「大地獄」(1)

文字数 2,691文字

 昨日一日中、スタジオでずっと練習したが不安は消えなかった。深雪の作り上げた「計画」を遂行するには、ライブの成功——もとい、客を多く集めることが重要だった。尺の短い、三曲しかやらないライブと言っても、見れるものを作らないと途中で人が減ってしまう。それでは成功率が下がる。観客が、目撃者が多ければ多いほど計画の成功率は上がる。
「英二殿、ちょっと任せても?」
 吃音気味の早口で声をかけてきたのは、俺の隣でビラを配っていたギター担当の夏央。寒そうにガチガチと歯を鳴らすくらいならコートの前を閉めればいいのに、とは昨日も指摘したが、アニメキャラがプリントされた自慢のトレーナーが隠れてしまうのが嫌だそうだ。今日もその回答が返ってくるだろうな、と予想できたので、俺は何も言わなかった。
「どこに行くんだ?」
 その質問に夏央は答えようとせず、深雪が印刷してきた宣伝用チラシの束を、俺の抱えている同じ物の上に置いた。
「す、すぐ戻りますので! 深雪殿には言わないでいてほしいのですが!」
 指紋で汚れた眼鏡を動かして「ふひひ」と独特の笑い声を漏らしながら小走りで去っていった。なんだかよくわからないやつだ。深雪には言うな、というのは気になるが、便所にでも行くのだろうか。
「伝説のバンド『ハザード』伝説のラストソング『エイジ』を完全コピー! 伝説のライブ! ボーカルとしてスペシャルゲスト登壇!」
 この地域では中心となる小さな広場で、深雪が書いたと思われるチラシの文字を目で読み上げる。その下には「ハザード」のボーカルと深雪のツーショットが印刷されている。その下に、小さく俺のプロフィールと顔写真。恐らく、一昨日コンビニから帰ってきた時に持っていた紙の束はこれだったのだろう。インターネットでも同じ文面で宣伝を行ったところ、大きな反響があった。しかしこれでは、スペシャルゲストとして深雪の兄——「ハザード」のボーカルが来るのではないかと勘違いされていそうなものだが。
「よろしくお願いします」
 前を通り過ぎていく人々に、片っ端からチラシを渡す。空はすっきりと晴れているが、相変わらず寒さは厳しい。昼に食べたチェーン店のうどんで得た暖かさなど、もう嘘のように消え去っていた。
 どうなることかはわからない。完璧だと思った計画ですら、不安に感じる。しかし、もう飛ぶしかない。飛んで、巡を救い、俺も生き延びる。
「まだ配ってるの?」
 後ろから、すっかり聞き慣れた声で呼ばれる。振り返ると予想通り深雪が両手を振っていた。
「私たちはもう、とっくに配り終わったって言うのに……。ねえ?」
 厚底ブーツを履いて、高い位置で髪をひとつに縛った深雪が走り寄ってくる。彼女たちは、ライブハウスの前でチラシ配りをしていたグループだ。
「英二ちゃん、アタシも手伝うわよ?」
 一足遅れてやってきた大柄な男はドラム担当の秋也。オカマ口調と濃い化粧には驚かされたが「このほうが可愛いから」という理由だけでやっていて、別に俺が想像したような趣味はないらしい。普段は警察官として国を守っている、それから今回の計画の要としては少々心配だったが、深雪が「絶対大丈夫」と言うので信用することにしよう。
「秋也は甘やかさないの。自分の仕事は自分で……って、夏央は?」
 そう言いながらも、どっさり残ったチラシを俺から奪うように取る。その指先で、派手なピンク色のマニキュアが冬の光に光っていた。左手は塗りにくいから、と言われて俺が塗ってやったのだが、初めてにしてはなかなか綺麗に出来ていると思う。
「ついさっき、どこかに行っちまって」
 どこ行ったのよ、と小声で文句を言いながら、深雪はチラシの半分を秋也に手渡した。
「ほら、あれじゃないかしら? コンビニでやってるクジ引きの……」
 秋也の呆れた笑いを見るに、以前から度々このようなことがあったのだろうな、と想像できた。言ってしまってから、口止めされていたことを思い出したが……まあいいだろう。
「あっ! み、深雪殿!」
 大事そうに白い袋を抱えた夏央の姿が見えた。口元に開いた手を添え、大げさに驚いている。
 やっぱり、と呟く秋也の声を掻き消すように、深雪が大声を上げる。
「どこ行ってたの! 全く……あ、それ、もしかして!」
 夏央の眼鏡がまた怪しく光って、大事そうに袋の中身を取り出した。
「お目が高いっ! そうです、あの、千年に一度と言われる美少女の……」
 話を聞いていると、夏央はコンビニで行われているクジ引きの最後の一枚を引いた人に与えられる美少女アニメのフィギュアを狙っていたそうだ。深雪もはしゃいでいるのを見ると、案外この二人は趣味が合うのかもしれない。
「いやあ、てっきり深雪殿には怒られるかと……」
「仕事サボったのは褒められないけど、美少女に免じて許す! というか、私に隠すなんて酷いじゃない。同盟を結んだ仲なのに」
「深雪殿……! 拙者たち、二次元美少女大好き同盟でしたな! 失敬失敬。生身の女性には絶対に流れません!」
「いいから、早く配っちゃってご飯行きましょうよ。アタシお腹減っちゃったなあ」
 すっかり俺は置いてけぼりだ。この面子に馴染める春翔は一体どんな超人なのだろう……。
 底冷えする風が首を撫でる。体の内側に鳥肌が立つような、気持ちの悪い寒さではない純粋な冬の空気を感じるのは久々だった。今日どうなるかはまだわからないが、深雪の家に泊まってからは悪夢を見て吐き気に起こされることもなかった。無意識のうちに、俺は安心しているのだろう。
「大丈夫?」
 ビラ配りの後半、俺の顔を覗き込んで深雪が問うた。
「これから大丈夫にするんだよ」
 後戻りはもうできない。正直、高所から飛び降りて死ぬことが確定していたところで、着地点に小さなプールが用意されただけといったところだ。それでも飛ぶしかない。自身を鼓舞するために、俺はそう答えた。
「言うようになったわね」 
 けらけらと笑う彼女たちの姿を見ていると、少しばかり緊張も解れた。いや、覚悟がついたと表現すべきだろうか。
 それにしても本命のボーカル不在で「伝説のライブ」なんて名打って春翔は怒らないのだろうか。メンバー達は必ず戻ると言い切ってはいるが。
「寒すぎ! 集合!」
 深雪の号令で各々が集まり、俺たちは早めの夕食に向かうことになった。ラーメンにするだのパスタにするだのでひどく揉めたが、俺が「昼はうどんだったから麺類以外がいい」と提案したことによって、争いはカレーに収束した。
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