第14話

文字数 2,966文字

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 男は自動運転車の一部品になって、町を走り回っていた。運転席に設置されているモニターに配送先の住所を入力すると、車のほうで勝手に順路を割り当て、後は勝手に走り出すといった寸法である。
 配送先の住居へたどり着くと、男は車から降り、荷物を運び出して住居の扉前へ置いていく。車を駆使しているのか、車に駆使されているのか、男は自分が自動運転人間のように感じられた。
 ……サニーが取材先としてこの町を訪れた際、やはり警備員の検問が待っており、スマホを没収されたとのことだ。サニーやぼく以外にも外の人間がこの町を訪れているのは間違いないだろう。その度に、スマホが没収されているのなら、そのスマホはどこにあるのだろうか。
 飾りだけの運転席に身を置いていることは、男にとって労苦を厭わないだけではなく、女の住居を発見できないだろうかという好奇の目を十二分に機能させるだけの恩恵もあった。しかし、プライバシー保護優先で宛先には住所しか記載されておらず、受取人名は不明、探索は困難を極める。
 ……それ以前の話だ。ぼくは彼女の名前を知らない。それに、今日ばかりはそれどころじゃない。進展がありすぎて、処理に時間を要してしまう。外からの人間が他にいることはわかった。だけど、彼らが自ら口を割らないのであれば、永遠に正体を知ることはできない。ひと月経って、ようやく仲間の意思を表明してくれたのは、サニーだけなのだから。あるいは、サニーがそうだったようにぼくのことを味方かどうかの判別をつけ兼ねているだけなのかもしれない。こちらから声をかけてみるか。
 荷物の運搬途中に出くわす住人たち。すれ違うと軽い挨拶を交わす。住人たちが男を見る目はどこか猜疑心が含まれているように感じられた。町の一員として完全には認められていないのかもしれないと、男は不安をおぼえた。
 ……ロシアンルーレットに活路を求めるなんて、どうかしている。それに裏工作というのは少人数のほうが活動しやすい。なにもこの町で革命を起こそうというわけじゃないし、彼らを救おうという慈善家でもない。ぼくが助かること、それがまず優先されるべきことなのだ。ひとりでも脱走できれば、外に救援を呼びかけることだってできるのだ。彼らの未来を潰すも潰さないも、ぼくしだいというわけか。
 電信柱の陰には警備員が隠れていることもあり、男が気を抜いているときにその姿を見つけると、生きた心地がしなかった。轢き殺せるのならそうしてやりたいと思いもしたが、手動運転の切り替えは備わっておらず、決められた順路をすべて走り終えるまで、男は車に隷属しなければならなかった。
 ……とはいえ、ぼくの命運自体が、サニーしだいなのだ。作戦もまだ聞いてはいない。ロシアンルーレットでないにせよ、一等か外れしかない宝くじを買えと言われているようなものじゃないか。
 規定の十六時までに終えられる量の荷物を運び、車は一旦、倉庫まで戻る。次の運転手と交代し、男は職場から解放された。

 …。
 帰り道、陽は朱に染まって、水平線に沈みゆく準備をしている。
 男は繁華街へ向かっていた。カフェでサニーと待ち合わせの約束をしている。ひとが多いところで会っては作戦会議にならないのではないかと案じたが、雑踏に紛れてしまえば誰がなにを言っているかの判別なんてできっこない、というのがサニーの持論であった。ひと気のないところで交わされる密談は見つからないメリットもあるにはあるが、見つかった場合はどう言い訳しても事件の種として扱われる危険性が潜んでいるというので、男は賛成することにした。WEBライターをやっているというのだから、自分の足でネタを探し、張り込みも得意な探偵業も兼任しているのだろうと、男の想像力を掻き立て、その言葉には納得させられるものがあったのだ。
 ふたり揃って倉庫を出なかったのは監視の目を警戒してのことだった。サニーが先にいき、カフェで席をとっている手はずだ。
 男はやや急ぎ足だった。目立ってはいけないと自分を戒めても、垂れ下がってきた蜘蛛の糸を目のあたりにしては興味をそそられずにはいられない。ちょうど倉庫と繁華街の中間地点を歩いている。周囲には目立った建物はない。ひと気もないので誰にも咎められる心配はないと楽観する。
 釘で刺されたみたいに足もとから衝撃が走ったのは、そのときだ。ことが上手く運ぶだろうと期待していたがための自分に対する裏切り。
 疾風が吹き、男は囲まれていた。周囲になにもないとはいえ、広すぎる視界はかえって油断を誘う。注意を怠らせ、結果的に視界は狭められたのだ。
 それにしても、速すぎる動きだと、男は平静さを装いながら男たちを観察した。角刈りの男たちが三人。ボクシンググローブをはめている。しゅっ、しゅっ、とすぼめた唇から息を吐き、華麗なステップを踏み、シャドーボクシングをしている。繁華街にあるボクシングジムの連中らしい。見えないパンチは、交渉を有利に進めるための威嚇にすら見える。
 「おやおや、お兄さん。そんな急ぎ足でどこにいこうってんだい」
 角刈りのひとりが下手な芝居口調で言った。
 「冗談はよしてくれ。仕事終わりでへとへとなんだ」
 「へえ、へとへと、ねえ。その割に、軽そうな足取りだったけど」
 三人は余裕を笑みに浮かべ、しゅっ、しゅっと言いながら、アウトボクシングの要領で相手から届かない距離感を保ちつつ、男の周囲を旋回しだした。事態に対する脳内処理がおっつかず、男は半ば混乱してきている。警備員に言いがかりをつけられるなら理解(?)できるが、住人たちの計らいで、こんな状況下におかれることは男の望むところではなかった。予測していなかったわけではないが、決定打になるようなへまはまだしていないし、陰険な印象を与える爬虫類みたい連中はいるにせよ、牙を生やした肉食獣が従順さを強いられるこの町にいるとは予想もしていない。
 「こんなことしたら、警備員が黙っちゃいな……うぷ」
 ひとりがステップインし、ボディストレートを男の腹に喰らわすと、男は耐えきれず、片膝を落としてしまう。
 「ダウン! ワン……ツー……」
 吐き出せない詰め物を喉に引っ掛け、男は身動きできずにいた。大便体操と倉庫での業務で多少なりとも鍛錬されたと自負していただけに、その脆さを知ると、立ち上がる勇気が萎えていくのを感じた。
 「スリー……フォー……ファイブ……」
 男は立ち上がるとファイティングポーズをとり、試合続行の意思を見せる。だが、すぐに過失だったことに気がついて、両の手のひらをバイバイさせる仕草で、試合放棄を訴えかけた。
 だが、あえなく却下され、構わずに左ジャブが走る。鼻つらを打ち、男の涙腺が海に浸かった。見栄えなど構わず、両腕で顔を覆い、亀のように固まってしまう。
 「ま、待ってくれ……ファイティングポーズはことの弾みだ……きみらに恨みはないんだ、やめてくれ」
 左ジャブの連打は止まらず、男を軸に旋回する角刈りたちは勢いづいていく。
 「やめろったら!」
 堪らず、男は右腕で空を切った。反撃してくるだけの勇猛さを男に期待していなかっただけに、角刈りのバックステップは半歩遅れ、拳の先端が顎先に当たると、腰から沈み、地面にスタンプを押した。
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