第15話「詩織は素敵な女の子だよ」

文字数 3,140文字

「まさか、ご両親に挨拶するとは思っていなかったよ」
「へっ? ……そういうことになっちゃいますね」

 すっかり日が暮れた夕方。
 詩織の家の前まで来た僕たち。
 やや緊張しつつ、改めて状況を口にすると、当の詩織は考えていなかったようだった。
 僕は「そういうことになるだろう」と笑った。

「僕の恰好、おかしくないかな?」
「普通に見えますよ。大丈夫です」

 詩織が太鼓判を押してくれたので、まあいいだろうと判断した。
 まずは詩織が玄関の鍵を開けて中に入る。

「お母さん。ちょっと来て!」

 母親からかと僕は髪を整える。
 ちょっとの間が空いて、詩織の母が「なに? どうかしたの?」と不思議そうにやってきた。詩織と似ているけど、背丈は大きくない。むしろ小さいほうに入る。

「鍵でも失くしたの……って、誰?」
「ええと、そのね。この人は内藤先輩って言って……」

 言い淀んでいるのは気恥ずかしいからだろう。
 僕は詩織の横に並んで「どうも、初めまして」と頭を下げた。

「詩織さんとお付き合いさせていただいています。内藤賢悟といいます」
「ええええ!? 詩織と!? あんた、いつの間に!?」

 詩織の母は口元を押さえて、かなり驚いている。
 その声が聞こえたのか、奥のほうから背がかなり大きい男の子がやってきた。
 幼い顔つきとアンバランスだなと思った。多分、弟の勝利くんだろう。

「どうしたの母さん。大声なんて上げちゃって」
「き、聞いてよ勝利! 詩織が、彼氏連れてきたの!」

 声が裏返るほど驚いている詩織の母。
 勝利くんも目を丸くして「えっ? マジで?」と僕をじっと見る。

「あんた、正気か? 姉ちゃんと付き合うなんて」
「ちょっと、勝利! それどういう意味!?」
「そのまんまだよ。姉ちゃんがさつだし、すぐに手が出るし」

 それらの指摘は正しいらしく、詩織はうぬぬと何も言えなくなった。
 少しフォローしておくかと思った僕は「そんなことないよ」と笑った。

「詩織は素敵な女の子だよ」

 僕が自信満々に言うものだから、勝利くんは「あ、そうっすか……」と言葉に詰まってしまった。
 詩織を見ると少しだけ嬉しそうに、それでいて恥ずかしそうにしていた。

「あらまあ。随分と大人な彼氏さんだこと。詩織、いろいろと話聞かせてもらうからね」
「う、うん。分かってるよ」
「玄関で立ち話もなんだから、中に上がって。えっと、内藤くん、いいかしら?」

 僕は丁寧に「ええ、お邪魔させていただきます」と対応した。
 勝利くんは「姉ちゃんの彼氏にしては、丁寧過ぎるなあ」と呆然としていた。

「もっと体育会系の人と付き合うと思ってた」
「勝利、少し黙りなさい」


◆◇◆◇


「…………」
「……あのう。そんなに睨まなくても」

 リビングに通された僕は、椅子に座ってお茶をごちそうになっていた。
 それはまだいい。立派なもてなしである。
 だけど目の前に詩織の父がいるのはいただけない。

「…………」

 まるで不倶戴天の仇のように、無言のまま睨んでいるのは、詩織の父だった。
 百九十近くある強面の人で、頭をスキンヘッドにしていた。
 あの人のボディガードと同じくらい威圧感があるなと思いつつ、僕はお茶を啜った。

「なあ父さん。そんな恐い顔するなよ。別に姉ちゃんを傷つけたわけじゃねえだろ」

 いたたまれない空気の中、勝利くんが僕の隣に座って擁護してくれた。
 それでも詩織の父は何も話さない。
 詩織と母親はキッチンのほうにいる。どうやら晩御飯を作っているらしい。
 僕もご相伴に預かるようだけど……空気が死んでいる。

「ていうかさ、姉ちゃんもいつか付き合ったり結婚したりするじゃんよ」
「……勝利、黙りなさい」

 ようやく話してくれた――かなり低い声音。
 怒っているようだけど、どうして怒っているのか分からない。
 あの人や女の気持ちが分からないのと同じだった。

「君は、高校の先輩のようだな」

 ようやくコミュニケーションをしてくれるらしい。
 僕は「はい、そうです」と答えた。

「どうやって知り合ったんだ? 同じ部活か?」
「……どうやって知り合ったかは説明が難しいです」

 あなたの娘さんにドロップキックをされました、とは言えない。

「同じ部活でもありません。僕は文芸部なので」
「そうか……内藤くん、君は詩織のことをどう思っている?」

 僕は背筋を正して「大切な人です」と答えた。

「僕にとって、ただの後輩ではなく、大切な一人の女の子として――好きです」
「…………」
「それ以外の言葉は不要です。どれだけ言葉を尽くしても、言い尽くせませんから」

 僕なりに誠意を込めた。
 後は、詩織の父の反応次第だ。

「……詩織に彼氏ができたら、一発ぶん殴ってやろうと思っていた」

 物騒な言葉が出たので身構える。
 勝利くんは「おいおい父さん……」と呆れている。

「だが、ここまで詩織を好きになってくれる人が現れると、そんな気が失せてくる」

 詩織の父は口を歪ませた。
 笑っているのかどうかは不明である。

「詩織をよろしく頼む」

 詩織の父は頭を下げた。
 僕はホッとして「任せてください」と応じた。

「詩織を大事にします」
「そうか。じゃあ一発殴ってもいいな」

 右手で拳を作ってぱんぱんと左手を殴る詩織の父。
 ……えっ? どういうこと?

「……父さん、殴る気が失せたんじゃないのか?」
「うるせえ。娘の彼氏が目の前にいるんだぞ。殴るに決まっているだろ」

 詩織の父が椅子から立つのと同時に勝利くんも立ち上がる。
 うわああ。凄いことになったぞ。

「やめろよ! 今時暴力なんて流行ってねえから!」
「そこどけ、勝利! 俺ぁ殴りてえ奴を殴る! 詩織の彼氏なんて認められるか!」

 二人がわちゃわちゃしているのを見て、僕はゆっくりと立ち上がって、キッチンのほうへ逃げようとする――扉が開いて詩織がやってきた。

「あれ? どうかしたんですか、先輩」
「君のお父さんが僕を殴ろうとするからなんとかしてくれ」

 勝利くんにチョークスリーパーをかけている詩織の父を指さす。
 詩織は「いい加減にしてよ、お父さん!」と大声で怒鳴った。


◆◇◆◇


 詩織の父は俊彦で、母はまゆみという名らしい。
 あの後、詩織とまゆみさんが二人して俊彦さんを責めたおかげで殴られずに済んだ。
 そして晩御飯をごちそうしてもらった。

「あれ? 今日は赤飯じゃないのか?」
「勝利、余計なこと言わないで」

 姉弟の会話を聞きながら、僕は唐揚げを食べる。
 醤油味が染みていて美味しかった。
 それからポテトサラダも食べてみる。

「このポテトサラダ、美味しいですね」
「あら。分かる? それ詩織が作ったのよ」

 まゆみさんがからかうように笑った。
 詩織は顔を真っ赤にして「お母さんも!」と言う。

「そうでしたか。とても美味しいよ、詩織」
「え、あ、うん。ありがとうございます」
「あははは。姉ちゃんが照れてる」
「マジで黙って勝利」

 そんな様子を俊彦さんは黙って見ている。
 するとまゆみさんが「そっか。毎日お弁当を作っていた相手って、内藤くんのことだったのね」と気づいた。

「はい、そうです。毎日美味しいお弁当食べています」
「せ、先輩。どうしたんですか、いつもより素直ですよ?」
「いつも美味しいって言っているじゃないか」
「そ、それはそうですけど」

 俊彦さんのほうを見ると、悔しそうな顔をしていた。
 僕はどうしたものかと考えていると「お父さんのことは気にしないでいいですよ」と詩織は厳しく言う。

「拗ねているだけですから」
「……拗ねてない」
「その言い方、拗ねている証拠だよ」

 そのやりとりに僕は笑ってしまった。
 なんというか、家庭ってこんなに明るいものなんだ。
 まったく知らなかった。

「内藤くん、ご飯おかわりどう?」
「いただきます。ありがとうございます、まゆみさん」
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