第5話 東京・赤坂

文字数 22,114文字

 国賓をもてなす内閣府迎賓館の大会議場は、名にし負う広々としたスペースを有していた。
 大型のプロジェクターを始め、各席に用意された小型モニターなどの最新式機器もさることながら、調度品に於いても凡そ尽くせる
限りの贅が施されており、どう見ても十名に満たない人数で内密な話をする場所では無い。
 にも拘らず、ほんの数人が占める議場内で国家機密について議論が交わされるなど、正に異常としか言いようのない事態であった。
 議場内にはホワイトボードの前に立つ希美と防衛・拉致問題担当相の二人、そして自衛隊の各幕僚長等計六名が居るのみである。
 窓枠を額縁に見立てた「雨上がりの紫陽花の園」の名画も今はまったくの形無しで、日本の造園技術を駆使して用意された筈の絢爛たる紫陽花の花々の饗応も、議場内に居合わす彼等にはそれを一瞥する心の余裕さえ持てなかった。
 畢竟議場内の至る所から吐き出される空調機器の涼風も、彼等の身体から放たれる熱を冷ますには到っていない。
 
 殊に拉致問題担当相である板倉の頬には顳顬から伝う数条の汗が幾重にも交錯し、またその瞳は焦燥の色を孕んでいた。
 ホワイトボードに書かれた、「戦略潜水艦・I‐418(アイ‐よんひとはち)」の文字を座ったままで一心に見詰める板倉。

「つまりNSC(国家安全保障会議)の特定秘密として保護されているI‐418は、実のところ新型の深海救難艇では無く、最新鋭の戦略潜水艦だったと言うことですね。
 しかもその潜水艦一隻に対して、開発費も含めイージス艦三隻分に匹敵する四千五百億円もの建造費を掛けたと?」

 瞠目を禁じ得ない板倉は、今し方希美から説明を受けた言葉を自身なりに整理し切れず、ほぼ彼女から聴いたままの言葉を並べた。
 不動の姿勢を取り、「はっ」と応じた希美が十度の敬礼を尽くす。
 やがて自身だけが、その場にぽつねんと佇んでいる疎外感を感じ取った板倉は、一通り廻りを見渡してみた。
 奇しくも自身以外の者は皆、伏目がちにこちらを見ている。

 その態度が示唆するところは・・・・・。
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 恐らく今この場に居る者の中で、独り自身だけがその特定秘密の裏を知らなかったのであろう。
 職責に関係が無いと言えばそれ迄であるが、やはり中枢を占める閣僚では無い自身の立場がそうさせたか。 
   
 胸中に呟いて大きく一つ溜息を吐いた板倉は、「私以外の皆さんは、どうやら既にご存知だっようで」と苦笑混じりに吐き捨てた。
 座ったままではあったが、隣席の芹沢がやや腰を折り即応する。
「気分を害されたのなら、御詫びします。
 しかしI‐418のことは承知していましたが、摂政宮殿下の密勅や、軍極秘戦闘詳報なる史料が拘わっていると言う話は、私も今日初めて聴きましたし、恐らくは総理も御存知無いものかと」
 板倉は怪訝そうに小首を傾げた。
「総理が御存じないと?」
「ええ。言い方を変えれば、知る必要が無いから。或いは知っていても、知らぬふりを通すのだから。と、言うことになりますか」
 奥歯に物の挟まったような言い方に、憮然とした表情で射るような視線を芹沢に送る板倉。
 対する芹沢はそよとも動かず、尚も座ったままで先を続けた。
「言うならばI‐418の存在を知りながら、友愛党を糾弾しなかったこと、或いはその存在を知りながら放置しておいた、我々民自党の意思を口外しない為。と、でも申しましょうか」
 言い終え口元を緩めて見せる芹沢に、板倉が反駁の声を上げる。
「しかし知っていて知らないふりと言うのと、私のように何も知らないと言うのでは全く違うでしょう」
 にやと嗤った芹沢が、板倉の二の句を遮るように押し被せた。
「仰せご尤もですが、ただ知らない方が良いと言う場合もあります。
 友愛党のそうした負の遺産を、そっくりそのまま我が民自党の功績に摩り替えようと言うのですから」
「ほう」
 そうとだけ返した後瞠目を禁じ得ない板倉に芹沢が畳み掛ける。
「我が国の自衛隊は専守防衛。
 集団的自衛権が認められていると言っても、海上自衛隊は米軍のように潜水艦で外洋へと繰り出すことは出来ません。
 殊に先制攻撃を念頭に於いた戦略潜水艦など無用の長物です。
 しかしもしどんな優秀なソナーにも感知されることのない、コンプリートステルス艦となれば話は別です。
 配備しても黙ってさえいれば、他国には分かりませんからね。
 それに防衛装備の輸出が可能な今、上手くすれば外貨も稼げる」
 芹沢の息を継ぐ時機を逃さず、板倉はその二の句を奪った。
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「色んな要素が重なって出来た偶然の産物とは言え、友愛党政権時代の所産であるI‐418の成果を横取りすると言う訳ですか。
 もしI‐418が不要になれば廃棄して総てを無かった事にすれば良いし、何より友愛党に貸しを作れる。
 そうだとすると我が党は友愛党を糾弾しない代わりに、友愛党もその件に関しては口を噤むように、と、そう友愛党と我が党で密約を交わしたと言うことでしょうか?」

 二人の大臣の如何にも政治家らしい遣り取りが耳に付き、やり切れない思いが嘆息となって口から漏れそうになる希美。
 視線を逸らせ何とかそれを呑み下した刹那、父今泉龍一の最後の言葉が脳裏に蘇ってきた。
 自身は未だ二等海佐として、練習艦の艦長を務めていた頃の話だ。
「幕僚なんかになるなよ。女なんだから、兎に角一回は結婚しろ」
 海上幕僚長でもあった父の、最後に遺した言葉がそれである。
 誰にも言える筈はなかった。
 部下や廻りの隊員にも嘘を吐くしかない。
「決して日本の自衛隊は、戦争の為に人を殺してはいかん。そして殺させてもいかん」と、最後の言葉を遺した。と。
 そうして父の遺言を、座右の銘と摩り替えてしまった。
 まあそれも、父の言葉と言えば父の言葉であるが・・・・・。
 こんなことになるなら、父の遺言通りにしておけば良かった。

 今泉の家に生まれた男子は、代々海軍若しくは海上自衛隊に籍を置いたが、何故か父の代になって生まれたのは女ばかり。
 長女の自分だけは海上自衛隊にと、防大から幹部への道を選んだ。
 只、しかし・・・・・未婚のまま海上幕僚長になろうとは。
 鬼籍に入った父も、草葉の陰でさぞ落胆していることであろう。
 もし祖父が生きていたら、祖父も父と同じことを言っただろうか。
 そうして思いを巡らせているうちに、遺影でしか知らない祖父が、こちらを向いて微笑んでくれたような気がした。

 終戦間際旧帝国海軍の潜水空母、伊号第四百一潜水艦に座乗し、ウルシー環礁に展開する米空母を爆撃すべく、総司令官として出撃した祖父今泉龍太郎。
 座乗していた伊号第四百一潜水艦が、終戦の為作戦を遂行出来ず
日本に帰投した際、米海軍に接収され米国旗が掲げられることに決まるや、拳銃で自らの命を断った。

 机上に軍刀を真一文字に置き、祖国への思いを籠めた遺書を遺し。
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 恐らく父は亡き祖父のような死の迎え方を、部下の自衛官には一人としてさせたくなかったのだと思う。
 純粋に日本の行く末を案じ、軍人として散って逝った祖父の死を、誰よりも嘆いたのであろう自衛官の父。
 そうした祖父の願いも、父の信念も、今の日本と言う国の有りようを見ると、まったく無意味なものに思える。
 今し方も閣僚等の思惑一つで、国民の血税に依って造られたI‐418が葬られるかも知れないと言う、何とも馬鹿げた話を聴いた。

 日本の為に、日本の企業に従事する、日本人技術者が造った、日本の海上自衛隊の艦艇が、で、ある。

 思えば集団的自衛権の時もそうでは無かったか。
 日本は平和を愛し、戦争を放棄するもので、戦闘行為を助長するような集団的自衛権を容認してはならない。
 あの時も戦争を平和の反意語として、単純な図式でしか捉えられない反戦家等は、そう訴えて譲らなかった。

 自分だけが平和であれば良い。
 世界の何処で紛争が起きていようが、自分には関係のないこと。

 彼等の言っていることが、そう聞こえてならなかった。
 尤も海上幕僚長の自身は、口が裂けてもそのようなことは言えないのであるが。

 唯、これだけは言える。
 そうした似非反戦家に掛れば、戦闘行為を想定したI‐418など日本には必要無いと、端から否定されてしまうと言うことが。

 日本は矮小な国土の面積とは比較にならないほど、広大な領海を有する海洋大国である。
 畢竟広大な海洋を防衛する為には、強大な海軍が必要となる。
 それが戦前日本が世界有数の海軍力を持つことの出来た、最大の所以であった。

 敗戦したとは言え、今以て広大な領海を有する現代日本の海上自衛隊に於いても、戦前同様、装備、隊員の練度など、何処を取ってもそれ相応に誇れるレベルを保っている。
 取り分け日本の潜水艦建造技術と、それを操艦する海上自衛隊員の練度は世界最高水準。
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  米海軍と比較しても劣るものではない。 

 殊に海自の最新式AIP( A i r I n d e p e n
-d e n t Pr o p u l s i o n/非大気依存型推進)潜水艦は、世界有数の音響ステルス性能を誇る。
 然るにその用途はもっぱら情報収集が主で、ハープーン対艦ミサイルや魚雷の発射管に於けるや開かれたことさえ無い。
 ところがその現実と逆行するように、近年対北・対中戦略上必要な現実的海上防衛計画に於いて、イージス艦以上に戦略潜水艦の配備を望む声が多数聞かれるようになった。
 とは言え現行法上、それを配備することは不可能。
 但し時を経て友愛党政権が自衛隊組織を改変し、それに伴って防衛関連の改正法案が可決するなら話しは別。と、言うことになる。
 しかし仮にそのように想定しても、開発が長期間に亘る戦略潜水艦は、予定完成時の数年前から極秘裏に建造せねばならない。
 加えて充当する莫大な予算が下りれば。
 と、言う困難な条件が多数立ちはだかる。

 今考えれば、それは正に天恵と言うべきものであった。
 否、もっと言えば、そうした莫大な予算を獲得する機会が海上自衛隊に巡って来ること自体、有り得可からざる椿事と言うべきか。
 皮肉にもそれは、韓国政府が李承晩(イスンマン)の時代から政権浮揚策として有用して来た、反日政策の根本を揺るがすやも知れぬ書簡に依って齎されることになる。

 それこそが昭和十一年二月二十六日、凶弾に倒れた斉藤実の生前の遺言に従い、葬儀から数日を経て当時の関係者であった軍令部参謀本庄忠道の手へと渡された、「摂政宮裕仁殿下の密勅」と言うGHQさえ存在を知らなかった一通の勅書だ。
 そして時を経ること数十年、果たせるかな海自と友愛党政府、そして韓国政府の三者で繰り広げられたシーソーゲームの結果、友愛党政府が韓国政府に引き渡すことになったその勅書と引き換えに、海自は四千五百億円と言う莫大な予算を獲得した。

 昭和帝が摂政であらせられた際に、往時朝鮮総督だった斉藤実に宛て極秘裏に御遣わしになったと言う勅書。
 それは歴史の闇に葬られた真実を、白日の下に晒す書簡であった。
 その内容は朝鮮の皇太子と日本皇族の女王との間に生まれた、所謂混血の王子暗殺の阻止を、昭和帝が命じたと言う秘中の秘である。
 そして終戦の年、軍令部次長の要職に就いていた本庄中将は、海軍大学で教鞭を執っていた
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時の教え子であった、祖父今泉龍太郎の手へとその勅書を託した。
 その晋王子救命作戦の詳細の記された、「忠一号・軍極秘戦闘詳報」を添えて。

 伊四百一潜でウルシーへと向かう作戦が決定する、前夜のことだ。

「貴官が生きて内地の土を踏み、此の勅書を昌徳宮殿下に御渡しする日が来ることを願ふ」

 命を受けた祖父も、終戦前夜に割腹して果てた本庄中将も、まさかそうした経緯でそれ等の書簡が、韓国政府の手に渡るとは思いもしなかったであろうが・・・・・。
 また祖母は祖父から言い遺された。

「若し私が帰らなかったときは、龍一に是を託す。
 その時は日本が戦争に負けた時だ。
 そうとなれば決して是を、急ぎ昌徳宮殿下に御渡ししてはならん。
 如何に朝鮮王族とは言え殿下は日本王族であり、帝国陸軍の陸将でもあらせられる。
 何とすれば米国の占領下に於いて、殿下が戦犯となられることも考えておかねばならん。
 龍一が成人した時に是を手渡し、殿下が御出でにならない場合は方子妃殿下に対し、時を見計って是を御渡しするよう伝えよ」、と。

 成人した父がそのことを祖母から伝えられたときには、既に臣籍降下が為された後で、昌徳宮殿下は平民となられていたのである。
 また朝鮮から救い出された晋王子も日本人として育ち、奥平晋一海軍中尉として伊五十三潜に乗艦し、搭載の回天に搭乗。
 米護衛駆逐艦アンダーヒルを撃沈すると共に、戦死していることが判明した。
 多聞隊として内海西部を発した十日後の、昭和二十年七月二十四日のことである。
 果たして特攻した彼は、自身の出自を知っていたのであろうか。

 それを思うと胸が張り裂けそうになる。

 加えて晋王子の育ての親である奥平晃顕海軍少将も、彼に先んじること一ヶ月と十一日、その後に訪れる晋王子の奥平晋一少佐としての二階級特進の死を知ることも無く、沖縄の地に散華した。
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 小録地区(おろくちく/現在の那覇空港近辺)を守備する、海軍根拠地帯司令官に着任した彼は、部隊玉砕と共に自ら豊見城村(とみぐすくそん)の司令部壕で自決したのである。
 最後に、「沖縄県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と大本営海軍次官宛の電報を打電し。
 昭和二十年六月十三日のことであった。

 不幸中の幸いと言うべきは奥平晋一たる晋王子が、戦死する前に晋次と言う忘れ形見を遺して逝ったことである。

 しかし日本人として日々を平穏に過ごすその子が、自身の血に秘められた事実を公にされることの酸鼻と、加えて昌徳宮殿下に於かせられても、救出されたにも拘らず晋王子が海軍士官として戦死したと言う訃報を、今更御受け取りになられる酸鼻。
 それ等を考えると、直接の関係者でも無い父の龍一には、祖父の遺言通りに密勅や戦闘詳報を御渡しすることが出来なかった。
 それよりはむしろ日本の海を守る海上自衛隊の為に、或いは韓国の為に役立てることが出来ないか。
 そのような機会にこそ、勅書や戦闘詳報を手放すべき。
 海の英霊となった晋王子の為、また本庄中将や祖父の為にも。
 先代の海上幕僚長も、父からそのように言い遺されていたらしい。

 やがて朝鮮王室儀軌引渡しを迎え、それを絶好の機会と信じた彼は、父から託されたそれ等史料を友愛党政府に引き渡した。
 果たしてそれが父や祖父の思いを叶える絶好の機会だったかどうか、疑問が残るところではあるが。
 
 詰まるところ韓国政府は、日本と朝鮮の混血の王子の暗殺を昭和帝が阻止したことと、そしてその継嗣の存在を隠蔽する為に。
 また友愛党政府は韓国政府と先代大統領任期中の、竹島問題及び従軍慰安婦問、或いは徴用工問題棚上の密約を交わす為。
 表向きは朝鮮王室儀軌の引渡しと言う、至極文化的な行為の裏側で、そうした隠微な駆け引きが繰り広げられていたのだ。

 そしてまた現に希美の眼前に於いても、二人の政治家による隠微な駆け引きが繰り広げられている。

 まるで希美を含む四幕僚長など、実在しない幻であるかの如く。

 そうしてあれやこれやと考えを巡らす当の希美を、まるで嘲嗤うかのように防衛記念章が突
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然ぎらと光を放った。

 それにしてもである・・・・・。

 これほど夥しい数の防衛記念章を胸に貼り附けていても、眼前で論議を交わす二人の大臣に意見を具申することすら許されない。
 それが政治上、或いは外交上の案件についての議論である以上は。

 一体幕僚長とは何なのであろう。 
 そんな自衛隊組織への慨嘆が胸中に渦巻き、安弘稙(アンホンシク)の死後も、自衛官としてしか生きる術を持たない自身を呪った。
 ふと気が付くと父が成るなと言い遺した海上幕僚になり、今では以前の父と同様、海上幕僚長と言う海上自衛官としては最高の地位に迄上り詰めてしまった。
 否、しかし上り詰めたのでは無い。
 世襲制でも無いこの地位に、女が容易く就けるものでは無い。

 流されるままその地位に就いた、不実のお飾り幕僚長。

 そんな言い様が一番似合っているのかも知れない。
 胸中に呟きながら我知らず苦笑していることに気付いた希美は、掌で口元を覆い隠すようにした。
 刹那、聞き知った声に耳朶を打たれる。

「別名イージス潜水空母でしたか? 
 その装備について今一度、我々素人にも分かるように御説明願いたい。
 宜しいでしょうか、今泉海上幕僚長」

 一瞬肩をぴくりとさせた希美ではあったが、艦隊勤務のときからの習い性で、先ずは、「はっ」とだけ応じた。
 咄嗟に声のする方に振り返り、それが板倉であることを確認した希美は、イージス潜水空母或いはI‐418の装備など、彼の口から吐き出された言葉の欠片を脳裏に寄せ集める。
 上の空で質問を聞いていたことなど毛ほども見せぬ表情で、十度の敬礼を返した。
 そうしてホワイトボードに自身で書いた、「戦略潜水艦・I‐418」の文字の下に機敏な挙措でマーカーを走らせて行く。
             
 
★イージス潜水空母I-418/コンプリートステルス艦★
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 ★全長 二百メートル★
 ★基準排水量 二万トン★
 ★AIP・非大気依存型推進エンジン/最大水中速度 三十ノット★
 ★新型極微音ハイスキュードプロペラ/新型X舵及び吸音タイル★
 ★航空機水中発艦用カタパルト[射出機]装備 (統合打撃戦闘機ブルーストーム〔垂直離着陸【STOVL】機〕を二機格納可能★
 ★発艦は潜水時も可 着艦は浮上時に飛行甲板へ)★
 ★潜航時格納型飛行甲板(V‐22・オスプレイ二機格納可能)★
 ★水中探知システム/フランクアレイソナー改良型★
 ★イージスシステム/潜航時格納型SPY‐1フェイズド・アレイ・レーダー★
 ★VLS・垂直発射装置(新型スタンダードミサイル・SM‐X/新型迎撃ミサイル・シースパローX搭載/その他計24基装備)★
 ★対艦ミサイルハープーン兼用魚雷従来型発射管/8基装備★


 そこ迄マーカーを走らせた希美の手を、板倉の声が止めた。
「ちょっと待って戴けませんか」
 微笑みながらも、眉根を寄せる板倉。
「実はそう言うことに疎くて、余計分からなくなりました」
 言い終えた板倉は希美から芹沢へと、やおら視線を転じた。
 直後薄っすらと笑みを湛えたままの板倉が、芹沢を凝視する。
その射るような視線を、眼に籠めた膂力だけで押し返す芹沢。
「そう言う板倉さんの正直な所は、私も見習いたいものですな。
 まあ簡単に申し上げますとI‐418は、空母、イージス艦、潜水艦それ等三つの艦艇の機能を総て兼ね備えた、最新鋭戦略潜水艦と言うことになりますか」
 応じた芹沢はにやと嗤って見せた。
 その微笑む芹沢の意図を知ってか知らずか、杓子定規に応じる彼の言葉に苛立ちを覚える板倉。
「それを何と評して良いのか私には図り兼ねますが、それが今迄の海上自衛隊の潜水艦を遥かに凌駕する、画期的な能力を備えているんだと言うことだけは分かりました。
 ですが、何故そのようなものが必要だったのか。
 果たしてそのような法規を逸脱するリスクを負って迄、そんな艦艇を建造する必要があったのか、どうにも分かりません」  
 胸中に潜む核心を噛んで含める声音で言い放った板倉から、芹沢は視線を逸らさずに応じた。
「では、なるだけ詳しく御説明申し上げましょう。
 御承知かとは思いますが、例えば実際に単独で海上と航空両自衛隊が中国海・空両軍と相対した場合、装備や練度など何処を取っても我が
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自衛隊の優位は論を待たないところです。
 と、なれば、確かにそのような艦艇を建造する必要が有るのかどうか、疑問を御持ちになるのは当然のこと。
 ですが例えばです・・・・・過日同様中国の民間人が尖閣に上陸し、それに呼応して北が我が国に侵攻を掛けて来たらどうなるか。
 その場合我が国は二つの敵と、同時に相対する事態に陥ります」
 丸顔の奥の双眸をぎらと光らせ、滑りを帯びた声音で告げる芹沢がずいと板倉の方へ身体を押し出す。
 突き刺すような視線を受け止めた板倉は、小さく肯いた。
「なるほど。中国が尖閣の実効支配を目論んで民間人を上陸させ、同時に北が北海道へ向けて弾道ミサイルを発射する。
 自衛隊がそれを迎撃出来ずに着弾した場合、北が北海道への侵攻を開始し、中国が尖閣を支配する。
 確かテレビで良く見掛ける軍事評論家が、そう言う事態も有り得る。
 と、そう、言っていたような」
 そよとも動かない瞳を向けて来る板倉に、「はい」とだけ返した芹沢は、びっしりと額に張り付いた汗を片手で拭い取って続けた。

「中国が民間人を尖閣に上陸させた場合、これに自衛隊が対応する訳にはいかないのもまた、論を待たない所です。
 先年同様先ずは海保が退去を促し、尖閣周辺に展開する米軍と海上・航空の両自衛隊は、その民間人の後方に控える中国海・空両軍と相対して釘付けになる。
 折りしもその際北海道が空からは弾道ミサイル、海からは大挙して押し寄せる人民軍の脅威に晒される事態に陥ったとします。
 加えて仮に、その弾道ミサイルが現状の自衛隊の対空能力を上回る、多弾頭ミサイルであったなら・・・・・。
 そしてその直後、押し寄せる北からの敵に、米軍不在のまま自衛隊単独で即応しなければならないとすればどうなるか。
ミサイルの着弾に因って混乱に陥った北海道です。
 即応出来るのは、駐屯する陸上の四個師団と海上の大湊地方隊。
 或いはスクランブル発進する航空の戦闘機。
 無論彼等は、充分に信頼に値します。
 しかし指揮系統を総て失っていたとしたら、果たして人民軍の空と海からの攻撃を喰い止めることが出来るのか否か?
 と、言う懸念が残ります」

 瞑目して話を聴いていた板倉は、腕組みを解いてきっかりと眼を見開いた。
「それを考えた時、そんな最悪の事態にも一隻で対応出来るI‐418を建造しようと、往時の
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海上幕僚達は考えた」
 言い終えた刹那希美を一瞥し、直ぐさま芹沢に視線を戻す板倉。
 肯いた芹沢は片方の眉を吊り上げた。
「その頃は友愛党も、自衛隊の改変を本気で考えていましたからね。
 ただI‐418を建造した当初は、イージスシステムや統合打撃戦闘機の搭載迄は考えていなかったようですが」
 そうと応じるや、板倉と自身とを挟み込むようにして座る隣席の海野を一瞥する芹沢。
「そうでしたよね、統幕長」

 水を向けられた海野は座ったまま、「はっ」と芹沢に返し、一つ向こうに座る板倉に目礼した。           
「往時の海上幕僚は戦略潜水艦をこそ建造する計画だったのでありますが、それは飽く迄無人偵察機を搭載したもので、特に費用の嵩む統合打撃戦闘機の開発迄は考えておりませんでした。
 それよりも通常イージス艦の配備を増やすか、或いはP3‐Cや後継哨戒機P‐1の配備を増やしたりと言う所が、過分に下された
予算の充当先としては妥当なところでありますから。
 しかし東日本大震災の発生から間も無く、余りにも早い友愛党政権の崩壊を迎え、追加装備を発注するしかない状況に・・・・・」
 続けようとする海野の二の句を制し、芹沢が押し被せる。
「下された特別追加予算を、国会の解散迄に消化する為ですよ。
 簿外予算も多分に含まれていましたからね」
 伏し目がちに芹沢の顔を見上げる海野を一瞥した板倉は、苦笑混じりに空幕長、次いで希美へと憐憫を宿した瞳を向けた。
「なるほど。短期間に追加予算を全部消化する必要があったと」
 板倉がこちらに視線を転じると同時に、眼前のペットボトルを持った芹沢が残りのミネラルウォーターを一気に飲み干す。
 次いで空になったペットボトルを、下に向けて振って見せた。
「こんな風に、残された予算を空にする必要があったんですよ。
 それにぶん取った予算の一部を統合打撃戦闘機の開発に充てると、リスクの分散が出来ますからね」
「リスクの分散?」
 言いながら怪訝な顔で小首を傾げる板倉。
 芹沢は一つ咳払いをすると、板倉を正面に見据えた。
「本来戦略潜水空母の開発は海上だけのものでした。
 無人偵察機を購入して搭載すると言う当初の計画通りならね。
 しかし戦闘機を搭載し、I‐418の戦闘能力をより高いものにしようと考えた時、どうしても航空の力を借りなければならない。
 ならばいっそのこと予算を割譲し、航空を巻き込んだ方が海上に取っては都合が良い。
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 つまり今し方も申し上げた、リスクの分散と言うことに繋がる。
 リスクの応分は航空が負担することになるのですから。
 無論その際航空の幕僚等も、或る程度のリスクは想定したんでしょうが、それ以上に純国産の爆撃能力を持つ、統合打撃戦闘機の開発には魅力があった。
 少々の危険が伴なうことは承知の上で、海上の持ち込んだI‐418搭載の統合打撃戦闘機の開発計画に同意したと言う訳です」
 畳み掛けるように話す芹沢から視線を逸らせ、海野に視線を転じた板倉が苦笑混じりに吐き捨てる。
「しかし皮肉なもんですね。 
 前海上・航空の幕僚等が頼みとしていた友愛党政権の崩壊により、潜水空母の装備がより厚みのあるものになり、しかも純国産の対空戦闘能力を持つ、統合打撃戦闘機まで開発出来ることになった。
 してみると前海上・航空の幕僚達が川菱重工や三崎重工に天下り出来たのも、友愛党政権崩壊のお陰と言うことになる。
 それに繰り上がりで幕僚長に御就任なすったのですから、現幕僚長の皆さんも、友愛党政権の崩壊に感謝すべきでしょう。
 鯔(とど)の詰まり、摂政宮殿下の密勅や軍極秘戦闘詳報と言う対価を支払いはしても、結果的には友愛党政権の崩壊と言う誤算に因って、皆さんにはI‐418と言う福音が残された訳ですから」

 嘲笑を模る板倉の口から発せられた粘着質の言葉に対し、無言を返事にした海野が希美に視線を転じ顎をしゃくった。
 見て取った希美が海野に目礼を返し、ホワイトボードに向き直る。
 次いで素早くマーカーを走らせた。


 ☆終戦時に立案されていた伊四百型潜水艦の建造計画☆
 ‐‐‐伊号第四百潜水艦~第四百十七潜水艦迄で終了‐‐‐

 と、そこまで書いた希美は、「なるほど」と唐突に発せられた板倉の声に、再び手を止められた。
「終戦から七十二年を経た今、あなた方によって伊号第四百型潜水艦の後継として、第十八番目に建造されることになった潜水空母が、伊号第四百十八潜水艦ならぬ、I‐418と言うわけですか」
 挑発するような声音で言い放った板倉が、声を殺して薄く嗤う。
 十度の敬礼を添えて、「はっ」と即応した希美が二の句を継ぐよりも早く、笠井幸成(かさいゆきなり)陸上幕僚長に視線を転じた板倉
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が、「しかしこの件に、陸上は何も関係してない筈ですよね」
と問い掛けながら、尚も口元に薄く笑みを湛えていた。
 嘲笑にしか見えぬ笑みを模った口元を動かし、更に続ける。
「それなのに陸幕長も他の幕僚長の皆さんと御同様に、先程から何も発言なさいませんが、この件についてこれ以上口を噤まなければならない、何か特別な理由でも有るのですか?」
 執拗に問う板倉の言葉が、笠井の頭蓋を突き通った。 
 身動ぐことさえも出来ず伏し目がちに板倉を覗うと、「いいえ特にそのようなことは」とだけ返す笠井。
 行き場の無い閉塞した空気と共に二の句を呑み込んだ笠井は、それ切り黙ってしまった。

 その場に滞留する毒気を呑み込むかの如く、大きく息を吸う芹沢。
 吐き出し、板倉の笠井への視界を塞ぐようにやおら立ち上がった。
「板倉さん。その辺りで御勘弁願えますか」
 言うや腰を折る芹沢に、半ば開いた口で、「は?」と応じる板倉。
 何かとんでもない誤解が生じていると言う直感に胸を揺さぶられ、瞠目を禁じ得ない板倉に芹沢が畳み掛ける。
「I‐418の予算が下されたのは友愛党政権崩壊の折。
 しかし完成したI‐418とブルーストームが自衛隊に引き渡されたのは、つい半年前の話なんです。
 笠井陸幕長がこのことを知ったのも丁度その頃なんですが、我が民自党に政権が復帰した後は、陸上に対して既に充分な予算が加算されていたんです。
 ですからこの件を腹の奥深く呑み込んだ我が党の意に反し、過日の繰り言を重ねても陸幕長には何の利益もありません。
 それに何より往時の陸幕長は海野統幕長で、笠井陸幕長は陸幕副長でいらしたんです。
 御立腹は尤もな話ですが、どうかその辺りを御察し下さい」
 搾り出すような声音で応える芹沢に、履き違えないで欲しいと返そうとして果たせず、板倉は慨嘆が自身の胸中深く浸透していく時間を、為す術も無く見送った。

 沈み込むようにして椅子に納まった芹沢。
 見て取った板倉は大きく一つ息を吐き、口をへの字に結んだ。
「何か誤解があったのなら御詫びします」
 告げるや芹沢に目礼を返した板倉は、続けざまに言い放った。
「つい、憎まれ口を叩いてしまいました。
 しかし芹沢さん、私が向かっ腹を立てているのはそう言うことでは無いんです」
         ‐93‐

 芹沢が怪訝そうな顔で、「と、仰いますと?」と応じ小首を傾げながらこちらを凝視して来る。
 眦を決した板倉は芹沢の視線を射返し、呻くように吐き出した。
「私は幕僚長方が、何故黙して語らないかを怒っているんです」
 芹沢が何に対してでしょうかと口を開くよりも早く、板倉が転じた視線を海野から順に、他の三人の幕僚長へと移しながら続ける。
「何故必要なものを必要だと仰らないんですか? 
 そして何故理不尽を看過するんですか? 
 I‐418は日本の企業に従事する日本の技術者が、日本を守る為に造ったものでしょう。
 それが無為に廃棄されるかも知れないんです。 
 皆さんは怒っても良い。いや、怒らなければならない」

 言い終えるや立ち上がった板倉の熱い言葉が、海野の胸を一揺れさせたのは無論のこと、居並ぶ他三幕僚長の心臓をも鷲掴みにする。
 狡猾な政治屋とばかり思っていた板倉の言葉とは思えず、返す言葉を失った海野等幕僚長は、唯々無言を返事にするのみであった。
 
「私も拉致問題担当大臣として今回は怒るつもりでいます。
 このまま韓国の政府高官等が反日を隠れ蓑に、朝鮮半島の安全よりも自国の利益を優先しようとするのなら私は彼等を許さない。
 北で変事が起こっているやも知れない今、我が国の拉致被害者、そして同様に韓国に取っては離散家族にも非常に危険な状態にあります。
 下手をすると人質に取られる可能性もある。
 だからこそ我々閣僚は、それ等の無辜の人々を全員無事に救い出さねばならない。
 命よりも大切な民族の矜持など存在してはならない。
 そして何より幕僚長の皆さんは、I‐418を以てそれ等の無辜の人々の命を守らねばならないのではないのですか。
 何の為に法規に抵触してまでI‐418を造ったのですか? 
 日本の為に必要だと思ったからでしょう。
 だったらあなた方も、日本の為に怒るべきだ!
 I‐418を廃棄したり、売り飛ばしたりなどしてはいけない。
 私の言っていることは間違っていますか?」
言い放ち握り締めた拳を机に叩き付ける板倉。

 希美が十度の敬礼を返すと、その他座していた三人の幕僚長もそれに倣い、各々が立ち上がりその場で十度の敬礼を尽くした。
 独り眉根一つ動かさずに聴いていた芹沢が、「つまり板倉さんは、I‐418を活かせと仰
         -94-

りたい?」と揺るが無い声音で問う。
 無言のまま肯く板倉を正面に見据えた芹沢は、にやと嗤った。
「これも何かの因縁と言うべきか。或いは昭和帝の御導きか」
 独りごちるように呟いた後、再び立ち上がって二の句を継ぐ芹沢。
「晋王子救命の密勅を下された昭和帝の御宸襟も、今日の仇同士のような日韓関係を作る為では無かった筈。
 今し方板倉さんが仰ったように、人の命に並び立つものなど無いと思し召しであったのではないでしょうか」

 芹沢の言葉が板倉の体内の熱を放散させた。
 次いで放散した体内の熱が、玉のような汗となって頬を伝う。
 それを床に落ちる寸前で、ハンカチで拭い取る板倉。
 直後微笑み合う板倉と芹沢をよそに、海野は眦を決して告げた。
「板倉大臣に頬を打たれた思いです。
 我々にはやらなければならないことがある。
 危うくそれを忘れるところでした。
 無論I‐418の廃棄や売却を阻止することもそうでありますが、先ずは北で勃発したクーデターに対応すること」
 クーデターと言う言葉を聴いた刹那、海野に振り返る板倉と芹沢。
 瞠目を禁じ得ない板倉は、ゆっくりと口元を動かした。
「北でクーデターが起こったとでも言うのですか?」
 海野が板倉に答えるよりも早く、押し被せるように問う芹沢。
「誰が、何の目的で?」
 逸る芹沢に、海野は噛んで含める声音で応じた。
「今し方の情報本部からの至急電から推測しますに、最早今の金正春は人民軍を掌握し切れていないものと思われます。
 何者かは知りませんが、盗み出した摂政宮殿下の密勅と軍極秘戦闘詳報を利用して、クーデターを成立させるつもりなのかと。
 それに・・・・・それに、晋王子の血を受け継ぐ人物が存命でありまして。確かその人物は・・・・・」
 そこ迄言い終えた海野の視線がこちらに転じるや、その場から一歩前へと踏み出す希美。
「救出された晋王子の孫に当たる人物が、東京に住んでいます。
 戸籍上は晋王子の救命作戦に参加した、旧日本海軍奥平少将の実家を継いだ形になっておりまして、奥平姓を名乗る歴とした日本人であります」

 身動ぎ一つ出来ない板倉は、口元だけを言葉の形に動かした。
「李王家直系の末裔が日本に居ると。しかも日本人であると?」
 十度の敬礼を添えて、希美が、「はっ」と返す。
         ‐95‐

 やがて芹沢が横合いから、冗談混じりの言葉を投げ掛けた。
「まさかその人物を王に擁立するから北に寄越せ、なんて脅しを掛けて来たりするんじゃないでしょうね」
 対する希美はと言うと、眉根ひとつ動かさずきっぱりと言い切る。
「有り得る話です。例えば拉致被害者と引き換えに、我が国にその人物を差し出せと、要求して来る可能性もあるのではないかと」
 希美の射るような視線が、芹沢の巨躯を仰け反らせた。
 直後笑みの掻き消えた口元から、掠れた声音で搾り出す芹沢。
「冗談でしょう?」
 
 折しも作動し始めた散水装置が庭園に水を撒き出し、時間を経て湿り気の失せた雨上がりの紫陽花の園に、今一度潤いを与える。
 とは言え防音設備が行き届いた議場内に、散水装置の吐き出す音の入り込む余地は無く、やはり事ここに至っても紫陽花の園の名画を愛でる者は一人もなかった。

 空調の音だけが微かに響く空間に、海野の副官の声が響く。
「情報本部からの伝令であります」
 唯独り晩餐会にも行かず、副官は議場の直ぐ外に控えていたのだ。
「通して良し!」
海野の声に皆が振り向くと、やはりそこに在ったのは藤堂の姿。
 急ぎ海野に歩み寄り不動の姿勢を取った。
「再びソウルから、至急電が届きました」
 十度の敬礼を添えて、胸前にタブレット端末を差し出す藤堂。
 海野が差し出されたタブレット端末を受け取ると同時に、「これも機密事項になります」と藤堂の声が続いた。
 ひとつ肯いた海野が、「了解した」と即応する。
 刹那無言のまま十度の敬礼を返した藤堂は、腕時計を一瞥した。
「現在時刻一九時五五分です。御確認願います」
 告げるや踵を揃え、再びその場に不動の姿勢を取る。
 芹沢も藤堂の声に呼応するように立ち上がった。
 次いで海野が受け取ったタブレット端末を芹沢の前に差し出すと、その場に不動の姿勢を取る。
 重ねて海野に足並みを揃えるべく、希美を始め他の三幕僚長もその場で不動の姿勢を取った。

 責任を押し付けられたような気がしないでも無いがそれも防衛大臣の宿命と胸中に叱咤し、芹沢は隣に並び立つ板倉と無言のまま頷き合い、共にタブレット端末に視線を落としていく。
         ‐96‐


       至  急  電   

    令和二年六月十一日
    現在時刻、一八五五、同、一七五○
 
 協力者より電有り。

 摂政宮裕仁殿下の密勅並びに軍極秘戦闘詳報が盗難された犯行時刻とほぼ同時刻に、大韓民国軍立軍人会病院の軍関係極秘資料を保管する金庫内に保管されていた、日本邦人と思しき奥平成についてのDNA鑑定書も盗難に遭った旨、協力者より情報を受ける。

 ‐追 記‐
 上記盗難されたDNA鑑定書は、二○十一年十月三十一日附で同病院が発行したもので、ソウル特別市の金谷陵に永眠する、大韓帝国英親王であり臣籍降下以前の日本王族でもあった、昌徳宮李王垠(しょうとくきゅうりおうぎん)と、上記人物とが血縁関係にあるか否かの鑑定を下したものであるらしく、鑑定結果は九十九・九九%の確立で両者は血縁関係が有ると断じられていると言うもの。
 また同DNA鑑定書には清涼里・崇仁園に永眠する晋王子との鑑
定も併せて為されており、そちらは九十九・九九%血縁関係でないとされている。
 以上盗難されたDNA鑑定書の写しを、協力者が複写の上確認。

   同、一八一○ 

 軍人会病院より盗難されたDNA鑑定書の、被鑑定人である奥平成について情報を収集。
 同日付外務省の非公開情報を、駐韓大使参事官より入手。
 同人は旅行中、北朝鮮国境付近の中国遼寧省丹東(タントン)のホテル大丹東賓館に宿泊し、二日前の同ホテルチェックアウト時から行方不明になっている旨、中国当局より本日附で在北京日本大使館宛に通達が為された。

 都内在住奥平成(オクダイラ・ジョー)四十五才は、妻・同美姫(ミキ)三十七才、長男・同桂(ケイ)十才と共に一家三名で行方不明に
         ‐97‐

になっている模様。
 ホテル側の証言によると、チェックアウト時刻を過ぎても同人等が退室手続きに現れない為、フロントからコールするも全く電話に応答する気配が無く、その後滞在していた部屋を確認するとスーツケースごと荷物が残置されているのを確認。
 不審に思ったホテル側が日本の取り扱い旅行社の北京出張所に連絡を取るも電話が繋がらず、已む無く同ホテルの北京営業所に確認を取るよう連絡したところ、宿泊台帳に記載された住所にそのような旅行社の北京出張所は存在しないと判明。
 ホテル側も宿泊費が前受けで当日に現金決済される為、取り扱い実績の無い旅行社からの送客でも、旅行社がどのようなものか良く確認を取らずに予約を受けたとのこと。
 扱いに困り果てたホテル側は、本日その旨中国当局へ届け出た。

 その際中国当局から連絡を受けた日本大使館は、担当領事が旅行社の本社所在地と思しき東京の管轄法務局に確認を取るも、登記上同社が実在しない旨判明。
 その時点で奥平成、同美姫、同桂一家三人の失踪事件と断定し、日本大使館は現地警察に捜索を依頼。

 また担当領事は親族に連絡を取ろうとしたが、戸籍上世帯主である奥平成に兄弟は無く、既に父母も他界しており子は長男の桂のみ。
 日本に在住する世帯主の親族とは連絡が取れない為、已む無く健在である同妻美姫の韓国に在住する両親に連絡を取る。
 同美姫は奥平家の戸籍に入る以前韓国籍の在日韓国人であったが、両親はここ最近韓国の春川に家屋を買い取り帰韓を果たしていた。
 確認すると母親は娘から旅行に行く旨メールを受け取っていたらしく、在日本大韓民国民団員主催の、「中国の朝鮮族を訪ねて」と
言うツアー旅行に参加する予定であったと言うことである。
 その後東京を始め日本各地の同民団支部に問い合わせをしたが、ツアー旅行については全くそのような企画を組んだ記録が無かった。
また在日本大韓民国民団の東京本部に連絡を取ると、奥平成自身は邦人であるが、それでも母や祖母が韓国籍だったことから、生後間も無く民団員としての登録を済ませているとのこと。
 
 以上が外務省で得た奥平成についての非公開情報の概要である。
 また上記情報が何故非公開となったのか、引き続き韓国内での情報を得る旨協力者に依頼す。
 
    同、一八三○
         ‐98‐

 協力者より電有り。
 我が国外務省並びに中国当局に対し、奥平成一家の失踪事件を暫時非公開にするよう依頼したのが、韓国の外交通商部であるとの情報を協力者より受ける。
 また情報非公開の依頼事由について、奥平成一家は日本籍であっても民団員であり、同人等の失踪に北が関与している可能性が高く、情報を公開すれば被害者等を危機に晒す可能性有りと認めた為、としているとのこと。
 尚、引き続き協力者に調査を依頼す。
 以降新情報を入手次第電送る。
                 以上

    大韓民国日本大使館附駐在防衛官 
         小笠原裕行一等陸佐
               
  情報本部 藤堂本部長殿


 至急電を読み終えた芹沢は一度合わせた視線を板倉から逸らせ、この報を携えて来た藤堂に向けた。
 小さく一つ息を吐き出す。
「六月十一日、今日の18時55分の情報なら・・・・・」
 独りごちるように呟き、左腕の時計に視線を落としながら続けた。
「今からほんの40分程前の情報ですか。
 状況はほぼ、そのままでしょうね。
 現地の小笠原駐在防衛官に以降の情報収集はこちらでするので、通常の任務に戻るよう御伝え下さい。
 それからこのことを良く伝えてくれた、感謝する、とも。
 そしてくれぐれも他言せぬように。と」

 不意を衝かれた衝撃に、藤堂は一瞬肩をぴくりとさせながらも、「承知致しました。以降は北の情報を」とタブレット端末を受け取り、何喰わぬ顔で至急電を消去する。
 次いで芹沢は一つ肯き、口早やに告げた。
「そうして下さい。奥平成と言う邦人は、一家共々北に拉致されてしまったようですから。果たして拉致した者達の狙いは何なのか。
 その辺りの調査を、早急に御願いしたい」
 芹沢の藤堂に令した言葉は、眼前の空気を歪めるほどの力を以て海野他三幕僚長の頭蓋を揺さぶる。
 誰もが身動ぎ一つ出来ない中、頭頂から爪先まで全身の脱力を禁じ得ない希美は、自身の手から滑り落ちたマーカーが床を叩く音だけを聴
         ‐99‐

いた。

 こつん。こつん。こつん、と。

 その中を十度の敬礼から直った藤堂だけが、泰然と大扉に向かって歩いて行った。
       
 板倉が咳(しわぶ)きと共に、「してやられたようですね」と芹沢に視線を向け直しながら投げ掛ける。
「ええ。首謀者は金代表書記に粛清された元人民軍の幹部かと。
 中国政府も加担しているようだし、それに手際が良過ぎます」
 応じる芹沢の言葉を聴いて、机に衝いた手で頽れる寸前の身体を受け止めた板倉は、独りごちるようにして吐き出した。
「しかし我が国も嫌われたもんだ。
 韓国はこの会談に臨む前、既に総てを知っていた筈。
 我が国には肘鉄を食らわせておいて裏で中国と手を結ぼうとする。
 そんなことをすればアメリカは激怒すると言うのに。
 何故だ・・・・・」
 諦念の色を宿した瞳で、芹沢が板倉の方を見るともなく見遣る。
「昨年のGSOMIA破棄の際もそうだったように、米国の反応より先ずは反日なんですよ」
 芹沢の言葉に対する反駁の代わりに、板倉は顎を振った。
 次いで彼の倦んだ視線を打ち払うようにして振り返る。
「それにしても今回のここに来ての韓国の動きはおかしい」
 搾り出した板倉は、再び芹沢を正面に見据えた。
「このままだと拉致被害者が生命の危機に晒される可能性もある。
 それに奥平氏が民団員で有ろうと無かろうと、彼とその家族は歴とした日本人なんです。
 もし彼等が北に攫われたとすれば、これは明らかな邦人の拉致。
 何としても彼等と、そして拉致被害者全員を無事救出する為の協力を得るよう、我々は韓国政府と話し合わなければなりません。
 同時に北で起こっていると言うクーデターの対応についても」
 板倉の切迫した声に耳朶を打たれ、マーカーを拾おうと屈んでいた希美がその場に凍り付く。
 恐る恐る顔を上げた視線の先には、突き刺すような視線をこちらに送る板倉の双眸が在った。
 マーカーを手に立ち上がってはみたものの応じる言葉とて無く、無為に唇を動かして声にならない言葉を吐き出すのが精一杯の希美。
 棒立ちとなっている希美を尻目に即応したのは、今まで硬く口を閉ざしていた仙道義久(せんどうよしひさ)航空幕僚長であった。
「御心配なさらずとも、何れ中国は韓国に持ち掛けた支援策を取り下げてくる筈です。
        ‐100‐

 アメリカの意を無視できない韓国を一先ず懐柔しておいて、必ずやクーデターを起こした北の元人民軍幹部を支援し韓国を袖にする。
 そうとなれば韓国政府は、否が応でも米国と我が国とで共闘しなければならない状況に陥ります」
 仙道が言い終えるや、板倉を正面に見据えた海野が押し被せるように重ねた。
「益してや今回の北でのクーデター勃発は、中韓に取って公には知られたく無い事件の筈。
 無論米国に対しても知られたくないのでしょうが、恐らく米国はこのことを我が国よりも早く承知している筈。
 だからこそ韓国政府は米朝核合意と無関係の我が国との外交問題を理由にして、一時的に合意を阻む手立てを選んだのでしょう。
 中国もそのことを承知していて韓国政府に揺さぶりを掛けたのでしょうが、それに反して米国から我が国には何の連絡も無い。
 尤も北でクーデターが勃発しても我が国に出来ることは何もないのですが、それでも電話一本くらいあっても良いものを、米国も我が国が韓国政府にどう対処するか高見の見物を決め込んでいる。
 自衛隊制服組の幕僚の皆さんに今日の会合に出席して戴いたのも、北の核の完全放棄時に於いての日本海沿海での海上警備行動の確認の為なのですから、我が国が軍事的に出来ることは何もないのです。
 しかしながらI‐418なら別の話になる。
 そう言うことになるのでは?」
 言い終えた海野が仙道に視線を転じ、「恐らくは」と意味あり気に続ける。
 受けた仙道は海野に目礼を返し、芹沢に向き直るや畳み掛けた。
「自衛隊機にしろ韓国軍機にしろ、通常戦闘機が地上から飛び立てば必ず航空管制を受けます。
 無論空母から飛び立てば地上の航空管制こそ受けませんが、我が自衛隊に通常空母の配備は無く、また仮に配備していたとしても、戦術データリンクの鎖で繋がれた空母から飛び立てば、それは西側諸国全体に戦闘機が飛び立ったことを触れ回るのと同し。
 しかし正式な艦籍を持たないI‐418なら話は別になります。
 海中から射出された未登録のステルス機が、海面ギリギリの高度を飛行して北に侵攻し、弾道ミサイルの発射基地を叩くのであれば、北はおろか米軍でさえもその詳細を知り得ないでしょう。
 恐らくクーデターを起こした首謀者の切り札は弾道ミサイルの筈。
 しかも多弾頭の新型のものでしょう。
 しかしブルーストームを使えばクーデターを阻むことが出来ます。
 否、必ずやそのクーデターを鎮圧してみせます」
         ‐101‐

 ゆっくりとこちらに転じて来る仙道の視線を受け、胸を一揺れさせる希美。
 直後込み上げて来る熱の塊が、自身の心奥で弾け飛ぶ音を聴いた。
 きっかりと芹沢に向き直り、十度の敬礼を添えて切り出す。
「仮に弾道ミサイルが発射された場合でも、I‐418には多弾頭ミサイルでも叩き落す、SM‐Xと言う切り札が残されています。
 このSM‐Xは米国との共同開発で、表向きは未完成と言うことになっているのですが、先ほど来申し上げておりますように最早完成を致しております。
 無論米国がこのことを知ったら、共同開発の規約違反を追及して
来るでしょうが、その責任は総て自分が取らせて戴くつもりです。
 SM‐X発射の許可さえ戴ければ必ずや御期待に沿える筈。
 それにクーデター勃発の端緒は、先代の海上幕僚長が摂政宮殿下の密勅や軍極秘戦闘詳報を手放したことにあります。
 至急電の第一報を聴いた時から、この変事を収めるのは我々海上の仕事だと心に決めておりました。
 韓国軍と話をさせて下さい。
 一人も殺さずに、また一人も殺させずに、北で勃発したクーデターを鎮圧してみせます」
 マーカーをきつく握り締め、一歩も引かぬと言った様子の希美を視線の端に捉えながら、海野が後を引き取った。
「無論、海上だけでなく統合・航空・陸上も協力は惜しみません」
 笠井も海野に対する同意の言葉の代わりに、無言のまま芹沢に十度の敬礼を尽くす。
 
 一瞬の静寂がその場を包んだ直後、芹沢は板倉へと視線を転じた。
「戦略潜水艦も、統合打撃戦闘機、つまりは爆撃機も、使うものが使えば殺戮兵器にはならない。
 そのことを自衛隊が身を以て証明しましょう。
 その為には先ず、韓国政府と話し合わねば」
 言い終え何か閃いたように、こちらに向けたまま眼を凝らす芹沢。
「それと、総理に辞表を預けるのも御忘れなく」
 苦笑混じりに続ける芹沢に釣られ、板倉もにやと嗤う。
「芹沢さんに御供して戴けるのなら心強い。
 早速秘書に用意させます」
 そうして笑みを浮かべる板倉を正面に見据え、笑みを掻き消した芹沢が念を押す声音で告げる。
「それでは韓国側と話し合えるよう、今直ぐ手配をします。
 私とあちらの国防部長官が話し合ったのでは、どうも血生臭い。
 交渉は総て、板倉さんに御任せします。
        ‐102‐

 相手は知日派で知られる、高明善(コミョンソン)統一部長官が宜しいかと」
 言い終えた芹沢がスマートフォンを手にした刹那、「入っても宜しいでしょうか?」と間延びした声が議場内に響いた。
 板倉の秘書である。
 咄嗟に芹沢が手元のリモコンを掴んで、ホワイトボードに向かってスイッチを押した。
 その直後まるでブラインドが下ろされるかの如く、I‐418の詳細を記した文字が一瞬で消え去る。
 こちらを見て肯く芹沢と視線を交わした板倉は、秘書に入室するよう促した。
「入ってくれ」
 今し方迄この場でどのような議論が為されていたのかなど、果たして知る由も無い板倉の秘書が、小声で耳打ちする素振りさえも見せず、唯淡々とした口調で問い掛けてくる。
「間も無く韓国伝統芸能のパンソリが始まりますので、宜しければ御一緒に。と、高(コ)統一部長官からの御誘いなのですが?」
 それを受けて板倉は、誰に返すでもなく独りごちるように呟いた。
「ほぉ。先に向こうから言って来るとはな」
 状況を把握し切れない秘書が、歯切れ悪く問い掛ける。
「どう・・・・・致しましょう?」
 板倉は揺るが無い声音で返した。
「喜んで御一緒させて戴きます。そう、伝えてくれ」
「では、そのように」
 そうとだけ言って踵を返す板倉の秘書。
 その背中が大扉の向こうへと消えた刹那、海野他三幕僚長は皆、一斉に板倉に対して十度の敬礼を尽くした。

 大きく一つ息を吐き出し、芹沢にきっぱりと告げる板倉。
「I‐418に出動命令を。それにSM‐Xの発射許可も」
 言い放ち芹沢から希美へと視線を転じた板倉は、一つ肯いた。
 再び十度の敬礼を添え、「はっ」と海上幕僚長の声音で返す希美。

 次いで歩み寄り、大扉の引き手に手を掛けようとする板倉の背中に、「それから」と声を掛けた芹沢が、「官邸の方は、こっちで何とかします」と念を押す声音で続けた。
 大扉の前で立ち止まる板倉。
「助かります・・・・・乗るか反るかは天のみぞ知るところ。
 ですが拉致問題担当相として、我が国の閣僚にも、韓国政府の高官にも、この際反日も嫌韓も無しにして貰うつもりですので」 
         ‐103‐

 背中で言い終えた板倉が、大扉の向こうに消え入るのを見送った芹沢は、大きく一つ息を吐いてゆっくりと椅子に腰を下ろした。
 皮肉なことに今頃となって漸く色を為して現れた紫陽花の園が、やおら絢爛たるその姿を拡げているのに気付く。

『こんなにも美しいのに、全く気付かなかったとはな』

 そう胸中に呟いた芹沢は、これからすべきあれやこれやを考える
前に、今少しこの紫陽花の花々の饗応を受けていたいものだと、許される筈の無い願望に胸を一揺れさせた。

『が、そうもいくまい』

再び胸中に言い聞かせ、徐に紫陽花の園の名画から眼を逸らせた芹沢は、スマートフォンを手にると、「至急、官房長官と連絡を取りたい」と吹き込んだ。

         ‐104‐
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