第3話 神がデザインした現象 その1

文字数 2,354文字

これから書く情景は、スピリチュアルとは、関係ない自然現象である。
だから本来は、ノンフィクションのジャンルで書くべきなのだろう。
しかし、私が遭遇したこの自然現象は、おおよそ誰でもが経験できるようなものではなく、おそらくそのイメージを文章で伝えることが難しい程の稀なものだった。
現代のハリウッドのSF映画の3Dグラフィック技術を駆使しても再現できないほどのダイナミックで壮大な光と音の現象で、生半可なスピリチュアルの感覚すら凌いでいる。

そして、この話を語るとほとんどの人が、「そんな自然現象が本当に実在するとは、思えない」と、疑心を抱くようなスケールだ。
このタイトルのスピリチュアルな日常で、これから多くの不思議なスピリチュアルな現象を紹介していくわけであるが、それらを超えている本当に体験した自然現象という意味で、敢えてここで取り上げてみることにした。

体験した自分自身が、「本当に自分が体験したのだろうか? 昔見たリアルな夢を実際に体験したと勘違いしたまま大人になったのではないか?」と、その都度自分の心に問わないとならないほどである。
どう思いなおそうと、一連の現象の最初から最後までの一貫したストーリーをこと細かに全部覚えているし、あれからほぼ半世紀を過ぎた今でもまったく色褪せることなく記憶の中から蘇ってくる。

あれは、私が中学3年生の15歳の時のことである。
第1話で書いているように私は、玄界灘に突き出た半島の小さな漁師村に生まれた。
父は、小船を一艘持っていて、一人で一本釣りを生業としていた。
そして、時々一般釣りだけはなく、規模の小さな“はえ縄漁”もやっていた。
この“はえ縄漁”という漁法は、長い1本のはえ縄に餌を付けた数十本から数百本の釣り糸を海に仕掛けて、それにかかった魚を船の上に巻き上げて獲るという漁法だ。

しかし、この漁法は、規模が小さくても一人で船を操船しながらはえ縄を仕掛けていくということは、難しいので手伝いが要る。
そこで、時々、私は父の手助けをして漁に出ていた。
中学生程度でも父が操船する船のスピードに合わせて少しずつ餌のついたはえ縄を海に投下していくことぐらいは、できる。

その日は、先に“夕まず目”を狙って午後2時ごろから出漁して、仕掛けを投下し、一旦帰港して夕ご飯を食べた後、巻き上げに夜の6時ごろに出港した。
※ 夕まず目   魚は、朝太陽が空に昇る寸前の薄暗い早朝の時と、逆に太陽が海に沈んで暗くなり始めるころが一番活性化して餌を捕食しようとする。この時のことを“朝まず目”,夕まず目“と呼び、漁師は、ほとんどこの時間帯に漁をする。

漁場は、村の港から2時間ほど沖に出た玄界灘にあった。
見渡せば、遠くのほうに島の一つぐらいは、確認できるが、ほぼ360度周囲が水平線という海の上だった。
360度水平線の海の上に居ると、地球は、丸いということが実感できる。
船の上で、身体を一周廻すと周囲の水平線が真っ平の水平ではなく、視界の一番端の水平線の見える限度のところが、丸い皿を伏せたようなドーム状になっているのに気づく。
そのドーム状の一番上で、延縄を仕掛けていた目印の大きな浮きを見つけて巻き上げ作業に入るわけだ。

太陽が沈んで闇が訪れようとしてしていた。
西の一番端の水平線のわずかな上の所だけ、夕焼け色に染まったグラデーションが残っていたが、空には、すでに天の川をはじめほぼ満天の星が輝いていた。
波もなく穏やかな“べた凪”の日だった。

目印の浮きを見つけて、それから仕掛けの延縄を順調に巻き上げていた。
漁としては、好調ではなく、仕掛けの針にかかった魚は、それほどでもなかった。
後1時間もすれば、全部回収できるかなあと思っていたその時、船の舵を操作していた父が、突然私の名前を叫んだ。
「仕掛けを捨てろ!すぐに捨てろ、急いで帰るぞ!」
「父ちゃん、なんば言いようね!まだ途中だろ。仕掛けを捨てろて、どういうことね」
「とにかく、なんでんよか、早くしろ!」
父の大きな声と血相を変えたその顔つきに何かが起きたことは、分かったが、周囲は相変わらず、べた凪の静かな海だ。
すると、父は、夕焼けの終わった最後のほのかな明るさの残っている西の海を指さして、「嵐が来る!」と叫んだ。
「嵐?」
父が指さした西の水平線の少し上のところに見えるか見えないかという程度の小さな雲が出ていた。

漁師の仕事は、俗に“板子一枚下は、地獄”と言われる。
つまり、船は、木の板で作られているが、その木の板一枚が無くなって海に落ちれば、命も無くなるという危機と背中合わせで仕事をしていることからそう言われる。
そのため、漁師には、観天望気と呼ばれる天気を予測する能力が要求される。
この観天望気の能力に乏しい漁師は、いきおい危険を予知する能力が低く、死亡率が高くなるということだ。
海で漁をすることを職業として選択せざるを得ない漁師村の男たちは、小さい時からこの観天望気の経験を歳取った漁師たちから伝え聞いて育つ。
「何月のころ、どこの漁場に出ているときに、風がどっちの方から吹いてきて、どの島のどの方角に雲が出たときは、嵐が来る」
と、いうような経験則が伝承されているのである。

この時私は、父が、その観天望気の予測から嵐が来ることを予見したことを理解した。
一応、仕掛けは、また嵐が過ぎ去った後の日に回収に来ることを想定して、浮き輪をつけて海に投げ込んだ。
そして、父は、エンジンをフルスロットルで回すと、村の港に向けて舳先を廻した。
もし、本当に嵐が来るのなら、それに遭遇するまでに港に帰港しないと、最悪の場合、待っているのは、遭難と死である。
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