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 篠田はその頃から体調不良を理由に休みがちになりました。一方、一部の役員や部長たちの間で私を持ち上げる動きが出てきました。不良債権処理の実績を評価してのことです。私は日頃から業務効率の改善と行内融和が必要だと訴えていたので、行内に二つのPT、プロジェクトチームを立ち上げることになりました。
 それを苦々しい顔で見ていた役員もいましたが、頭取が賛成してくれたことで、プロジェクトは動き始めました。
 どちらのPTも私を座長にという声が上がったのですが、さすがに両方は無理なので、行内融和PTのみ引き受けることにしました。そして業務改善PTの座長は篠田になってもらうことにしたのです。彼は当初は固辞しましたが、頭取から説得され、就任を了承してくれました。業務効率の改善にはシステムの効率化が不可欠ですが、システム担当役員が高齢で退いたばかりだったのです。篠田は課長時代に、少しの間ですが情報システム部門にいたことがあり、その経験もあってのことでした。
 役員会で対立していた篠田と私が和解し、一致協力して行内改革を進めていく、そういう図式を演出しようという頭取の意図もありました。
 銀行に限らず、現代の金融業は巨大な装置産業です。膨大な顧客データをシステムで管理しています。情報システムは現代の金融業界にとって基礎となる事業インフラです。
 預金、為替、融資の残高や取引履歴は、勘定系と呼ばれるシステムで管理しています。顧客サービスの根幹となるシステムです。これがきちんと動かないと窓口業務もできませんし、ATMで現金を引き出すこともパソコンやスマホを使った取引もできません。
 こうしたシステムは各行が独自に開発しており、経営統合や合併の際に銀行を悩ませてきました。長い年月が経つと、システムを作り、全容をわかっている人物が定年や転職でいなくなってしまうからです。
 銀行二つが合併すれば、当然に顧客に関するデータを統合しなければなりませんが、一方のシステムからもう一方に必要なデータを移行しようにも、そもそもどこに、どんなデータが、どんな形で格納されているのかよくわからないことが多いのです。仕様書やマニュアルも、長い年月の中で改訂が十分になされていないこともあります。それを調べるところから始めなければなりません。
 調べてもわからない、あるいはわかっても移管がむずかしい場合は、両方のシステムを残したまま接続して動かすしかありませんが、接続のためのプログラムもまた、相手方のシステムの中身がよくわからない状態で、手探りで作らなくてはなりません。いずれにしろシステム統合は、多大な時間と労力、そして莫大な費用を要するのです。
 帝都銀行の業務の効率化がなかなか進まないのも、実はこのつぎはぎだらけのシステムが大きな原因の一つとなっていました。システムを使っていなかった戦前の合併はともかく、戦後、比較的遅い時期に合併した数行とのシステムの統合は、完全には終わっていなかったのです。それらはどうにも相性が悪くて、何年かに一度、思い出したようにシステム部門が部分的な統合を試みては失敗し、障害が発生して、社内苦情が殺到するということを繰り返していました。
 その頃までは、トラブルがあっても影響は行内に限定され、顧客に迷惑がかかるような対外的な問題にまで発展したことはありませんでした。ですが、いずれきちんと統合しなければならないことは行内の誰もがわかっていましたから、業務改善PTができたこの機会に、未来を見据えたシステムの大幅改修を行い、将来のトラブル発生の可能性を摘むと同時に、どの銀行よりも進んだシステムを構築し、競争力アップの切り札とすべきだ。私はそう主張したのです。主張は広く賛同を得、プロジェクトは始動しました。
 篠田は、システム関連部署からエース級のベテランをPTメンバーに配置しました。実際の作業の多くは、外部委託先の開発チームが行うのですが、当時の帝都銀行で考えられる最高の布陣であったと思います。指揮は篠田がみずから執ると言いました。
 新システムの開発計画が発表されると、ほぼすべての部門から歓迎の声が上がりました。
 システムの処理が遅い、操作が複雑などの不便は、行内の誰もが感じていたのです。二重のシステムがあるために、同じデータを二回入力しなければならなかったり、同じ目的の帳票が三種類あったりしましたから、至極当然のことでしょう。
 ――それらが全部解消すれば、きっと業務効率は飛躍的に上がり、行員たちは出身行の違いなど意識せずに仕事ができるようになる。行内には強い一体感が醸成され、帝都は名実ともに国内トップの銀行になる。今やろうとしているのは、そのための未来に向けたプロジェクトなのだと、私たちは行内に説明しました。帝都銀行はようやく、本当に生まれ変わる――行員の誰もがそう期待しているのが、経営陣にも熱く伝わってきたのを覚えています。
 計画では、新システムの開発には二年を要するとされました。メディアを通じて大々的に告知しました。わざわざ記者たちを呼んで会見を開き、不良債権で失われた世間からの信頼を取り戻そうと考えたのです。こうして、多くの期待を一身に集めたプロジェクトはスタートしました。開発の進み具合は定期的に役員会に報告され、その都度、スケジュール通り順調に進んでいるという報告がなされました。
 開発作業が始まって一年半ほど経った頃、篠田の体調はいよいよ悪くなり、彼は新システムの完成を待たずに帝都銀行を退きました。四十代から太り始め――社内外の政治や接待のせいでしょうが――、不健康が外見からも明らかだったので、引退はよい頃合いだったのではないでしょうか。
 私は、不良債権の件でやりこめたことを負い目のように感じていたので、健康のことは心配でしたが、仕事のことだけを考えれば、やりやすくなったと思いました。正直、ほっとした思いもありました。
 何と浅はかだったことでしょう。
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