第5話

文字数 1,575文字

 よかった。
 あのまま、帰らなくて。

 わたしは思います。
 こんなに素敵な可愛い笑顔をした人が暗黒法術士なわけがありません。

 本当に魅力的で、目を離すことができないくらいです。
 なんでしょう。このかんじ。
 ずっとみつめていると、その頬に触れたくなってきます。

 「もし。お二人さん」

 気が付くと、305号室の扉が開いていて、中からおばあさんが顔をのぞかせています。

 「すまんけど、逢い引きはあとにしてくれんかね」
 「え、いや、そんなんじゃないんです!」

 我に返って、あわてて手を離します。

 「すいません、IMO(アイエムオー)青梅(あおうめ)です。遅くなってすいません。今日はふたりでお邪魔させてください」

 青梅さんが頭を下げながら、わたしの方をちらっとみました。
 青梅さんも顔が真っ赤です。

 「あ、秋島です。よろしくお願いいたします」

 挨拶もそこそこに部屋の中に入ります。
 中はやや年期が入ったかんじですが、普通の団地の部屋です。3LDKぐらいでしょうか。

 「お父さん、青梅さんが来てくれましたよ」

 ふすまを開けると、年配のおじいさんが介護用のベッドに横になっていました。
 隅に車椅子が置いてあるところをみると、足腰が弱いのかも知れません。

 「こんにちわ。お加減いかがですか?」
 「まあ、ぼちぼちだね」

 おばあさんがお茶とお菓子を持ってきてくれました。
 老夫婦と青梅さんとはすでに知り合いのようで、お茶をいただきながら、「その後どうですか」、「相変わらずだねえ」なんてやりとりをしています。
 3人の会話を聞きながら、わたしはさりげなく部屋の中を見回していました。

 特に何の変哲もない部屋です。
 山登りが趣味だったのか、登山姿の写真、野鳥や花の写真などがたくさん飾ってあります。

 法術を使って、ここでいったい何をしようというのでしょうか。
 そう思ったその時。

 ドシン。
 突然、音がしました。上からです。

 「……始まったか」

 おじいさんが言いました。
 上の部屋から、ドシンドシン、バタバタバタと跳びはねたり走り回ったりするような音が聞こえてきます。
 結構大きな音で、湯飲みに入ったお茶が振動で揺れるほどです。

 「先週も団地の管理事務所から注意してもらったんだけど、まったく変わらないの」

 おばあさんがため息交じりに言いました。
 膝の上でぎゅっと手を握りしめています。

 「秋島さん。お二人はこの騒音にもう1年近く悩まされているんです」

 青梅さんがすっと立ち上がりました。

 「見てのとおり、わしはもう足腰が立たんでほぼ寝たきりです。古い団地なんで多少の生活音は仕方ないのかも知れませんが、朝からずっとこの調子でやられると、さすがにこたえます」
 「もう少し控えてもらえませんかって、わたしも何回もお願いしたんですけど、うちじゃない、証拠はあるんですかって、まったく聞いてくれないのよ」

 小さい子供でもいるのか、運動でもしているのかわかりませんが、まったく非常識なレベルです。
 初めて聞いたわたしでもこうなのですから、毎日のようにこの音にさらされるお二人は、相当参っているのではないでしょうか。

 「わたし、思うんです」

 天井を見上げたまま、青梅さんは言いました。

 「心ない人たちばかりが好きにして」

 その目が赤みを帯びていきます。

 「弱い立場の人が泣き寝入りする」

 瞳に宿る深紅の光。

 「そんなの間違ってると思うんです」

 両手を掲げたその先で、青白い炎がいっぱいに広がったように見えました。

 死霊魔術師(ネクロマンサー)である青梅さんの法術。
 いったい何が起こるのでしょうか。

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