第4話 噛まれた恋心

文字数 2,005文字

二週間ほどが経ち、恐ろしいことが起きた。

動画の登録者数や再生回数が伸びないため、契約期間満了を前にタレントの起用を見直したほうがいいのではないか、という案が会議で浮上した。
ほとんどのスタッフが黙って唸っている中、俺も黙ったまま、ひたすら戦慄(せんりつ)していた。自分は一般企業の社員に過ぎず、芸能界になんの人脈もない。この番組で縁が切れたら、おそらくもう会う機会はないと思っていいだろう。すなわち、小宮が降りたら俺たちはもう終わり、お別れということになる。それはいまの自分にとって、もはや耐え難いことだった。

「何か問題を起こしたわけでもなく、あの子自身は手先も器用でいい子ですよ。もう少し様子を見てもええんちゃいますか?」
努めて冷静に、そう意見を述べるのが精一杯だった。
結局、案は何か不祥事があればという形で決定を免れたが、スタッフのほぼ全員、俺と同じ気持ちだったのではないか。みんな小宮が好きだったのだ。彼の誕生日には番組内でサプライズパーティをやるほど、親密な仲間の一人になっていた。むろん、ビジネスは遊びではないのだから、厳しい意見が出るのは当然ではあるのだが。小宮と会って話せるのは時間に限りがあると改めて認識させられた、俺にとって恐ろしい出来事だった。
そう考えると、可能なうちに思いきって自分の気持ちを打ち明けたほうがいいのかも知れない。俺にそんな勇気と余裕があればの話だが。

次の収録日、撮影前楽屋にいる小宮に声をかけてみた。都合のいい日で構わないから、晩飯を(おご)らせてくれないかと提案してみたのだ。肉が食べたいというので、その晩ステーキのチェーン店に連れて行くことにした。撮影スタジオの近くにあり、常に人気で行列が出来ているような店だ。
ログハウス風の店内に入ると、やはり客が多かった。が、すぐに窓際の四人席に座ることが出来た。
「この前、どうして一人で先に帰っちゃったの? 話があるならあの日に話してくれればよかったのに」
「あの日はもともと体調がすぐれなくてな。慣れないサウナで調子崩してしもうて、ごめんな」
もっともらしく言い訳をしたが、本当の理由など言えやしない。しかし今日肉で釣ったのは、本音を話す覚悟を決めたためだ。

赤いクロスを敷いたテーブルの上に、店員が運んできた鉄のステーキ皿が二つ置かれた。肉は、まだじゅうじゅうと焼き音をたてている。小宮は無邪気に喜んで、笑顔で一切れを頬張った。
「お肉なんて食べるの、本当に久しぶりだもん。最近ラーメンばかり食べていた気するし」
お互い男の一人暮らしだし、なんだか本当にそんな食生活を送っている気がする。そうか。子犬はこれからも、焼きたての肉で釣ればいいのか。
「実はこの前の会議で、玲くんとの契約を見直したらどうかという話が出てね。玲くんはどう思うのか、本心を聞いておきたい」
食事の途中で聞かないほうが良かったのかも知れない。小宮は一気に不味(まず)そうな表情に変わった。
「僕は続けていきたいに決まってんじゃん」
俯いて、不機嫌そうに咀嚼(そしゃく)している。「辞めてほしいの? 」上目遣いで見る両目に、杞憂(きゆう)が混じった。
「玲くんが嫌じゃなくて何も問題がなければ、続けてほしい。ファンからの応援の声も多いし、結局そういう結論になった」
小宮は安堵したかのように小さく息をついたあと、
「こういう時って、枕営業とかすればいいのかな」
冗談を言った。いや、冗談と思ったのは俺だけで、小宮は本気で俺がそうすることを迫ってきたと思ったのではないか。その証拠に、
「僕のことが、好きなんでしょ?」
いきなり衝撃の一言を言い放った。
「いや…」
動揺するのは、俺の番だった。反射的に否定しようとしたが、よく考えれば本音を話す覚悟を決めてきたはずだ。
「まあ、そうやな。みんな玲くんのことが大好きや」
「いや、みんなじゃなくて」
小宮は意地悪く、小悪魔的に苦笑する。
「いいかげん、本当のこと言いなよ。いくら僕だって、さすがに勘づくよ。いつもやさし過ぎるし、僕を見る目つきが明らかに他のスタッフさんと違うもん」
俺は敗北したかのように黙りこくった。ばれていた。何も言わずとも、小さな子犬にとっくに下心を見抜かれていたのだ。
「サウナに行った時、確信したよ。あんなにあからさまに体をじろじろ見られたら、やっぱりそうなんだと思うよね」
ちらちらのつもりだったが、じろじろになっていたのだろうか。もう口の中に入れていた肉の味がしない。ワインで一気に塊を喉の奥に流し込む。ワイン色の羞恥心が、体いっぱいに広がる感じがした。

子犬にここまで恋心をズタズタに噛まれて、
「じゃあ今晩、俺と一緒に寝てくれへんか」
と、開き直って厚かましく本音を言うことはとても出来なかった。これ以上この子に蔑まれたくないし、プライドを傷つけられたくない。小宮はこんな俺を憐れに思ったのか、
「じゃあ、する?」
やさしく、慰めるように問いかけてきた。
「一回だけ、僕としてみる?」

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