第4話:俳句は詠むけど、本は読まない

文字数 1,863文字

 おじさんは俳句だけじゃなく、童話も書く。書くどころか「イヴのクリスマス」を読んで、わたしは不覚にも涙を流してしまった。
「あの『イヴのクリスマス」ですけど」
「あ、読んでくれたの? ありがとね」
 照れくさいのかかぶせるように言う。
「何度もなんか、恥ずかしいですけど、泣いちゃいました」
「ま、あれはお涙頂戴だから」
「そうかもしれませんが、重いテーマが扱われていて」
「えへへ、そお? あざといんじゃないかって気にしてたんだ」
 ぐぬぬ。これじゃあたしが涙腺のゆるいバカみたいじゃないか。せっかく童話をほめて気分良くさせて、「今度はみかんさんのために書きますよ」なんて言わせようと密かに企んでたのに。
「ぶどうさんの好きな童話ってどういうのですか?」
「んー、『いやいやえん』って子どもの時に読んだのがいいね。ボリュームたっぷりの連作短編童話集で、ちょっとシュールで時々こわい感じが幼いぼくに刺さった」
「今でも読み返したりするんですか?」
「そんなことしないよ。なんで童話を今さら読むの?」
「いえ、童話書いてるから」
 6行前からそういう話じゃないか。
「別にプロじゃないんだから読まなくてもいいでしょ。あ、童話に限らず本は読まないよ」
 言葉に詰まってしまった。
「若い頃はいっぱい読んだよ。大学の先生が古典を読め、流行りの本なんか読むなって言うからそれに従ってね」
「昔読んだ本が糧になってるんですね」
「うん、流行りの本も少しは読んだけど、そんなのは海岸の砂みたいに時の波に洗われて流れ去った。古典だけが石のように残っている」

 再び沈黙。古典ってどんなのですか?って言いそうになったのをこらえる。
「あ、最近読んだ本があった。小西甚一さんの『俳句の世界』って本」
「俳句の本ですか?」
 しまった。愚問だった。
「そうでもあり、そうでもない。俳句は江戸時代は俳諧だった。つまり芭蕉や蕪村は俳諧師だった。それを明治時代になって正岡子規が俳句というものに変えた」
「へええ。どこが違うんですか?」
「パッと見の違いはないかな」
「ないんかい!」
「ありがと。連歌のアタマ、発句が独立して行ったんだけど、5・7・5とか季語があるといった形式面での違いはなくて、内容が違う、ということになってる」
「ええと。どういうことでしょうか」
「歌謡曲とJ-POPの違いと言えばわかりやすいかな」
「はあ」
 わかりやすくなかった。
「小西甚一さんには『古文研究法』という参考書の名著があってね」
「参考書に名著があるんですか」
「あるんだよね。だって本だから。読んでてこの人すげえってなったんだ。古文の勉強もロクにしてないのに」
 ぶどうさんらしいなぁ。
「15年くらい前かな、『日本文芸史』という第5巻だけで千ページ以上ある本を読んで、すっかり魅了されたんだ」
 千ページ? 京極夏彦のサイコロ本なら知ってるけど。
「その『俳句の世界』も分厚いんですか?」
「それほどじゃない。400ページくらいかな。その半分以上が俳諧について書かれている。それはそれで貴重なのかもしれないけど、明治以降の俳句が薄いと言うか、熱がないと言うか」

 立て込みて門松立てぬアパートや

 おつとめ品コーナーの前で、いきなり俳句を詠む。相変わらずのスーパーでのお買い物。
「うちの近所は立て込んでて門松も多いから、自分がわざわざ立てることもないって見栄のような自嘲のような。こういう風味は俳諧っぽいかもしれない」
「そうなんですね。俳句っぽいのはどういうのになります?」
「うーん。みかんさんが年末年始で詩的だなって思う風景ってどういうのがある?」
 質問に質問で返すのはよくないですよ。
「昨日までと街の空気が違うってことでしょうか。澄んでるというか、清々しいと言うか」
「若い人でもそう感じるんだ」

  初明り清しと見ゆる土手の上

「土手の上から初日の出を見てると清々しい気持ちになったってことですか」
「はい。びっくりするくらい平凡だね。こういうのを月並俳句って言うけど、別にいいんじゃないかって思う」
「趣味ですしね」
「いや、向上心がないんだよ」
「なんか空に飛ぶ凧みたいです」
「お、そう言われると蕪村の名句出さないとね」

 いかのぼり昨日の空のありどころ

「いかのぼりって凧のことね」
「なんかさみしい句ですね」
「どうして?」
「もう昨日はないじゃないですか。明日になれば今日もなくなる。どこにも」
「うん。言われてみれば当たり前のことだけど、蕪村は凧を見てふと気づいたんだろうね。昨日の空はどこに行ったんだろうって、その軽い衝撃が今でも伝わってくる」




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