第5話 ニャンと婆ちゃん
文字数 2,313文字
広い山口家にはお婆ちゃんのひとりぐらいなんてことはない。しかもこの人は言葉通りに料理が上手だった。お祖母ちゃんの手料理と同じ味。懐かしい。加奈はすっかりご満悦。もう御飯の心配が要らない。近くのスーパーに買い物にも行ってくれて、子供の時分に戻ったようだ。
加奈は中庭を望む縁側にビール片手に老婆が茹でた枝豆を摘まむ。
ひゃー、ニッポンの夏だな~こりゃ!
八時を過ぎると、近くの遊園地で恒例の花火があがる。夜空に咲く大輪の華を見上げて三段腹を摘まむ。
そろそろ、痩せないとなぁ~
居間のテレビを前に老婆とニャン。
「痩せる痩せると言いながら毎日バクバク食っとります」
「ふむ、ワシも何でもバクバク食うなと注意したことがあるでな」
テレビはつけっぱ。だがこれは番組内の台詞ではない。
「まさか貧乏神を背負(しょ)い込んで来るとは人が佳いやら…」
ある日、加奈が老女を連れて来た。ニャンが老婆に不審な顔を向けると、
「怖いヤクザから護ってくれたの。お婆ちゃんがいなけりゃ、わたしソープ嬢になってた。ああ、こわこわ」
そう言いながら抱きかかえられイヤと言うほど頬ずりをされた。暑苦しいのなんの。
「どうせヤクザには『緊縛の術』をかけて、妖(あやかし)の途を通って逃げて来たのでしょう。それにしもて、あの姫さまは自分がどんだけ、恐ろしいものに狙われているのか、まったく判っておりませぬ」
いつしかテレビには、源平合戦後の鎌倉幕府の内幕を描く大河ドラマが流れている。折しも、壇ノ浦の合戦で安徳天皇と共に『三種の神器』が海底に沈む場面が映されていた。
「こ、これは何の術じゃ。どうして鳥の眼のように現場が分かるのか?」
貧乏神は驚愕の声をあげた。
「わらわも初見は驚き申した。なんと想像した絵でありまする。幾らなんでも千年も前のことを写し撮ることはできませぬわ」
ニャンは横倒しになって欠伸をしながら。
と、その時、加奈が居間に入って来て、チャンネルを野球に替えてしまった。地元球団の敗戦を告げるアナウンスが。
「チェッ、また負けてんやんの。あれごめん、お婆ちゃん、大河見てた? アレ、何だかサッパリ分かんないよね。「三種のチンギ」ってなんのこと? ちょっとエロいよね。でも、公共放送か、ふんふん。
それにしてもチャンバラもんはダメだな、わたし。やっぱイケメン恋愛もんだよ。
さあ、お風呂入ろ、今夜は乳液風呂にしようっと、ルンルン♪」
加奈はスキップで風呂場に向かう。
「あれは、とんだアホダラだな。山口家の姫さまだってことを知らんのかい?」
貧乏神は呆れた顔をニャンに向ける。
「あい。女子(おなご)の母親は二十二代当主のひとり娘で、他家に嫁ぎ早々に死んでしまいました。知らせる間がなかったようです。言っても理解出来たかは?? 分かりませぬ。あの通りの呆けた娘のこと」
『三種の神器』とは―
八咫の鏡(やたのかがみ) すべての事象を正しく映し摂る正義の眼
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) 遍く照らす慈愛
草薙剣(くさなぎのつるぎ) 厄災を滅断する勇気と力
源平合戦の最後の大勝負。壇ノ浦の戦いで尊い命が海に消えました。その蔭で、もうひとつ失われたものがあります。それは代々の天皇の御印とされた「三種の神器」です。
平家が擁した安徳天皇がその象徴と共に入水(自殺)してしまったのです。時の権力者・後白河法皇をはじめ京の公家たちは大わらわ。天皇たらしめる証拠品が失われてしまった。
そこで苦肉の策として考え出されたのが「形代(かたしろ)」です。つまり海に沈んだのは「形代」=写した(コピーした)模造品だったと主張したのです。そして、早速、鏡と勾玉はそれらしいものを用意しました。
この理屈はそもそも神器を天皇以外は見たこともないのでまかり通ったのです。ただ、剣だけは簡単ではなかった。当時、天皇家には「神代三剣」と呼ばれる名刀がありました。
戸塚剣(とつかのつるぎ)
天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
このうち天叢雲剣とは草薙剣のこと。あとの二剣に見劣りのしない剣はそう簡単には造れなかったのです。いずれも霊験あらたかな神が宿る剣です。
そして、とうとう公家たちは奇策に打って出ます。
当時公家たちは何かにつけ占術に頼っていました。そう祈祷師集団のひとつ陰陽師の出番となります。彼らはこう言ってのけました。
そもそも天叢雲剣とは八つの頭、八つの尾を持つ八岐大蛇(やまたのおろち)を退治しようとした善神が手にしていたもの。それを善神と共に喰らった大蛇は最強の祟り神であった。それを須佐之男命(スサノオノミコト)が天十握剣(あめのとちかのつるぎ)で退治し、オロチの胎内から神剣・天叢雲剣を取り出し天照大神に献上したと謂われる。
今回の悲劇は、八岐大蛇自身が龍神となり、第八十代天皇の後継、八歳の安徳天皇に姿を変じて取り戻しに来たもので、海の底の安寧の国に持ち去ったのだから、もう見つかることはない。
これで一件落着。残った二剣のうちのひとつを加え「三種の神器」にしたのです。
さてさて、とんだ茶番にて復活を遂げたかに見えたものの、『三種の神器』とは、神より人間が賜わった生きる縁(よすが)なり。それを一瞬にして人間は無益な戦(いくさ)で捨ててしまった。一端、消え去った燈火は再び点きはしない。いま一度、人間に与えるかどうか、天界は割れた。与えるべき相手、術(すべ)も顧慮された。
そして現在でも、再び与えられたのかどうかも下々(しもじも)には分からない。
ただ、海に沈んだ草薙剣だけは、様々な思惑から逃れて現存していた。