法要式一切を引き受けに来たそうな。
 姫によるとオッカナイという印象だそうだ。貧乏神もニャンも見たことがない。ただ婆さんによれば古(いにしえ)からの悪霊「おたたり様」の一種だとのこと。まぁ、一目みれば正体は判る。
 門前までには車道を何度も横切らなくてはならない。自動車という箱物はネコを無視して突っ走って来る。何度も避けたがあまりに無粋な奴は進路を曲げて電信柱にぶつけてやった。
 ざまあ、みろ!
 途中、テリトリーの違うネコたちに近道を訊いた。ネコ族は親切だ。ボス猫までも優しい。先導までしてくれた。まぁ、わらわの正体を知っているのかも知れぬが。
 小いち時間かけてようやく寺院を取り囲む塀に辿り着く。飛びつくには高すぎるので裏門から境内に入った。棲み猫たちに事情を訊こうとするものの一匹も居ない。これはあまりよい兆候とは言えない。お遊びのネズミさえ居ないとなる。

 ここは代々「猫の寺」と聞く。ネコたちの天敵はアライグマでもイタチでもない。なんと人間。これは平安でも江戸の世でも同じ。五匹産まれた仔猫のうち三匹は河に捨てられた。
 餌に困るし個体が増えすぎるのを誰もが嫌った。この風習は先の大戦後、昭和の中頃まで続く。そして昨今では役所が殺戮の責任を負わされている。いわゆる殺処分。年間三万匹のネコが殺されている。
 猫たちだって惨殺されるのはご免だ。必死に人から逃げるし、飼い主も産まれた仔猫を不憫に思う。そうした事情で野良ちゃんたちが集まって来たのがこの寺という訳。それは寺の縁起も関係している。
 鎌倉時代末期に足利尊氏との争い(分倍河原の役/現・府中市多摩川)に、一時敗れた新田義貞がわずかな手勢でこの寺の脇を通ると、一匹の白猫がまるで寺に招き入れるように門の脇に佇んでいた。
 新田義貞はこの寺でその後の鎌倉攻略を白猫より指南されたとされている。
 最初の武家政権を樹立した源頼朝が自然の地形を見込んで幕府を置いた関東武者の聖地が鎌倉。土地自体が難攻不落の要塞とされた。そこを数多の武門の誉れ高き武人はおれど、陥落させたのは新田義貞しかいない。
 のちに足利尊氏によって自害にまで追い込まれたが、この事実はデカかった。ご維新のシンボル、「錦の御旗」のモデルは、新田義貞が後醍醐天皇より授かった朝敵討伐の旗印とされている。もちろん最強の武将としての威光を伴ってのこと。
 そんな猫と縁の深い寺にネコがいないとはどうしたことか?
 ニャンが考え込んでいると、一匹の白猫がやって来た。眼色はオッドアイ、右が青で黄色。高貴な印象があった。鼻をくっつけてご挨拶。

二匹は裏門から一番近い伽藍、庫裡(僧坊)の軒下に仲良く並んで座る。
「なにがあったんですか?」
「十年ほど前に新しい住職が晋山してから悲劇がはじまりました。それまで二十匹近く棲んでいたネコたちがカラスに襲われ出しました。仔猫のうちは普通にある惨事ですが成猫となるとまず在り得ない。それで、餌だけ貰いに来ていた近所のネコたちも来なくなりました」
「はて?」
 ニャンは小首をかしげる。
「原因は新住職にあると考え、出自を確かめました。大山の烏ケ山(からすがせん)で修行をつんだそうです。ニャンさまにはそれでお分かりになるのでは?」
「なるほど。近々、飼い主宅の四十九日の法要がこの寺院で営まれる。その折に確かめてみましょう」
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