第4話 結納

文字数 2,331文字

上の姉、みつの結納の日。

我が家は朝早くから準備で大忙し。

わたしは、台所や各部屋を行き来する母を追いかけながら、

言われたことをこなしていく。

「鯛はどうしたんだい? 」

 結納の席に出す料理の花を飾る鯛がまだ、

到着していないというトラブル発生。

「朝早く、魚河岸へ買い出しに出かけたまま戻らないんですよ」

 女中のたえが訴えた。

「誰が行ったんだい? 」

 母が、たえに聞いた。

「下男の正太が行ったと思いますが、

なんせ、江戸へ出て来たばかり故、

道にでも迷ったか心配している次第」

たえが言い訳をした。

「え? なんだって? 

不慣れな者に大事な買い出しを任せたのかい? 」

 母が呆れ顔で言った。

「わたし、近くを見てきます」

 わたしがそう言うと、母がわたしを制止した。

「あなたが行くことありません。たえ、近所を見てきなさい」

 母がキツイ口調で命令すると、

たえが渋々といった風に、お勝手口を出て行った。

少しして、お勝手口の外が騒がしくなった。

「失礼しますよ」

「はーい。どなた? 」

 驚いたことに、戸が開いた瞬間、文吉の姿が見えた。

「あらまあ、あなたは? 」

 母が驚きの声を上げた。

「鯛のご注文をいただいたのは、こちらさんでよござんか? 」

 文吉が聞いた。

「はい」

 母が答えた。

その直後、たえが息を切らして戻って来た。

「すみません。行きがけに、念のため、

魚屋に声をかけておいたんですが間に合いましたか? 」

 たえが言った。

「この通り」

 文吉が言った。

「して、正太はどうしたんだい? 」

 母が、たえに聞いた。

「まだ、戻りませんか? 困りましたね。

魚をさばけるのはあの人しかいないというのに‥‥ 」

 たえが困り顔で告げた。

「仕方がないわ。焼いてちょうだい」

 母がため息交じりに告げた。

「よろしいんですか? たしか、婿殿のお父上は、

刺身が好きだとお聞きしました。

さぞかし、がっかりなさるのではないでしょうか」

 たえが言った。

「あの。良ければ、わしがお造りにいたしましょうか? 」

 文吉が意外な申し出をした。

「できるんですか? 」

 わたしは思わず聞いた。

「はい。何度か、さばいた事がございます」

 文吉が答えた。

その後、文吉がこしらえた鯛のお造りが出てきた。

素人とは思えぬ出来栄えに、皆が驚いた。

「どうぞ」

 お造りを食べた頃を見計らい、

鯛のあらや骨でダシを出した汁が出てきた。

「実に美味い」

 婿殿の父が満足気につぶやいた。

その姿を見て、姉と婿殿が安堵した表情を見せた。

結納の後、わたしは、こっそりと帰ろうとした文吉を引き止めた。

「今日は助かりました」

 わたしがお礼を告げると、文吉が照れ笑いを浮かべた。

「帰るのかい? ちっと、待っておくんなし」

 背後から、たえの声が聞こえた。

ふり返ると、たえが、ご祝儀袋を手に持っていた。

「奥様から渡すよう申しつけられました」

 たえがそう言うと、文吉の手にご祝儀袋をにぎらせた。

「けっこうです。いただけません」

 文吉がなぜかご祝儀袋を返した。

「奥様のお心遣いを無下にする気かい? 」

 たえが目くじら立てると言った。

「たえ。言い過ぎよ」

 わたしがたしなめると、たえが不満気な表情を見せた。

「お届けしたのも、お造りをこしらえたのも好意でさあ。

商いの範疇ではない故、お言葉だけでけっこう」

 文吉はそう言うと、屋敷の外へ飛び出した。

「なんだい、ふん。生意気な野郎だ」

 たえがそうぼやくと踵を返した。

わたしはふと思いついて、部屋に舞い戻ると、

文吉のあとを追いかけた。

角を曲がろうとしたところで、追いついた。

「あのこれ。鼻緒とこたびのお造りのお礼です」

 わたしは、紙に包んだ菓子を差し出すと告げた。

「いいのかい? 」

 文吉が聞いた。

「おすそわけですみません」

 わたしが答えた。

「とんでもねえ。いただきます」

 文吉がうれしそうに言うと、わたしの手から菓子を受け取った。

そして、何を思ったか、その場で、全部たいらげた。

「こいつはうめえ。どこの菓子でさあ? 」

「え? 近所の菓子屋で買った菓子です」

 わたしが、その菓子屋を指さすと、文吉が大きくうなづいた。

「さようか。教えてくれてありがとう。

こんなにうめぇ菓子がこの世にあるとはうれしいねえ」

 文吉が言った。わたしは思わず笑みをこぼした。

「気に入ってもらえて良かった」

「もちのろんだ。じゃあ、また」

 わたしたちは約束もなく別れた。

屋敷に戻ると、正太が、お勝手口の前で男泣きしていた。

「お嬢様! 」

 正太があわてて涙をふくと言った。

「どうしたんだい? 帰らないから心配したよ」

 わたしが言った。

「申し訳ありません。わし、こたびのしくじりで、

おいとますることになりました」

 正太がくやしそうに言った。

「‥‥ 」

 わたしは返す言葉が見つからなかった。

「正太のことだけど、辞めてもらったからね」

「まことでございますか? 」

 台所をのぞくと、たえが、若い女中に

正太の件を報告しているところだった。

そのあと、厠へ行こうとした際、あの若い女中が

塀越しに誰かと小声で話していた。

塀越しからもれ聞こえる声にわたしはハッとした。

わたしに気づくと、若い女中が一礼すると足早に立ち去った。

わたしはすぐに、外に回ると、正太を待ち伏せした。

「お嬢様。何か? 」

 正太が驚いた表情で立ち止まった。

「立つ鳥跡を濁さずという言葉を知らないのかい? 」

 わたしが言った。

「は? 」

「あれじゃあ、女中の方が未練を残すじゃないのかい」

「え? さようで‥‥ 」

「いきなり辞めるんだ。それなりの節度を持ってもらわないとね」

わたしが思いつくまま言うと、正太がばつが悪そうな顔をした。

(あなたがそれを言うみたいな顔をしている)

「全くその通りですよ」

 庭の方から、母の声が聞こえた。





ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み