第5話 茶器

文字数 1,847文字

いせちゃんが大奥へ奉公に上がることになり、

いせちゃんにとって、最後になるお茶のお稽古。

「はああ。さみしくなるわね」

 わたしはさみしさを隠しきれなかった。

「お師匠さんから、今日は、わたしがお茶をたてて、

皆に振舞うように言われたわ」

 いせちゃんが言った。

「良い思い出になるのではないの」

 しまちゃんがあっけらかんとして言った。

「今日は、とっておきの名器を用意しました」

 お師匠さんがふだんは納戸にしまっている名器を提供した。

お師匠さんの話によると、

先祖代々、家元に受け継がれた客用の高級茶器だという。

「これは見事ですわね」

わたしは茶器にくわしくはないが、その良し悪しはなんとなくわかった。

「わたし緊張するわ」

 いせちゃんが自信のなさを露わにした。

お茶のふるまいが始まると、いせちゃんは持ち前の度胸を見せた。

名器で飲んだお茶は、いつもよりなおおいしく感じた。

ところが、片づけをしている時だった。

がちゃん!

あろうことか、茶器がひとつ、床に落ちてひび割れてしまった。

「ああああ、なんてこと! 」

 いせちゃんがその場で大泣きした。

「形あるものは壊れるという理屈は通らないわ」

 しまちゃんが冷静に言った。

「わあ、なんてことしてくれたの! 」

お師匠さんが駆けつけるなり、ひび割れた茶器を目にすると嘆いた。

「弁償いたします」

 わたしたちはそろって、深く頭を下げるとお詫びした。

「気にしないで。ケガがなくて良かった」

 お師匠さんはそう言った後、明らかに、気落ちしているように見えた。

お茶のお稽古の帰りは、お葬式みたいな雰囲気になった。

めずらしく、寄り道をすることなく帰路についた。

わたしは、自宅に入る前、このままにしておけないと思い立ち、

お師匠さんの自宅へ舞い戻った。

「何か忘れ物かい? 」

 お師匠さんが目を丸くすると聞いた。

「あの。ヒビが入った茶器をいったん、お預けいただけませんか? 」

 わたしがそう言うと、お師匠さんが急いで、その茶器を持って来た。

「それってつまり、どこか、あてでもあるのかい? 」

 お師匠さんが身を乗り出すと言った。

「一か八かですが、心当たりがあります」

 わたしは、以前、我が家の茶器にヒビが入った際に頼んだ

修復する職人のことを思い出した。

 その職人が暮らす長屋を訪ねると、

その職人の部屋には、別の住人が住んでいた。

(ああ、どうしょう)

「ちょいまち」

 長屋を去ろうとしたその時、文吉が前から歩いて来るのが見えた。

「文吉さん」

 わたしが告げた。

「どうかしたのかい? 」

 文吉が、手ぬぐいで汗をぬぐうと聞いた。

「実は、そこの長屋にいる職人に修復を頼もうと、

ヒビの入った茶器を持参したんだけど、いなかった次第」

 わたしは正直に説明した。

「見せてくんねえ」

 文吉はそう言うと、わたしの手から茶器を受け取った。

上、下、左右。くまなく、眺めた後、少し考え込んだ。

「あの」

「わしが直します」

「え? まことに? 」

「以前、何度か、やったことがある。2日ばかりくだせえ」

「は、はい」

 わたしは半信半疑で、文吉に茶器を預けると、

その足で、お師匠さんに報告した。

すると、よっぽど、お師匠さんがそれでかまわないと言った。

それから2日後。わたしは逸る気持ちを抑えながら、

お茶のお稽古へ向かった。

「ありがとう。恩に来ますよ」

奥の部屋から、お師匠さんのうれしそうな声が聞こえた。

わたしは急いで、奥の部屋へ見に行った。

すると、文吉が、お師匠さんと向かい合わせに座っていた。

「わたしの方からもお礼を言います」

 わたしが言った。

「なあに。大したことはねぇよ」

 文吉が言った。

修復された茶器のヒビには、金粉が刷り込まれていて、

その割れ目が模様になり、新たな茶器に生まれ変わった感じがした。

「お茶をどうぞ」

 お師匠さんが、文吉にお茶を出した。

文吉が一口お茶を飲むと懐から紙に包んだ菓子を出した。

「あ、それ」

 わたしはすぐ、その菓子が、お礼にとくれた菓子と同じだと気づいた。

文吉は、その菓子を一口でたいらげると、お茶を一気に飲み干した。

「作法はできていないが、なんだか、晴れ晴れとする飲みぷりだねえ」

 お師匠さんが言った。

そのあとすぐ、他のお弟子さんたちが来たため賑やかになった。

お師匠さんが、また、どうぞという誘いを文吉はことわった。

今日のわたしはいつもと違った。

お茶のお稽古をさぼり、なんと、文吉のあとをつけたのだ。

占い師が、運命の人といったのは当たっているかもしれない。

こんなに、何度も再会するなんて、偶然と言えるのだろうか?






ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み