第7話 蟷螂之斧 もしくは信長の悪戯心

文字数 1,460文字

 翌朝。この日は奈良、そして堺へ行く予定であり、その準備をしている時だった。
 密偵が来た。
 (くだん)の美濃勢がこちらに向かっているとの報だった。どうやら小川(こかわ)表の細川殿に行こうとしているらしい。当然のことながら、信長は彼らの動きを偵察させている。
「見物に行く」
 信長は言った。
 すぐに随行者の名前を挙げると、清須城内のような身軽さで馬に乗り、外へ出た。
 この時もまた、いたずらを仕掛ける前の子どもの心理になっている。
 裏築地町の北にある上立売通りを西に行くと、そこに細川家の屋敷がある。現在でも歩いて十分かからない。
 当時、この辺りは細川殿の他にも三好家の屋敷や近衛殿、飛鳥井殿など武家や公家の屋敷が点在していた。また、宝鏡寺や大心院など寺も多く、上京でも人通りの多い場所だった。
「奴等です」
 信長の側に従っていた金森長近が小声で言った。六人いる。
 信長は頷くと馬を降り、長近が目で指し示した集団に向けて歩き始める。信長の周囲を近習たちが取り囲み、異様な集団となって美濃勢に近づく。
「良い。開けよ」
 立ち止まり、硬直しながら人の塊を見ている美濃の男たちの前、割れるように人が左右に分かれ、中から信長が現れた。
「おみゃーらが儂を討ちにござった奴らか」
 信長はわざと地言葉丸出しで声を掛けた。美濃の人間には通じるが、遠巻きにこちらを見ている都人には伝わらないだろう。
「若輩者が」
 吐き捨てるように言う。美濃の男たちは誰もが動けず、言葉も出ない。
「おみゃーらだけでこの儂を狙うとは」
 見回すように美濃の一人一人を睨めつけると、
蟷螂(とうろう)が斧みてぇなもんだで」
 蟷螂之斧、カマキリが牛車に向かって前脚を振り上げて威嚇しているという中国の故事。自分の弱さを省みず強敵に挑むこと、愚かな抵抗のたとえで使われる。
 信長は冷静に言葉を選び、相手に言葉を挟む余裕を与えない。一拍だけ間を空けると、
「たわけが、ここで勝負すっか」
 目を見据え、大声で一喝した。
 信長、大名の家に生まれ育ち、様々な脅しや争いを小さなころから目にしてきた。これくらいの啖呵はお手のものといえる。美濃の六人は蛇に睨まれた蛙のように立ち竦み、一言もなかった。

 信長はその後すぐに京を離れ、堺へ向かった。彼にとって上洛のもうひとつの目的は堺をこの目で見ることだった。
 途中奈良に立ち寄り、一泊した。京もそうだが奈良の寺院も堀や柵で塀の周りを囲い、武装化している。その物々しさは京よりも上という印象を信長は持った。
 平安末期から続く武士政権の中でも、大和という地は寺院の力が強かった。足利幕府も守護を置くことが出来ず、興福寺がその任についていた。
 戦国といわれる当時も大和の国には強力な支配勢力がなく、筒井氏などの地元勢力や幕府系の細川氏、畠山氏、そして三好長慶の家臣である松永弾正などが互いに睨み合っている。
 そのため、興福寺や東大寺など、主だった寺院は自衛のための武装を余儀なくされ、衆徒(しゅと)と呼ばれる武士や武装の僧が門前や周囲で警護をしている。それはまるで城郭のようだった。
(仏教という勢力は、放っておくと障害になるかもしれない)
 信長は自由に入ることができない寺院を外から見ながら、そう思った。
 もしこれらの寺院と戦になれば、落とすにはかなりてこずりそうだ。少なくとも今の力では無理だろう。信長はそんなことを考えていた。
 これまで人に言ったことはないが、信長は天下というものを既に意識していた。未だ尾張一国の統一も果たせてはいない。しかし彼の目は、既にその向こうを見渡していた。
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