第1話 不思議な始まり

文字数 1,680文字

世の中には、怖いおばけ以外にも何か不思議なものが存在するということを意識した最初は、確か小学生2年生のころだったと記憶している。

私は、玄界灘の一番西の最果てに突き出た半島の中ほどにある、人口1000人ほどの小さな漁村に生まれた。
村人のほとんどが漁師で、鰯漁の小さな船団を沖に出すか、細々と一本釣りかで生計を立てていた。
生家は、その漁村の港から半島の山沿いに駆け上がる山裾にある小さなあばら家だった。
父親は、一応漁師をしていたが、戦争から帰国した後、身体が弱く漁に出ることは、少なく、酒に溺れていた。
貧しい漁師村の中でもさらに下に位置する経済状態だったので5人の子供たちの生活は、母親一人の手に委ねられていた。

それでも特に惨めな生活だというわけでもなかったのは、そもそも村全体に裕福な家庭というものが存在しないような環境だったのと、のんびりとした田舎だったというのもあるだろう。
学校の放課後も近所の子供たち同士で、太陽が日比水道の海に真っ赤になって落ちるまで遊び惚けて家に帰るというような日常だった。

ある日、学校から帰ってすぐに釣り道具を持って海に行き、その日の夕食になるような魚を採って帰ると玄関に見知らぬ老夫婦が立っていた。
子供心にもすぐわかるような粗末な身なりをしていた。
手には、大きな風呂敷包を両手に下げている。
そして、その夫婦の前には、母親が立っていた。

母親は、私にこの夫婦が今晩泊めてほしいと頼んでいることを説明した。
しかし、泊めるといってもみすぼらしい小さな家だったので、家族が寝る場所しかない。
夫婦は、上り口の土間を指さして「ここに泊めて欲しい。煮炊きする米と鍋は、ありますから台所と水だけお借りできれば・・」と、懇願した。
その時私は、「かあちゃん、ここでよかなら、泊めてもよかろうもん」と、言った。
母親も私のその言葉に促されたのか、結局泊まってもらうことになった。
夫婦は、台所でわずかな米を炊き、わずかな具の入った味噌汁を作って食べるときだけ勝手口に上がって、ちゃぶ台で食事をした。
夜になると父親も他の兄弟たちも全員帰ってきたが、事情を説明すると誰もかまわなかった。

夫婦は、朝になると土間に敷いたゴザを畳み風呂敷包みを手にもってお礼の言葉を述べて去って行った。
ただ、それだけの出来事だったが、私には、住む家もなく夫婦二人そろって放浪の旅をしなければならない悲しい事情があるのだろうということだけは、理解できた。
そして、人間の持つある種の不条理から逃れられない悲しさも存在することも一緒に心の中に沈積することになった。
小さな時の記憶だったので、ここまでの事実だけしか覚えていなかった。

それから二十数年後、東京で生活するようになっていたある年に帰省した。
年老いた母親と何となく昔話をする機会があった。
「お前が小学校の小さかった時に家に《ぜんもんさん》の夫婦が泊って行ったことを覚えているかい?」

※ぜんもん・・・・決まった寝泊まりする住居を持たず、全国を放浪しながら食事などの施しを受け、代わりに何らかの宗教的啓示などを授けていく乞食。空海(弘法大師)の教えを広めるために行脚しているとする考えもある。(筆者独自の編集)

「覚えているよ。一晩だけですぐ出ていかれたね」
「あのぜんもんさんが、家を出ていくときに母ちゃんに言った言葉があるんよ。それは、泊めてもよかろうと言ったお前のことでね・・・お前の人生に何があろうと、私たち二人が陰でお守りします。と、言って出ていかれたとばい」
「ほんとね・・・まあ、それなら嬉しいことばってん・・・何かそれにしては、色々あるなあ・・・まあ、こうして生きていることがひょっとしてそうかもしれんね」
と笑った。

だけど、その言葉を聞いて、私は何となくそれなりに感じるものがあった。
それは、あの時以来、数々のスピリチュアルな出来事に出くわす毎に感じる不思議な思いがある。
心の中にゆっくりと広がって行く癒しのようなものと同じ感覚だからである。

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