第2話 オジサンが好き

文字数 2,384文字

二週間が経った。この日は番組収録の後、打ち上げと称して駅前の居酒屋で飲み会があった。

古民家風の店の隅々に、(とう)のランプシェードで作られた間接照明が置かれており、中はほんのりと薄暗い。
四角い(けやき)のテーブルを十名ほどが囲んだが、人影も邪魔をして、右斜めに座る小宮の顔色や表情はほとんど見えなかった。二時間ほどで解散となり、スタッフ全員が残らず引き払った隙を見逃さず、
「もう帰るん?」 俺は小宮の背中に声をかけた。
振り返った顔色から見て、酔っているふうには見えない。
「そのつも…」
「俺の住むマンションこの近くやねんけど、ちょっと寄っていかへん?」
小宮の返事を(さえぎ)るあたり、自分でも焦っていることがわかる。断られることを覚悟していたが、意外にも簡単に承諾を得た。

が、今更ながら動揺が襲ってきた。声をかけたのは、衝動的だったのだ。ろくに掃除もしていない一人暮らしの男の部屋に、他人を迎え入れる準備など何もしていない。ドアを開けると、案の定玄関に脱ぎ散らかした靴が散乱している。
「汚いなあ」
小宮は笑いながら、面白がってくれた。大雑把(おおざっぱ)な自分はとっくに知られていると思うし、気取ることなどないのだ。
「さっきはろくに喋れへんかったから。二人で少し飲みながら話そう」
そう言って、ベッド前の硝子テーブルに冷蔵庫から持ち出した缶ビールを二本置く。気楽にしてもいいと感じたのか、小宮はベッドを背にして勝手に座った。両手を後ろ手につきながら体を倒し、興味深げに狭いワンルームをゆっくりと見渡す。テレビも本棚もない。本や書類は窓際に置かれたデスクの上に、古いパソコンと共に全部積み重ねられている。
「仕事や寝るためだけの部屋、って感じだね」
率直に嫌味なく本音を言うところが、この子のいいところだ。

その時改めて、ハッとした。
俺はいま、仕事と寝るためだけの自分の部屋に、初めて理想の子犬を迎え入れている。そう気づくと、心の奥底に沈殿(ちんでん)していたこの子を飼いたいという欲望が、鮮明に蘇り込み上げてきた。
「一人じゃさみしいから、僕のこと呼んだんでしょ?」
欲に満ちてきた俺には気づかず、小宮はそう言ってわずかにビールを飲んだ。
「僕も一人暮らしで寂しいから、気持ちがよくわかる。飲みに行ったり遊びに行ったりしてみんなと別れたあと、無性に寂しくなって一人ではいられなくなるんだ。もうさみしすぎて」

着ていたジャケットを脱ごうとする左腕を、俺の右腕が強く掴むと、小宮は話すのをやめ驚いて俺を見た。そのまま押し倒しベッドの上に上半身を乗せる。そうして、何か言いたげな小宮の唇を自分の唇で強引にふさいだ。ビールのほろ苦い香りがやや残っている。
「どうして、こんなことするの」
唇を離して小宮の目を見ると、困惑と狼狽(ろうばい)、恐怖の色が濃く浮かんでいる。かすかに瞳と体が震えているようにも感じた。怯えた表情のまま両手で俺の体を突き放そうとするが、俺は左腕を掴んだままだ。
「はっきり言っておくけど、俺別にゲイじゃないから。BLドラマとかよく出るから誤解されやすいんだけど、同性が好きなわけじゃない。普通に女の子が好きなんだ!」
必死になってキャンキャン吠える子犬。悪いと思ったが、このうろたえ具合を眺めるのも面白かった。同時に、「普通に」という小宮の言葉が、妙に(かん)に障った。
「普通…って、なんや?」
小宮は黙って俯いた。
「ただの主観や。せやろ?」
そう言ってもう一度キスしようと顔を近づけると、小宮が俺の首に両手を巻きつけ勢いよく抱きついてきた。
「どうしてこんなことするんだよ。お父さんって言ってくれたじゃんか。信じてたのに。お父さんがこんなことするのかよ!」
そう言って、幼い子どものように泣きじゃくる。どうやら小宮にとっては、キスすることはひどい裏切り行為だったらしい。
あんまり泣くので、欲で鬼と化していた俺も、だんだんと冷静になってきた。
「もう泣かんでええ」
抱きついたまま泣きじゃくる小宮の背中をやさしくさする。
「俺が悪かった。酔ったみたいで、ついおかしなことをしてもうた。玲くんがあんまり可愛いから、女の子に見えたんやろな」
これ以上強引なことをしたら、せっかく手なづけた子犬の心も離れていってしまう。
「ちなみに俺も、ゲイちゃうで」
そう言って安心させたが、その真意は小宮の前では怪しくなる。
「本当?」
ようやく落ち着いたのか、小宮は涙を拭いながら、ベッドの淵に座り直した。背中に手を置いたまま、俺も左横に寄り添う。

「実はこの前ね」
打ち明けるように、小声で話し始めた。元気がなかった時の話だろうか。
「友達に、好きだった彼女を奪われたんだ。付き合いが長く信頼していた友達にね。すごくショックで人間不信気味になって…そんな時にあんなにやさしくされて、嬉しかった」
やさしくするのは、下心がある証拠やねんけどな。なんて、いまの不安定になっている子犬にはとても言えない。
「これからもやさしいお父さんで、尊敬出来る人生の先輩でいてほしい。仕事もいい関係で続けていきたい」
そう言われ澄んだ瞳で見つめられると、うん、と答えざるを得ない。俺はおまえが飼ってみたいんや、とは、とても本音を言えない。

「でも僕、ゲイの人の気持ちが、時々わかるような気することある」
余裕が生まれたのか、小宮は少し笑って寛容を見せた。
「女の子って、面倒くさいんだ。細かいことをいちいち気にしたり、すぐにヒステリー起こしたりさ。男の人のほうが、大らかで一緒にいて楽に感じることがある。僕だけの感覚かも知れないけど」
少し照れた表情を浮かべ、まっすぐに俺を見た。
「特に若い男の人より、年上のオジサンのほうが好きかも。包容力があるっていうか、一緒にいてすごく安心する」

俺に気を遣って言ってくれたのだろう。
「オジサンが好き」。台詞を録音したいくらいだった。子犬にそう言わせただけでも、今夜はまず良しとしよう。

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