プロローグ(前編)

文字数 1,708文字

とある街の黄昏時──いや、逢魔が時と言った方がしっくりくるのかもしれない、ひとりの中学生が住宅街にある小道をトボトボと歩いていた。

ああ、今日も今日とて先生に怒られ、ヤンキーたちにパシらされ、ボクは一体、何のために生まれてきたんだろう。

山田イチローは、見た目も中身もパッとせず、これといった特技もないという、ちょっと気の毒な生徒であった。

これで家に帰れば、出来のいい弟と比べられ、両親からネチネチ言われるんだ。

もう、たまんないよ。

そんな彼のぼやきをあざ笑うかのように、カラスは間の抜けた声を上げながら、それぞれの巣へと帰っていく。

……と、その時だ。

イチローは突然、立っていられないほどのめまいを覚えた。

うう、目が回る!
いまだかつて経験したことのない違和感。

彼はたまらず、アスファルトに倒れこんだ。

もはやこれまで!

そうつぶやいた瞬間だった。

しょぼくれたオッサンが、彼を抱き起こし、話しかけてきたのだ。
キミは、山田イチロー、14歳で間違いないね。

呼び捨てにはムッと来たが、めまいの影響もあり、イチローは素直にこたえた。

はあ、そうですけど。
やっぱりそうか。

ついにやったぞ、大成功だ‼︎

ちょっと……。

何なんですか、一体?

イチローはそう言いながら、よろよろと立ちあがろうとしたが、バランスが取れずにまた倒れこんでしまった。

やや、これはいかん。

タイムリープによる時空の歪みに、キミまで巻き込んでしまったようだ。


さあ、私につかまりたまえ!

男がわけのわからないことを言い出したので、瞬時に関わっちゃいけないタイプだと察知した彼は、男の手をふりはらった。

大丈夫です。

ちょっと急いるんで、失礼します!

そう言いながら、走り出そうとしたが、やはり足が思うように動かず、二、三歩先で転んでしまった。

ハッハッハ、あいかわらずドンくさいなあ。


そりゃそうだ。

過去にも未来にも、私がドンくさくなかったことなどないのだからね。

男がまたしてもわけのわからないことを言い、その上ドンくさいという、イチローが一番気にしていることを口にしたため、温厚な彼もさすがにブチギレた。

やい、ジジイ!

一体何の恨みがあって、ボクにちょっかい出すんだよ!

恨みなんてあるもんか。


あるのは愛。

……しかもねっとりするほどに凝縮された自己愛だけさ。

気持ち悪っ!

あまりの気持ち悪さに、イチローは化け物でも見るような目で、あらためて男の顔をのぞきこんだ。

そして、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

……アンタ、まさか。

そう、そのまさかだよ。


私は未来の世界からタイムリープしてこちらへやってきた、山田イチロー50歳さ!

あまりの衝撃と悲しみに、彼は膝から崩れ落ちた。


やっぱりボクは、こんなパッとしないジジイにしかなれないのか。

なんたる悲劇!

未来というものは未知であるからこそ、人は希望を抱いていられるのだ。


この男の登場は、イチローが抱いていた未来への希望を、きれいさっぱり奪い去ってしまった。

ハッハッハ、若き日の私よ、絶望することなかれ。

確かに私は、気づけばこんなジジイになってしまっていた。


しかーし‼︎


これからキミと共に、とんでもない特技を手にするのだから安心したまえ。

えっ、ちょっと、言ってる意味が……。

私はそれを実現するために、有り金すべてをはたいて、この世界へやってきた。

つまり、捨て身さ!


ますます、言ってる意味が……。
今この瞬間から、キミがあることをしさえすれば、私たちの人生はとてつもなく偉大なものとなるだろう。

偉大かつ崇高なものに……、ハウッ!

男はそう言うと、感極まってオイオイ泣き出してしまった。


イチローは通行人の視線にたえきれず、こう言うしかなかった。

とりあえずここじゃ目立つから、ウチの物置にでも入っててよ。

家族が寝静まったころに、話を聞きにいくからさ。

そうして二人は、互いに勝手知ったる我が家へと、歩いていった。

はたから見れば、よく似た親子が、仲良く肩を寄せ合っている姿にも見えただろう。

しかし二人の心境は、そんな穏やかなものではなかった。

一方の胸には、ぬぐいようのない絶望が、そしてもう一方の胸には、抑えようのない狂騒とが、とぐろを巻くヘビのごとく渦巻いていたのだ。

 

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登場人物紹介

山田イチロー

数字表記は16

見た目も中身もパッとしない中学二年生。

未来から来た自分(221)と、徳利のたぬき(440)にそそのかされ、円周率記憶世界一を目指すことになる。

単純でおだてに弱く、感動屋。

ジジイ

数字表記は221

逃げた妻子を見返すため、徳利のたぬき(440)に師事し、円周率を覚え始める。

しかしスタートが遅すぎたため、世界記録更新は夢のまた夢。

そこで捨て身の覚悟でタイムリープを果たし、過去の自分(16)を仕込んで、夢の実現を目論む。

師匠(π田ぽん吉)

数字表記は440

イチロー(16)の母ヨシコ(445)が古道具屋から二束三文でもらい受けた徳利。

100年の時を経て付喪神(つくもがみ)となるも、酒を飲みたいがために徳利のフリをしている。

ダジャレ好きが高じ、円周率の語呂合わせに血道を上げる。

ヨシコ(445)が禁酒したため物置小屋に捨て置かれていたが、ジジイ(221)に発見され、のちに師弟関係を結ぶ。

ニャンコさん

数字表記は253

ただの野良猫だったが、齢50にして尻尾が二股にさけ、猫又となる。

物置小屋をうろついていたところ、徳利のたぬき(440)と出会い、意気投合、酒を酌み交わす仲となる。

独自の暗記理論を持ち、そのノウハウを惜しみなくイチロー(16)に提供する。

説教癖が玉にキズ。

師匠(440)のことを徳さん(1093)と呼ぶのはこの253だけ。

鬼婆

数字表記は0288

飲み屋『028bar(オニバbar)』を切り盛りする鬼女。

営業時は金髪のアフロウィッグをしてツノを隠している。

モグリで骨つぎや薬品製造、その他諸々のグレーな施術をしているため、よく警察のガサに入られるが、その都度うまく逃げ切り、可動式店舗で店を再開させる猛者。

ヨシコ(445)とは気の合うカラオケ仲間。

ヨシコ

数字表記は445

イチロー(16)の母。

無類の酒好きだったが、ある時から徳利(440)の声が聞こえるようになり、医者に相談したところ禁酒させられる。

しかしその後、440が妖怪だとわかって安心し、晴れて飲酒を再開。

028bar通いも復活し、ついにはチーママとして働き出す。

ヨシロー

数字表記は446

イチロー(16)の父。

いじけた性格、底抜けの暗さ、無意識に相手をイラつかせる天才。

師匠(440)からは「かっぱよりもっと凶々しいもんが憑いとる」と指摘されている。

途中から円周率暗記の仲間に入れてもらい、16の良きライバルとなる。

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