第81話 今川家の戦支度

文字数 1,980文字

 また、熱田は尾張の主要港の一つだった。熱田の湊を押さえれば、織田は尾張の制海権を失うことになるだろう。
 大高城を囲む砦つくりの時もそうだったが、天文二十三年(一五五四)村木砦の戦いの際も織田信長は熱田から渡海した。清須にも城下を流れる五条川沿いに港があるが、大軍団が海へ出るほどの船や設備はもっていない。
 しかも津島の南にあたる鯏浦(うぐいうら)城(愛知県弥富市)には織田家に反目する服部(はっとり)友貞(ともさだ)がいた。友貞が率いる服部党は水軍を持っており、今川家と交流がある。彼らを使えば尾張の海上を東西から囲むことが可能だ。
 そして義元は、経済や軍事面とは違う意味で、織田家を滅亡へと導くことが出来るかもしれない、と見ている。
 熱田と津島はそれぞれ熱田神宮と津島神社の門前町として発展してきた。特に熱田神宮は三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀る別格の神社だ。そのため熱田という場所は尾張の人々にとって魂の拠り所ともいえる特別な場所だといわれていた。
 つまり織田信長にとって熱田を失うということは単に金蔵の一つを失うということではない。領民の信用を失い、家臣の結束が大きく揺らぐということだ。
 義元は熱田を得るまで早くて一月足らず、遅くとも二ヵ月と目算し、重臣との評定の中で必要な人員と物資の調達を指示した。

 このことと並行して評定では奉行や目付など役職の任命と割り当てが行われていた。
 総大将はもちろん今川義元。そして総大将の補佐役といえる(いくさ)奉行には吉田氏好(うじよし)が任命された。氏好は堂上家(とうしょうけ)という昇殿を許された家格の一つ吉田家に繋がる人物で、元々は駿河へ下向した公家の一人だった。武士になるのは彼自身が望んだことだが、能力というよりも公卿家という家柄が彼をこの役職に就けた。この戦には朝廷の認可を受けているという印象づくり、いわば大義名分のためだ。
 そういう意味で彼は錦の御旗といっていい存在といえる。
 義元の側近頭である庵原元政は旗奉行となった。旗奉行とは本陣の幟旗や旗指物を管理する役職だが、元政の場合つまりは本陣の庶務全般と後の論功行賞の管理という意味合いを持っていた。
 本陣の総大将から足軽槍隊までの槍を管轄する槍奉行は伊豆元利がなった。元利は義元の側近の一人で庵原元政のすぐ下の部下にあたる。事務能力の高い元利は農民兵の徴集の実務も担当することになった。
 大まかな人事の後に話し合われたのは農民兵の徴集の仕方だった。具体的にはどの国から何人の兵を集めるか、ということだ。義元の求める総数目標は二万五千。特に三河を重点的に集めるよう指示した。
 元康を当主とした松平氏が治める西三河はもちろん、東三河もその中に含まれている。
 小豪族が割拠する東三河は義元の初期から支配下となってはいたが、豪族間の争いや織田の裏工作などがあり度々戦が起こっていた。その度に義元は家臣を派遣して争いを治めたり駐留させたりしたが、ここ一年は松平が実質上今川傘下となったため、東三河の諸豪族も今川に誼を通じようとしている。
 義元としてはこの機会に東三河も今川の領土として固めておきたいという腹があり、義元が自ら出陣する理由の一つがそれだった。
 そのため、行軍は全軍陸路とする。
 東三河を大軍団で横断すれば東三河の領主たちはその威容に反抗する気も失せるだろう。先を争って義元への面会を望み、忠誠の言葉を唱えるに違いない。
 要するに義元は、三河から南尾張にかけての完全制覇を目論んでいた。そして自らの出陣は、それを実現させるための手段だった。

 二月を過ぎて間もないある日、評定後に朝比奈親徳が義元の控え部屋を訪れた。義元は人払いを命じ、右手側の脇息に体を預ける。
 親徳は一つ咳払いをし、やや小声で話し始めた。
「小河の水野下野(しもつけ)(信元)ですが、なんでも当方へ誼を通じたいとか」
「ほう、水野か」
 顔には感情を出さないが義元の目が一瞬睨んだように光った。興味をお持ちになったな、と親徳は思った。
「備中か」
 やや間をおいて義元が聞いた。
「ご明察でございます」
 親徳が頭を下げる。
 遠州掛川城城主の朝比奈泰朝からの情報という意味だ。泰朝は備中守という官位をもっている。
「刈屋の水野藤九郎(信近)から話があったそうです。なんでもこの正月に下野の方から当方に誼を通じるよう申し入れがあったとのこと」
 親徳は詳しく話し始めた。
 水野信近が掛川城へ密使を派遣したのは一月中頃だったという。使者の身元を確かめた朝比奈泰朝は自ら接見した。使者は泰朝と義元に宛てた書状を渡し、口上を述べた。
 きっかけはやはり向山砦だった。砦を守れなかったことで織田信長が激怒したという。清須城へ詫びに訪れた正光寺砦の佐々(さっさ)政次(まさつぐ)と氷上砦の千秋(せんしゅう)季忠(すえただ)は信長に会うことさえできなかった。
 清須に行けば命を失う。
 信近の兄で小河城城主の水野信元は身の危険を感じたという。
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