第2話 いつか来る未来

文字数 1,532文字

私は、昭和47年(1972年)に高校を卒業して東京に出てきた。
その年に大学受験に失敗して浪人することになり、新聞配達奨学生として新聞を配達しながら予備校に通うためだ。

新聞社の奨学制度は、貧乏人には非常に有り難い制度で、寝るところと食事もついているし、学校の授業料などの奨学金もついている。
確かに早朝3時起きの朝刊配達はきついし、学校から帰ってきてすぐの夕刊配達、それに集金などの業務も合わせると学業と同時にこなすには、結構なきつさではあるが、親にまったく世話をかけずに一人で自活できるのは、理想的だった。

新聞社から配属された新聞専売所は、江戸川区の平井という所だった。
23区とはいえ、かなり駅から遠いまだ空き地が広がっている閑散とした地域だったので所員も5名ほどの小さな配達所だった。
配達部数も少なく、利益がそんなに出ていない配達所だったので、経営者が奨学生に出す、朝晩の食事もコストを抑えた最低限のものだったので、満足なものではなかった。
それに約束の月に1回の休日もないような労働条件だったので入所してから半年で他の販売店に移ることになるのだが、それでも一人での東京生活の始まりだった。

その1972年の8月4日に田舎から父親が上京した。
新聞販売店に到着した父は、「東京に用事があったので、出てきた」という簡単な説明をしてその日は、私の部屋に寝た。
確かに翌朝は、どこかに出かけたが、その日の夕方には、東京駅から夜行列車に乗って
九州に帰ると言い出した。
それで、私は、見送りに東京駅まで出かけた。

入場券を購入してホームまで行き、停車している列車に歩いて向かった。
その時、父が「達者で気張れよ。もう来れないかもしれんからな」と言った。
私は、短く「ああ」とだけ応えた。
自分がこうして東京で新聞配達をしながら学校に行っているのも、元はといえば、父親が甲斐性なしだから苦労しているという気持ちもあって、分かりあっている親子の間とは遠かったのでいたしかたない・

父は、私に背を向けて列車に乗り込んだ。
それをホームから見ていたその瞬間に、突如として父が東京に出てきた理由が解った。
小学校の低学年の時から幾度となく自分の身に起きた不思議な現象と説明のつかない感情の爆発がまたしても起きたからだ。

父親の背中は、列車の反対側の方から差していた夕時の太陽の光が逆光になり、白く飛んだ映像になったかと思うと、その光の中に溶けて消えてしまった。
そして、父親には、もう二度と会えることはないという確信が心の中に生まれた。
そうか、父は、私に対して今生の別れを告げに東京に出てきたのだ。
親子としての情愛に育まれた家庭環境ではなかったが、やはり血の繋がった親子ではあったのだなという思いが心の中に生まれた。
そうならば、おそらく近々に来るであろう、その時を覚悟しなければならないなと思った瞬間涙がこぼれた。

父親の乗った列車は、東京駅を出て行った。
それから4日後の8月11日に新聞販売店の電話が鳴った。
店主が、二階に居た、私に九州から電話が入っていると告げに来た。
郷里の姉から父が病院で亡くなったことを告げる電話だった。
覚悟はできていたので、その時は、特別な感情は、湧いてこなかった。

その父親が死んだ歳の57歳を超えた年齢になった今、もう一つ新たに確信として生まれたものがある。
それは、東京駅での今生の別れを確信した私に起きたあのエピソードは、私自身が小さい時から何度か体験したイベントから自分で身に付けたものであるが、何の理由も明かさないまま東京に出てきた父も実は同じ感覚を共有していたのではないのだろうかという思いである。
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