第1話 幼いころ

文字数 1,747文字

 私は、先生をとても慕う生徒だった。とくに印象に残っている先生は、小学校の理科が専門の四十代の穏やかな教務主任だった。出会ったのは八歳のとき。
 当時、同級生の心の機微がわからず、人に合わせて行動することが全く出来なかった。にもかかわらず、なんで自分がひとりなのかもわからない厄介な奴だった。

 二年生の夏休み、担任の先生が産休に入り代わりに教務主任の光彦(みつひこ)先生がやってきた。光彦先生は、髪がぼさぼさしていた。担任の先生になついていたクラスメートは少しざわついた。
 私は、一年生の頃から仲間外れにあっていた。運動神経も鈍い、勉強も出来ない、かまって欲しくて悪態をつく。まさに負のスパイラルだった。

 産休した担任の先生も熱心で目配りをしてくれる人ではあった。違ったとすれば、光彦先生は授業中に私を、よく当てた。
守口(もりぐち)は、面白いことを言うから聞いてみよう」
 などと言うのだ。
 だが、不思議とぎすぎすした雰囲気にならなかった。
 授業中、たまにだが、先生が推理小説を読んでくれることがあった。シャーロック・ホームズのシリーズが多かった。
 いつのまにか、のんびりして少しとぼけた光彦先生のことが、みんな好きになっていた。

 ある日の授業中、クラスの優等生の男子が居眠りをしていた。隣の子が起こそうとしたら
「寝かせときなさい。疲れてるんだろう」
 と言った。先生は、彼がどれだけ自宅で努力をしているのか知っていたのかもしれない。

 先生が私に尋ねた問いで心に残っているものが、一つある。

「守口、どうして人間の目は二つあると思うか?」
 私は迷いながら
「二つないと怖いからだと思います」
 先生は、
「皆、目が一つだったら怖くないさ。逆に二つあることが不思議になるだろう」
 そう静かな表情で答えた。正しい答えを知った今も、先生との出会いは、貴重なものだったと感じている。
******
 私の父は、航空自衛官で基地が有るところを転勤して回った。
 大分県で生まれて、すぐに鳥取県に転勤になった父について、零歳から小学一年の一学期までそこで過ごした。
 よく覚えているのは、父方の祖母が、母がいなくて我儘を言いぐずる私に、かぼちゃの煮物を作ってくれたこと。
 当時、三つ年下の弟がお腹にいた母は産婦人科に入院しており、代わりに祖母が来てくれていたのだ。彼女は何をしても怒らないので、悪戯心から私はわざと障子に穴を空け続けた。
「いい加減にしなさい!」
 と、げんこつをくらった。初めて祖母に怒られた私はぶすくれ、無視し続けた。
 そんな生意気な孫に、彼女はほくほくで柔らかい優しい甘さのかぼちゃの煮物をたくさん作ってくれた。当時の私の一番の好物である。あれより美味しいかぼちゃの煮付けを口にしたことはない。思い出すとじわりとする。
 
 弟を抱いた母が帰ってきた。弟を可愛いとも思えず、喧嘩ばかりしていた気がする。幼児の三歳差はけんかとも言えず、意地悪だったと思う。
 弟が生まれてから、二階で一人で寝ることになった。母が、喘息があり病弱だった弟が心配で一緒に寝ることにしたためだ。別に川の字で寝てもよいだろうと、不満に感じていた。
「お姉ちゃんなんだから!」
 と何度言われたことだろう。姉の自覚は育たずに、何だか割り切れない思いが広がっていった。

 父は、自分の正義を振りかざす人だった。そして理性は、あまり無い人だった。
「嘘を吐いてはいけない」
 常々言われていた。
 ある日近所の幼馴染のお父さんから、
「ゆめちゃんのお父さんは、パチンコとかするの?」
 と訊かれ、
「よく、行くよ」
 と答えた。帰宅後、母に悪びれずに『今日こんなことあったんだ』って話した。すると父から激しく頭を叩かれた。ほかのことでも、よく殴られた。理不尽という言葉を当時は知らなかったが、ただつらかった。

 人に知られたくないならば、
「パチンコなんかするな!」
 と言いたい。だが今は、父にもつらいことがあり逃げ道がなかったのかなと思ったりする。そんな彼も最近胃を全摘出した。
 幼い頃一緒に風呂に入って私がうんこをしても怒らなかった父。
『嘘をつくな』という教えは非常に難しいことだ。正しいことかは、わからない。それでも大人になって心に嘘を吐くことはしないですむように育った。









 
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