第8話 守護霊は、お稲荷さん? その2END

文字数 1,730文字

1945年8月9日 長崎に原子爆弾が投下された。
戦後になって、長崎が本当の投下目的地だったのではなく、最初は北九州の小倉に投下されるはずだったことが知られるようになった。
小倉には、軍事工場があり、原爆の効果を測定するための条件の適度な人口密集度としてもアメリカには都合が良かった土地である。
しかし、8月9日にサイパンのテニアン島を飛び立ったB29が小倉上空に到達したときは、上空に雲がかかっていて、B29からは市街地が良く見えない。
原爆を落として軍事工場などを壊滅させるのだけが目的ではなく、その爆発力などの効果を検証することも目的の一つだったので、小倉に投下することを断念して、第2候補であった、長崎に向かったというのが事実である。

その8月9日の3日ほど前に小倉に怪現象があったらしい。
このことは、その怪現象の目撃者であった私の母親から聞いた話である。

小倉の道を歩いている人たちが、空を見上げながら指さして騒いでいる。
通りかかった私の母親が、その場所に近づくと人々の指さす方向に火の見やぐらがあり、最上部の釣鐘を覆っている櫓(やぐら)の上に一匹の白い狐が乗っている。
人々は、口々に「お稲荷さんだ」と叫んでいた。
そして「お稲荷さんは、何か災いがある時に現れて、それを知らせるというから、何か起こるんじゃないのかね・・・」とか、
「お稲荷さんは、何か災いがあっても出現した時は、その災いから守ってくれるらしい」とかの話をしている。
その白い狐は、何をするでもなく、じっと下を見ているだけだった。
そして1時間ほどそこに居たが、ふっと消えてしまった。
集まって騒いでいた人々も「何も起きなけりゃいいけどね・・・」と、言いながら離れて行ってしまった。

ただそれだけの現象だったので、それが吉兆を示す何らかの啓示だったとは、誰も思わなかったらしい。
しかし、戦後長崎に落ちた原爆が、実は小倉が最初の投下目的地だったというニュースがもたらされた時に当時のことを覚えていた人々は、あのお稲荷さんは、そのことを小倉の人々に告げに現れたのではないかと噂した。
また、あのお稲荷さんが小倉を守ってくれたのではないかとも噂したが、この噂は、それならば、長崎には守ってくれるお稲荷さんが何故現れなかったのかという疑問になるので口にしなくなったとも言われた。

母親が、この話を私にした時に、「あの時、小倉に原子爆弾が落ちていたら、小倉で暮らしていた母ちゃんは、当然死んでいただろうからお前は、この世に生まれてきていないんだよ」と、付け加えた。

お稲荷さんが小倉に出現した話のそのものが、母の創作かもしれないので信ぴょう性は、疑わしい。
しかし、確率論からすれば、たらればの話として小倉に落ちていたら、私がこの世に生を受けていないことは、あり得る話だ。

その話をしていた時に、珍しく家にいた父も話に加わってきた。
父は、アルコール中毒で気難しい人間だったので、普段こうした家族間の間で会話をするというようなことをすることは稀だった。

「父ちゃんも見たことがある。死んだ爺さん・・父ちゃんの父親だ。その爺さんと二人で漁に出た時、船で岬の突端まで来たら、岬の開けた広場のところで白い狐が2匹遊んでいた。月の明るい日だったけん、よく見えた。そしたら爺さんが、「お稲荷さんが相撲をとりよる」と、言った。「お稲荷さんが遊んでいるときは、海も凪で安全に漁ができるぞ」とも言った。そしたらその日は、本当に大漁だった」

父の話は、短くそれだけだったが、そうすると、私の家系は、爺さんから3代も白い狐を見たことになる。
そして、母が小倉で見たときは、まだ父と知り合って結婚する前だったので、別の家系でも見ていたことになる。
最後に母が、「お前も見たということは、お稲荷さんが守ってくれているのは、お前かも知れんね」と、言って台所仕事を始めに座をはずした。

父と母の話は、ともかくだが、私が白い狐を目撃したことは紛れもない事実である。
しかし、それがお稲荷さんかどうか・・・
そして、お稲荷さんだとして、それが何を意味するのかは、判らないまま人生を終えそうである。

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