第14話「私にとって、初めてのデートですから」

文字数 3,206文字

「内藤先輩、デートしましょう」
「……いきなり何を言っているのかな?」

 一学期の期末テストが近い、七月の半ばの頃だった。
 僕と詩織は学校の図書館で勉強をしていた。
 学年の違いがあるので、僕がおおよそ教えている。どうも詩織は文系らしく、数学が苦手だった。

 うんうんと唸りながら、必死に問題を解いていたときに、突然デートに誘ってきたのだった。
 何の脈絡もなかったため、僕はシャーペンの芯を折ってしまった。

「だって。せっかく付き合ったのに、デートしてくれないじゃないですか」

 ぷくっと頬を膨らませて文句を言う詩織に「もうすぐ期末だろう?」とやんわりと言ってやる。

「勉強を教えてほしいって言ったの、詩織だよね?」
「それはそうですけど。でもやっぱりデートはしたいです」
「そうだね……期末テストが終わったらデートしようか」

 そう言って日本史の教科書に視線を移す――それを奪い取って詩織は不満そうな顔で「あっさりしすぎです」とますます頬を膨らます。

「もっとこう、初デートなんですから、言い方を考えてください」
「……もしかして、詩織はデートしたことないの?」

 僕の問いに詩織は少し顔を赤らめて「当たり前ですよ」とそっぽを向いた。
 そういえば、付き合ったことがないとは聞いていたような。

「逆に聞きますけど、内藤先輩はデートしたことあるんですか?」
「えっと……あるにはあるけど……」
「……えっ? 本当ですか?」

 かなり傷ついた顔になった詩織に「いや、説明させてほしい」と僕は首を振った。

「デートと言っても、正式に付き合ってしたわけじゃなくて……」
「不純です。いやらしいです。最低です」
「そこまで言うか……? とにかく、詩織が想像するようなことはしていない」

 あの人の知り合いの女性と食事しただけだからとは言えなかった。
 まだ詩織には言っていないことが多くあった。

「詩織を会う前のことで、今はもうつながっていないから。許してほしい」
「……内藤先輩は本当に悪い人ですね。だけど、正直に言ってくれたからいいです」

 詩織の顔を見ると全然納得していないようだった。
 僕は「防衛大学校に入るにはそれなりの学力が必要だろ」とペンを回した。

「だから今のうちに勉強しないと。デートはそれからだ」
「分かっています。それでも毎日勉強は息が詰まります」

 悲しそうに僕を見る詩織。
 ああもう。そんな表情を見ると、なんでもしてあげたくなる。

「じゃあ、言い直すね」
「何をですか?」
「――文月詩織さん」

 姿勢を正して、僕は詩織を真っすぐ見た。
 詩織は何が何だか分からないという顔をしている。

「期末テストが終わったら、僕とデートしてくれませんか?」

 僕なりに誠意を込めた申し出。
 詩織は少し顔を赤らめて、それから「やればできるじゃないですか」と笑った。

「はい。私からもお願いします」


◆◇◆◇


 というわけで、詩織とデートすることになったのだけれど、どんなデートをするべきか悩んでいた。学生だからそこまで高級な店は似合わないし、かといって平凡なデートだとよろしくない。

 だから無難に映画でもどうかなと提案すると、詩織は嬉しそうに「いいですね、行きましょう!」と喜んでくれた。元々見たい映画があったようだ。

 そして期末テストを終えた土曜日。
 時刻は十三時を少し過ぎたぐらい。
 僕と詩織は待ち合わせして映画館に行くことにした。

 待ち合わせ場所に着いたのは僕が先だった。
 駅前の銅像の前。何でも戦国武将の像らしいけど、あまり興味がなかった。
 しばらく待っていると「内藤先輩、お待たせしました」と詩織がやってきた。

「あ。ううん、全然待って……」
「あれ? どうかしましたか?」

 詩織の恰好を見て、素直に綺麗だなと思った。
 動きやすい、ユニセックスな服装で、彼女なりにおしゃれをしてきたんだなって分かる。
 いつもの制服のジャンバースカートじゃないのが新鮮だった。

「何か、おかしいですか……?」

 自分の服を見回す詩織に「とても似合っているよ」と僕は素直に言った。

「見違えたよ。そういうスポーティな服、似合うんだね」
「ありがとうございます。もっと女の子らしい恰好が良かったかなって思ったりしたんですが」
「あー、それもいいね。でも今日の服は素敵だよ」

 お世辞のつもりはなかったけど、詩織は顔を赤くして「照れちゃいますね」と笑った。
 僕は手を差し出した。不思議そうに見る詩織。

「どうしたんですか?」
「デートだろう? 手、つなごうよ」
「え、あ、はい……」

 ますます顔を真っ赤にしながら、僕の手を握る詩織。
 だけどすぐに「手慣れてますね」と厳しい顔になる。

「女性に慣れている感が強いです」
「そういうの嫌いかい?」
「ちょっとだけ苦手です。女たらしみたいで」

 うーん、エスコートしようとしているんだけどなあ。
 詩織の手を握る強さが徐々に増している。

「さあ行こうか。映画の時間もあるし」
「そうですね。行きましょう」

 駅前にある映画館は歩いてすぐだ。
 暑い日だったけど、店の中に入ると冷房の風で冷やされる。
 僕たちは見たい映画のチケットと飲み物を買って、映画館の中に入った。
 その際、僕が全部お金出した。詩織も出そうとしたけど、やんわりと「僕が出すから」と言った。

「内藤先輩、ありがとうございます」
「いいよ。気にしないで」

 映画館の座席に座り、上映前の予告を見つつ、僕は詩織を会話する。

「鮫田はもう脚の調子がいいみたいで、三日後ぐらいに退院だって」
「全治二か月の怪我ですよね? そんな早く治るんですか?」
「あいつ、怪我の治りが早いんだよ。そのおかげで金城さんと一緒に過ごせる時間が増えるね」
「そうですね。好きな人と過ごせるのは嬉しいです」

 妙に達観したことを言う詩織に、僕は「じゃあ今は嬉しいのかな?」と何気なく訊いた。

「ええ、嬉しいですよ。何せ――」

 詩織は僕の手を握った。
 そして僕の一番好きな笑顔で言ってくれた。

「私にとって、初めてのデートですから」


◆◇◆◇


 映画の内容は恋愛ものだった。
 しかしありきたりな悲劇を交えたものではなく、少しだけ考えさせられる、文学的な内容だった。ちょっと詩織のイメージとは違っていて、それでも楽しめるものだった。

 映画が終わった余韻を楽しみつつ、僕は「いい映画だったね」と詩織に言う。
 詩織は「退屈しませんでしたか?」と少し不安そうに訊ねた。

「いいや。とても良かったよ。これ、原作あるのかな?」
「純文の棚にあると思います。私、原作の小説持っているんですよ」
「へえ。詩織は小説とか読むんだ」
「意外でしょう? 私も似合っていないなと思いますもん」

 付き合うことで相手の意外なところが知れるのは、なかなか嬉しいことだった。
 映画館を出るとまだ明るい街が見えた。

「似合っていないか。まあ否定はしづらいな」
「あ、酷いですよ! そこは嘘でも肯定してください!」
「詩織には嘘言いたくないから。それにしても、いい映画だった」

 僕は映画の中の台詞を言った。

「えっと、『傷は付けられたときが一番痛い。だけど治るときも痛い』だっけ。ちょっと文学的かも」
「そうですね。私も一番好きな台詞です」

 僕は詩織と手を握りながら「だけどさ、こう思うんだ」と続けた。

「痛いって思ったときから、傷は治るものなんだなって。だからどんな傷でも治るんだって思えるよね」
「ふふふ。先輩、詩人みたいです」
「こう見えてすぐに影響されやすいんだ」

 さて。映画も見終わったことだし、遅くならないうちに詩織を家に帰そう。
 そう思って歩き出そうとする――

「あ、先輩。私の家に寄っていきませんか?」
「えっ? うん、いいけど。どうしたの?」
「原作の本がありますから。先輩、読みたそうだったので」

 僕は何気なく「本当? ありがとう」と応じた。
 そして駅まで歩いて、しばらくして気づく。
 ……初デートで、彼女の両親に紹介されるのか?
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