「大地獄」(3)

文字数 4,470文字

 計画は失敗だった。逃げ場を失った人間がどういう行動に走るのか、破滅に向かうのは身をもって知っていたはずだったのに。
 巡と俺、そして「カルマ」のメンバーも共謀者として、このライブハウスに拘束された。客やスタッフは表に出されたが、どうなっているかはわからない。イヌガミの仲間がいるとすれば、他の場所に集められて捕らえられていることだろう。
 両手を後ろに組まされて、背中合わせで円を作るような形でフロアに集められた俺たち六人を、イヌガミは舐めるように見ている。おまけに、あのとき俺を噛んだチンピラも一緒だ。
「だから、金なら返すって言ってるでしょう」
 何度目かの言葉を巡が放つ。イヌガミは今までのように無視するかと思ったが、今度は返答した。
「今更なあ……。もう、金なんていらんねん。上の奴らに金払ったって、どうせ俺は逮捕される。それで組に迷惑がかかれば、出所した後にどうなると思う?」
「そりゃ、死ぬより酷いことになるかもね?」
 背中側にいるから姿こそ見えないが、深雪が反抗的に言った。
「……そうやな。死ぬより酷いことになるなら、死んだ方がマシやなあ」
 ぐるぐると俺たちの周りを歩いていた、その足音が止まる。
「首でも吊ろうかとも思ったが……。お前ら全員殺せば、俺は死刑や」
 秋也の呻き声が聞こえる。トランシーバーを奪うため発砲された。運良く銃弾は擦っただけで済んだものの、右腕から出血しているのだから当然だ。早くこの状況を打開しなければ、このまま皆殺しということか。
「よくも、仲間を」
 ライブハウスの前に張り込んでいたのは二人。包囲網を掻い潜り、警備の二人を撃ってイヌガミはここへ突入した。秋也の呻きは、二人を傷つけたことに対する怒りによるものかもしれない。
 ち、と舌打ちが聞こえる。音の方向から考えると、春翔のものだろう。
「さっきから思っとったんやけど、結構可愛いよなあ」
 人をおちょくるような台詞が誰に向けられたものかは容易にわかった。これから何をしようというのかも。
「てめえ! 深雪に何かしやがったら、ぶっ殺してやるからな!」
 春翔が激昂する。俺も同意だ。
「おっと、動いたらあかんで?」
 痛いほどの静寂。さっきまでステージで歌っていたのが嘘みたいだ。
「何? やりたいならやりなさいよ。あんたが腰振ってる間、こいつらが黙っちゃいないでしょうから」
 深雪の挑発を鼻で笑う。彼女の言う通りだが、事が起こる前に阻止しなければ意味がない。
「見張りは一人で充分や」
 まずは状況把握だ。視界の外で行なわれているやりとりに集中しろ。絶対にどこかでぼろが出るはずだ。チャンスがあるはずだ。
「そ、それでも、六対二ですよ?」
 夏央が問う。
「まあな。でも、こっちには銃があるからなあ?」
 確かに、全員で一斉にかかれば勝算はある。けれど、誰かが撃たれて死んでしまえば元も子もない。全員で生きて帰ること、それ以外の考えはない。
「じきに警察が来るぞ?」
 時間稼ぎのように、俺はイヌガミを説得するふりをした。もちろん答えはどうだっていい。説得が通じる相手ではない。そう語りながら、全員を救う方法だけを思案する。
「警察が来たら、その時点で皆殺しや!」
「痛っ!」
 悲痛な声が上がる。思わず振り返ると、引き倒された深雪とその首元にナイフを突きつけるイヌガミの姿があった。
「やめろ!」 
 春翔が立ち上がった瞬間、銃声。続いて叫び声。春翔が足を撃たれた。どさりとその場に崩れ落ちる。
「動くな、って社長が言うてるやないですか」
 拳銃を所持しているのはおまけのチンピラ野郎だった。二丁所持しているわけではなく、イヌガミがこいつに渡したようだ。
「俺は、良い女が絶望して震える姿が大好きなんや」
 びび、と布を切り裂く音がする。状況把握だなんだと言って、俺はただ、死ぬのが怖いんじゃないか。自分より明らかに弱い買春野郎を攻撃して、深雪を助けた気になって、結局守りきれないんじゃないか。隣で倒れている春翔を見ていると気が狂いそうだ。死ぬのが怖い? 違う。ヒーローっていうのは、死んででも誰かを助けるもんだろ。それなら——。
「イヌガミ殿!」
 俺が動こうとした瞬間、夏央が叫んだ。何をしようというのだ。
「せ、拙者、未だに童貞であります! 死ぬ前に拙者にもやらせてほしいであります!」
 何を、何を言っているんだ? こいつは、深雪を何だと思っているんだ? 春翔は一切の反応を示さない。気を失って、もしかしたら最悪の事態が起きてしまったのだろうか。
「やめて、乱暴しないで……」
 震える深雪の声に、俺の中で張り詰めた糸が怒りによってぶつりと切られた。
「夏央、ぶ……」
 ぶっ殺すぞ、と言おうとした途中で、ひとつの閃光が脳裏に走る。これはチャンスなのだ——。そして、さっきまで挑発を行っていたはずなのに突然怯え始めた深雪も、恐らくそれに気がついている。斜め後ろにいる夏央の挙動に集中する。
「夏央、ぶっ殺すぞ!」
 このチャンスを逃してはいけない。演技に自信はないが、夏央の作ったチャンスに俺は乗っかった。
「……なるほど。そっちの方が面白いな。友達に犯されて殺されるなんて、なかなか見れたもんちゃうで」
 成功だ。イヌガミが食いついた。
「変な真似したら、すぐ殺すからな」
 誰かが立ち上がる気配。深呼吸をして、しっかりと間合いを図る。
「夏央、やめて! 触らないで!」
 深雪は、歌よりも演技を練習した方がいいかもしれない。しかしイヌガミたちは気付いていないようだ。
「どうした? 早くしろ。あまり時間が……」 
 思い切り息を吸い込んで、俺は叫んだ。ここにいる全ての人間が、俺に注目する。やるなら今だ。春翔が飛び起きて、銃を持ったチンピラに襲いかかる。瞬間、銃弾が二発放たれて春翔の体に命中し、血飛沫が俺の顔にまで飛んできた。
「お前……!」
 反射的に春翔に注目したイヌガミの後頭部に、深雪の蹴りがヒットした。
 ——英二が来なくても、似た結末になっていたかもね。
 あのとき布団の上で深雪が言っていた言葉の意味を、その姿を見て理解した。「帰り道に俺の護衛をするため」靴の裏に鉄板を仕込んだのがこんなところで役に立つとは。深雪の趣味が格闘技だということは、彼女の本棚を見たときに薄々感付いてはいたが、まさか特技だとは。
 イヌガミが倒れ、ナイフを手放したのを俺ははっきりと見ていた。すぐに駆けつけてナイフを拾い上げ、春翔に加勢する。
「なんで、なんで死なへんねん!」
 春翔と揉み合いになって無様に喚き散らす男の脇腹にナイフを突き立てる。痛みに暴れる掌から離れて床を滑っていく拳銃を夏央が拾った。
「なんで? お前も知ってるだろ? 俺も春翔もゾンビだからな」
 もう死んでるんだよ、と付け加えると、自分でも笑えてきた。ゾンビなのに死ぬのを怖がっていたなんてな。このくらいで動かなくなることはないだろう。昔の映画では、ゾンビは頭部を破壊しないと死ななかったのだから。
「どういうことや? 何が……」
 困惑するイヌガミに向かって俺は言い放つ。
「演技だよ、夏央のな。俺はそのチャンスに乗っかっただけだ」
 ふひ、と夏央が笑う。
「拙者は、三次元の女性には興味ありません! 深雪殿とは、二次元美少女大好き同盟ですので!」
 こんなふざけたことで、簡単に覆っちまうんだから恐ろしい。しかし、俺は信じた。昨日一昨日に出会った奴らのことを。
「……そうだ早く! 夏央くん、ポケットの!」
「御意!」
 夏央が、深雪に関節技か何かで腕を捻りあげられ、抑え込まれているイヌガミのポケットからトランシーバーを抜き取り、秋也にパスする。
「大丈夫です」
 黙り込んでいた巡が突然口を開いた。
「もう、来ます」
 ゆらりと立ち上がり、うつ伏せに拘束されているイヌガミの前に歩み寄った。
「あなたに借りた二百万円は返します。あなたに借りたことで、研究は成功しました。この件に関しては公には出しません」
 全員が、巡を見ていた。無論、イヌガミとその部下の挙動からは意識を逸らしていないが。
「僕は、世界的な研究に貢献、成功しました。国は、警察は、事件の一つや二つ簡単に隠せるほどの協力をしてくれます。容易なことです。しかし今でこそ国も世界も僕を賞賛していますが、以前はそうではありませんでした」
 そうか、そうだったのか。俺の起こしたことを隠蔽していたのは——。
「ろくなところで資金も借りられなかった僕に、あなたは金を貸しました。英二は僕を信じて保証人になってくれました」
 巡が一度、俺を見て微笑む。
 その場にしゃがみ、目を見開くイヌガミに視線を合わせて語り続ける。
「突然、海外の研究チームのリーダーとして呼ばれてしまったのです。どこにも、連絡できないまま……」
 だから、いなくなったのか。
「英二には何度か連絡をしました。携帯と実家に。携帯は繋がりませんでしたが、実家の電話に出た英二の母親には全て話しました。英二が失踪しているのも、そのとき知りました」
 携帯の電源を切りっぱなしにしていたのは悪手だった。着信に気付いてさえいれば、もっと早く状況を打開できたかもしれない、ということか。
「……それから暫くして、英二の起こした事件について、僕のところまで連絡が来ました。良くないことだとは思いましたが、僕は英二を庇いました。それは全て僕の責任であり、全て僕がどうにかできることだったからです」
 俺の予想は当たった。俺の起こした事件を揉み消していた何者かは、巡だった。
「ここで起きたことも、世間には伏せます。あなたの、そして、皆さんのためにも。でも、あなたが今までやってきたことは隠しきれません」
 イヌガミは色々と喚いていたが、そんなことは耳に入らなかった。いつの間にか、秋也もイヌガミを押さえつけるのに加勢していた。
「たぶん、あと一発残っていますよね?」
 巡が顔を上げて、銃を持つ夏央に問いかける。
「は、はい。これは九ミリ拳銃ですから! 外にいた警官二人に二発だとして、入ってきた時に二発、秋也殿に一発、春翔殿に三発ですから……!」
 早口で捲し立てる夏央から視線を戻し、青ざめるイヌガミを見る。
「……殺しなんてしませんよ。少し、驚かせただけです」
 巡はゆっくりと立ち上がり、虚空を——ステージを見る。
「今日は研究の成果を報告するために日本に戻ってきたのですが——。英二が『エイジ』を歌うと聞いて、抜け出してしまいました。『二十三時までに戻らなければ、下記の場所に来てくれ』という書き置きを残して」
 あの日「ハザード」のライブに行くため、家を抜け出してきた時のように笑って、だから、と巡は続ける。
「来ます。僕を連れ戻しに」
 複数人の足音が聞こえて、扉が開いた。それから、大勢の人が入ってきて——。
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