第1話 調理されるんは、おまえや ! 

文字数 2,312文字

子犬が飼いたい。
とびきり可愛くて従順な、自分にだけなつく子犬。

理想の子犬と出会ったのは、二年前だった。
俺の勤務する会社は、自社が販売する調理用品を宣伝するため、動画サイトで料理番組を配信している。俺がディレクターを務めるその番組アンバサダーとして現れたのが、初めての出会いだった。
小宮玲(こみや れい)といいます。よろしくお願いします」
あどけない幼さの残る声と顔立ち。聞けばまだ十八歳だという。
最初は、「美少年やな」くらいしか思わなかった。本当は若い女の子のほうが良かったが、すぐに思い直した。明るく人懐こい子で、女の子には通じないような冗談や本音も軽く言い合うことが出来、話していて楽しい。礼儀正しく気配りも出来るので、スタッフの誰からも好かれている。
しかし、肝心の動画のチャンネル登録者数や再生回数は伸びない。つまらんからだ。売り出し中の若手俳優がスタッフと冗談混じりに雑談しながら大して珍しくもない定番料理を作っているだけ。もともと調理用品の宣伝動画だし、この子のファンかよほどの料理好きくらいしか覗いたりしないのだろう。悲しいかな、数字がさほど興味を持たれていない証となっている。
自社製品はともかく、この子はなぜ興味を持たれないのか不思議だった。顔が小さく背も高いモデル体型。最初は子供に見えたが、二年のあいだ会うたび成長して大人の男らしくなり、ますます美しくかっこよくなった。

「お父さん」
番組収録前、座って台本を読んでいる時、そう呼ばれ後ろから抱きつかれた。小宮がふざけて笑顔でじゃれついてきたのだ。
「お父さんってなんや。まだそんな親父ちゃうで」
とっさにそう返したが、自分は考えられなくもない中年男だ。男の子は、こうやって少年から青年になっていくのだな、と父親気分で見守り接していた部分も多い。
「別に深い意味はないよ。背中が広くてがっしりしてて、お父さんみたいだったからそう呼んでみただけ」
無邪気で愛くるしい笑顔で言われると、なんでも許してしまいそうになる。信頼して、甘えてくれているのだろうか。可愛い。こんなふうに可愛くじゃれついてくる子犬が欲しい。

その時ふと、この子を自分の子犬として飼ってみたらどうかという考えが浮かんだ。なんでも言うことを聞く従順で可愛い子犬。
野心に似た思いが、時間と共にどんどん膨れ上がってゆく。飼いたい。飼いならして、自分だけの愛犬としてゆっくり躾をしてみたい。そんな野望が体のどこかから湧き出して匂いたち、誰かに嗅ぎとられるのではないかと不安になったほどだ。疲れて帰宅した時、こんな子犬がさっきみたいに可愛くじゃれつき甘えてきたら、どんなに癒されることだろう。そして飼い主で御主人様である俺の命令になんでも素直に従ういい子でいるのだ。
この気持ちは、一体なんなのだろう。愛欲か。単なる支配欲か、独占欲か。いずれにしても欲であることに変わりはないと思える。

収録用のキッチンに立つ小宮を見る目が、熱を放ち燃えていることが自分でもわかった。きっと今の俺は、顔つきも恐ろしく誰が見ても異様な雰囲気になっているはずだ。
本日の献立は、チーズ入りハンバーグ。細長くきれいな指先で、小宮が玉葱を刻んでゆく。
「はあい、それじゃあ調理を始めていきまあす」
何も知らずカメラに向かい話しだす小宮を、俺は仕事とは違う真剣な目で見た。

調理されるんは、おまえや!

こだまする俺の心の叫びに、小宮は何ひとつ気づいていないふうだった。

次の収録日、ヘアメイク室にいた小宮が少しうなだれて見えた。俺の子犬は、どこか体調が悪いのかも知れない。
「どうしたん? 最近仕事が忙しくて、疲れとるんちゃう?」
さりげなく聞いてみると、
「そうかも。少し疲れているのかも」
素直に答える。今日はふざける元気もないらしい。
俺は椅子を引きずってきて、小宮の左横に座った。
「休んでもええんやで。もっと周りに甘えてもええんや」
「そういうわけにはいかないよ。仕事なんだから。仕事を勝手に休んだりしたら、結局困るのは自分だよ」
この子は、若いのによくわかっている。
「たまには、気晴らしに遊びに行ったりせんとな。友達は多いほうやろ?」
小宮は、溜息をついた。
「友達は皆、ライバルだよ。この業界の友達は特にね。仲良く一緒に写真を撮ったりしているけど、内面ではいつも競い合っているんだ。どっちが上か下かってね。かえって気が休まらないよ。一人でゲームしたりアニメ観たりしてるほうが気が楽かも」
珍しく深刻に思いつめた表情をしているところを見ると、本当に疲れているらしい。
「お父さんやろ」
小宮は顔を上げ、丸く見開いた目を俺に向けた。
「俺は、お父さんや。ライバルになることもないし、競い合うこともない。好きなだけ愚痴や不満を言って甘えてくれたらそれでええねん」
先日の自分の言動を思い出したのか、ああ、と息をつきながら、小宮は少し笑った。
「良かった。笑うてくれた。やっぱり笑顔のほうがずっとええな」
「ほんまにお父さんみたいやな」
小宮もつられて関西弁になる。おどける余裕が出てきた証拠だ。
「俺は玲くんみたいにイケメンでもなんでもない、ただのおっちゃんや。歌もダンスも演技も出来へん。ただ年を重ねた人生の先輩やゆうだけで」
「尊敬してます。先輩」
ようやくいつもの愛くるしい笑顔を見せてくれた。
「俺の前ではなんも格好つけることあらへん。仕事の関係なんかも気にせんでええ。ほんまのお父さんや思うて、これからもなんでも気楽に本音をぶつけてくれたらええんや」
「ありがとうございます。なんだか少し…楽になりました」

気楽にさせる。
安心させる。
甘えさせる。
心を開かせる。
そうしてゆっくりと、俺のものにしてゆく。

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