第16話

文字数 3,316文字

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 翌日、男は角刈りたちに襲われたことをサニーに説明し、作戦会議の無断欠勤を謝罪した。その日もやはり、重労働をこなしながらの会話。
 「安心しました」
 男の無事よりも、自分が密告されたのではないかという疑念を払拭できたことに安心している口調だった。逆の立場なら、男もそう疑っただろうと思い、反感を抱きはしなかった。
 「それにしても、いい面構えになったじゃないですか」
 調子を変えて、いつも通りの軽薄な印象で男を笑った。
 「やめてくれ、まだ痛みが残っているんだ」
 「連中の容赦のなさは、警備員になるための予習なんですって」
 「プロボクサー目指して青春するティーンエイジャーって風には見えないけどな」
 「警備員ってのは、この町じゃ一種の権威ですからね。外界出身者が我が物顔するには、それくらいしか思いつかないんでしょう。もうこの町の尖兵気取りでいますから、彼らにスマホとか外界のこと訪ねたって、どうせ知らぬ存ぜぬの一点張りでしょうね。下手に近づかないでくださいよ」
 男の脳裏に飢えた豚と、童顔の顔が浮かんだ。言われてみれば、残酷を体現した表情は、東京の街に似合っているのかもしれない。
 ……喰うか喰われるか、どいつもこいつもよだれを垂らして、獲物を探すのに余念がない。自分だけが王様の街。Mもそうだった。ぼくがどれだけ彼女の我儘を聞き入れてきてやったのか。そのときは愛らしい笑顔で騙されてしまうが、翌日の記憶喪失は関心するほどだ。ぼくが失敗をしでかしたときは、蟻を踏み潰すときみたいな色のない表情で詰問してくるくせに。自分の過ちを、他人の失敗で上書きする。そして、そもそも出会っていなかったとでも言いたげに、ぼくの言葉は一方通行になっていき……
 「ところで、きみ。やっぱり職業柄、情報通のようだけど……ボクサーたちが外界出身ってことも知ってるし……その、彼女のことはなにか知らないかな」
 思春期の少年みたいに言葉をぼそぼそと。
 「彼女?」
 「ほら、いっときぼくの側で唄っていた……」
 側で、という部分をことさら強調して。
 「ああ、あのひとですか。さあ、町の顔役みたいな面もあるようですが、調べるにしてもパンドラの箱を開けるような感じするんですよね」
 「ここまで来る気概があるんだったら、どうとにでもなるんじゃないの」
 「あくまでも安全圏内からがもっとうなので」
 男が落胆した様子を垣間見せるので、サニーはからかうように口もとを緩めた。
 「ははん、いいですね、いつまでも忘れない恋心」
 「馬鹿、そんなじゃないよ。いろいろ世話になってるしね、身許くらいはっきりさせておきたいのさ。きみと違って、彼女は口が固いから、なにも教えてくれなくてね」
 「口が固いって、これはまた、意味深だな」
 サニーは手を輪の形にして口もとで上下させた。卑猥な手つきと舌づかいは、男を無言にする。
 「そう怒らないでください。誠実なんだな、復住さん。尊敬しちゃうよ」
 「そんな調子で、よくこの町でやってこれたな。ぼくはいつまで正気を保っていられるか……」
 「職業柄、いろんな人間の顔色ばかりうかがってきましたからね。カメレオンが灰色になるなんて容易いですよ」
 「若者の傲慢だな」
 自分もそんな時期があっただろうにと思いはしたが、おくびにも出さず、鼻で笑うだけだった。
 「ところで、この町に来てから、あれはやっていますか?」
 サニーはにたにた笑いながら、今度は、輪の形にした手を下腹部のあたりで宙に浮かし縦に動かす。
 「いいだろ、そんなことはどうでも」
 「図星ですね。なにも恥ずかしがることじゃありませんよ。こんなズボンはかされているでしょ。そりゃ、溜まったもん、自分で処理する以外にしようがないじゃないですか。商品の依頼書から道具購入できるのも、そこんところ計算に入れているんだな」
 「去勢された猫の気分だよ」
 見てはいないが、下腹部のあたりでいも虫が縮こまるのを感じながら。
 「限られた土地ですからね、むやみやたらな繁殖を避けさせる目的じゃ、あながち間違った表現じゃない」
 「恋愛まで管理されているっていうのかい」
 「恋愛なんて、ただの口実でしょ。計画的に男と女を交尾させて、子ども産ませるんですよ。唄わされているのだって他に目的があって、歌の上手い、下手を番いの選別基準にしているそうです」
 「まるでモルモットだ。求愛の歌じゃあるまいし」
 男は足もとに唾を吐いた。
 「種を存続させるなら間違っちゃいないと思うな、結婚の必要なし、恋愛も必要なし、少子化対策としては合理的じゃありません。育児中の養育費はもちろん、もろもろの費用まで町が面倒みてくれるんだし。ただ、神聖な儀式ですからね、年に一度っきりなんですって。どういう仕組みかはわかりませんが、ズボンを脱がせてくれるそうです。それまで我慢できず、自分のズボンをハサミでかっ裂こうとしてペニスに刃を突き立ててしまったのもいるとか。角度が悪かったんだな。いや、それ以前の話か。頑丈なズボンだから、ハサミなんかで切れたら苦労しないですね。よっぽど男性ホルモンの分泌される体質だったんでしょうか。急いで病院に担ぎ込まれたんですが、突き刺さった部分がその、男の一番感じやすいところで、それに手遅れで、もう使いものにならなくなったそうです」
 縮こまったいも虫がさらに萎縮してしまう。
 「生まれてきた子供はどんな顔して親を見るんだ」
 「教育って便利なんですよ。はじめから、こういう風にするっていうことを刷り込んでおけば、それしか知らなくなるんだから、疑問なんてもちっこありませんよ」
 「人間、そんな単純になれるもんかね」
 うつむき加減になにか思案した面持ち。
 「男だって、女だって、けっきょく損得勘定で相手選ぶんだから、けっこう単純だと思うな。人間だって、動物ですからね。種の存続にちからは必要不可欠なんですよ」
 「妙にこの町の肩をもつじゃないか」
 「そんな意味はありませんよ。ただ、誰しもがそううまくことを運べるわけじゃありませんからね。選択肢をもっているのは、女性が大概だし」
 心の傷がえぐられたような気分になり、男は苦いもので噛んだ表情を浮かべた。
 「なんか似てるな、あのひとに」
 「あのひと?」
 「ぼくよりも前に町へ来たひとがいたんですけど、なんでも携帯会社の営業マンとかで。新規参入の携帯キャリアらしくて。開拓者精神が旺盛だったんでしょうね。わざわざ、この町へ飛び込み営業に来て。まずは基地局の設置から提案し、インターネットの導入、情報の開示まで、立派な企画書を携えていたって話です。まあ、一、二頁、めくられただけでしょうけど。あとはメモ帳になったのが目に浮かぶ」
 「それはまた、災難な目に遭ったんだろうな」
 「お察しの通り、そのひともまた融通のきかないひとでね。かと思えば、繊細な一面もあって。ぼくがここへやってきた当初は、なにかとお節介をかこうとするくせして、こっちが指摘してやると、おセンチになったりしてね……おっと、失礼、なにも復住さんが頭でっかちだとか言いたいんじゃないんですよ」
 「自覚はあるさ」
 目を伏せたまま、皮肉な微笑が浮かぶ。
 「散々、警備員や町の連中にいびられたみたいで。半年も経って更生されないから、諦められたんでしょうね。気がついたら、町から見かけなくなりました。霧になって、そのままどこかへ蒸発しちまったのか。もう、誰もおぼえてませんよ、きっと」
 「他人事だとは思えないな。ぼくもそうなっていた可能性はある」
 「やめましょう、こんな話。ぼくらには関係なくなるんだから」
 同意の沈黙が流れる。
 「こう深刻にものばかり考えてちゃ、ノイローゼになってしまいますよ。たまには息抜きしないとね」
 「息抜きたって、どうせ繁華街しか出るとこないじゃないか」
 サニーは突然、けけけと小悪魔のような笑い声を立てた。
 「今夜、合唱広場へ来てください。歌の練習だとか言っておけば、警備員も多めに見れくれますよ」
 「歌なんてもうどうでもいいじゃないか。それより、作戦会議はどうするんだ」
 「急がば回れ、ですよ」
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