文字数 3,466文字

 その男はTといった。高価なスーツをさりげなく着こなす、すらりとした優男だった。
 父親が作った町の不動産屋を継いでから、小さな土地をたくさん購入して、まとめてビルを建てて高く売るのを繰り返して――地上げだな――急成長した。
 おれがTを知った頃は、海外のリゾートホテルや娯楽施設の買収と経営にまでビジネスを拡げていた。
 Tとは海外不動産への投資セミナーで知り合った。Tが経営するE社の主催で、自分で講師をやっていた。ようするに自分に投資してくれという宣伝イベントだ。東京中の金融機関の人間が参加しているかのような盛況だった。それもそのはず、Tは当時、不動産業界で超のつく有名人だった。落ち着いた口調で何百億円の話をする姿は、金に染まったあの時代のビジネスマンなら誰もが心奪われただろう。
 物件発掘と目利きの能力がずば抜けている。手に入れた物件の価値を何倍にもする経営手腕が素晴らしい。そういう評判だった。そのセミナーでも、こちらが聞いたことのないような、アジアの高級リゾートホテルの魅力を存分に語って聞かせていた。聞いているうちに、誰もが非の打ちどころのない完璧な投資対象だと信じるようになった。Tの話術には、聞き手にそう思わせるだけの引力があった。
 当時、おれは国内トップ銀行の不動産事業部長だ。おれの名刺を見たTの瞳孔が素早く開閉したのをおれは見逃さなかった。
 Tは九州の大名家の末裔だといい、おれは遠縁に元華族がいるという話で意気投合した。おれは銀行に戻ると、E社への融資枠の設定を起案した。前例のない金額の融資枠を設定しようとするおれに役員会は驚いたが、おれはTの目利きの力とプロジェクトの壮大さを語ることで黙らせた。
 そう、おれは説明したんじゃない。語ったんだ。夢を。将来の景色を。あの日の役員会で、出席者全員の目が見開かれ輝いた瞬間の興奮を、おれは今でも覚えている。
 ――彼こそ帝都銀行が求めていた投資先だ。他行を凌駕する投資収益を実現し、名実ともにトップの地位をゆるぎないものにするためにどんどん行け。他行に奪われるんじゃないぞ――役員会の熱気は、無言でおれにそう命じていた。
 こうして帝都銀行とE社の関係が始まった。
 おれたちは何度も何度も会って、世界を舞台にした壮大な不動産開発について語り合った。まずは太平洋をぐるりと囲むように、主だった島々や海岸のリゾートで一番のホテルを買っていきましょう。Tは、今までおれが考えたこともないような壮大なプロジェクトを、午後の散歩の道順を説明するように、あるいはもうやり終えてしまった片手間仕事のように、さらりと語った。おれの知っている世界の光景を、言葉だけでガラリと変えてみせた。
 戦後の復興を成し遂げ、高度成長を経て経済大国と呼ばれるようになったこの国が次に向かうステージはこれだ。おれたちの出会いは運命だ。そうおれは信じた。
 手始めにグアムの高級リゾートホテルを買収した。契約のサインは現地で行った。あの場には日本からも大勢で行ったが、みな笑顔だった。最上階のラウンジで、海に沈む美しい夕日を眺めながら、おれたちは偉大な事業のスタートを祝って乾杯した。
 そして――
 結末は知っての通りだ。帝都銀行は本体だけでは飽き足らず、子会社のノンバンクも使って、目一杯の金額をE社の海外リゾート開発事業につぎ込んだ。それはバブルの崩壊を境にすべて吹き飛び、溶けた。
 それでも見切りと決断がもっと早ければ、傷は浅くて済んだはずだ。撤退判断が遅れた理由が何だったかは正直、よく覚えていないし思い出したくもないが、おれが責任問題を恐れたのだったか、上から先送りを支持されたのだったか――両方だったか。
 どちらにしても、相場はそのうち戻るかもしれない、戻るに違いないという根拠のない期待にすがって逃げ遅れたわけだ。致命的な判断ミス。度し難い無能。マスコミにはそうやって総括された。
 帝都銀行とその子会社がE社につぎ込んだ融資は、合計で二千億円を超えていた。ほぼ全額が焦げつき、回収不能となった。そのうえE社によるホテルや施設との契約は、実は不備だらけの杜撰なもので、トラブルが多発していた。世界中で訴訟を起こされた。帝都銀行も被告側として巻き込まれた。すべてを合わせた途方もない額の不良債権を抱え、満身創痍になって、帝都銀行のバブル時代は終わった。
 帝都の経営陣は失敗をすべてTのせいにしようとした。――とんだ見込み違いでした。彼はただのペテン師で、我々も騙されたのです――そう言ってTを詐欺で訴えた。
 しかし世間も裁判官もごまかされはしなかった。帝都はかえって卑怯者のレッテルを貼られ、悪評も背負うことになった。帝都が負った傷はE社のせいばかりではなかった。
 事態が判明してから、おれの仕事はそれまでとまったく別のものになった。不良債権の回収と資産査定への対応だ。不良債権の回収には限界があった――日本じゅうが苦しんでいたんだからな――から、資産査定に集中した。これは帝都銀行の命運を握るきわめて重要な仕事だった。
 資産査定とは、不良債権一件ずつについてその深刻さを判定していく作業だ。融資なら期日通りに返済されない可能性や担保価値の下落がどの程度か、株式や不動産なら購入したときから市場価格が何パーセント下落しているか、回復はどの程度期待できるか。その深刻度によって債権をⅡ分類からⅣ分類に分ける。おれは不動産がらみを担当した。
 回収懸念のないものはⅠ分類あるいは非分類と呼ばれる。正常債権だ。懸念がある案件は深刻度が大きく――Ⅱ、Ⅲ、Ⅳと――なるほど多くの引当金を積まなければならなくなる。それは長年にわたって内部に積み上げてきた利益と資本を侵食していく。資本まですべてを食い尽くせば債務超過となり、企業としての存続が危うくなる。
 だから銀行側は、どの債権も深刻度は小さいと判定したい。だが監督当局の目は厳しく、本当に回収できるのか、担保の価値や相手企業の再建可能性を過度に甘く見積ってはいないか、株価や不動産価格の先行きを楽観視しすぎてはいないか、と言ってぎりぎりと、より厳しい査定ランクに落とそうとしてくる。――甘い査定をして、後でその銀行が潰れたりすれば、今度は当局が世間から監督責任を問われるからな。
 帝都の場合、もっとも深刻なⅣ分類が多かった。大半はE社がらみだ。これらはどうしようもなかった。だからおれと不動産事業部の部下たちは、E社関連以外の数百にのぼる不良債権一件ずつについて、何とか軽い査定とするための根拠を探し、理屈を考え、当局への説得力のある説明を考え続けた。地味にして果てしない、気が遠くなるような、後ろ向きの作業だった。
 おれは経理部門や法務部門とやりとりしたり、海外投資に詳しい弁護士や会計士に相談したり、担保評価や償却のやり方をめぐって監督当局や税務署と丁々発止の折衝をした。
 どれも厳しい、ぎりぎりの攻防だった。大変な苦労をした。だが最もつらかったのは、周囲がおれに対して、これはおまえのせいだろうと腹の中で思っていることだった。おれのことを恨み、軽蔑し、嘲っているということだった。おれは消耗した。それは屈辱であり拷問だったが、当然の報いでもあった。あの頃――我ながらよく耐えたものだと思う。
 そのさなか、一度だけTと会った。会うことは経営陣から禁じられていたのだが、別の訴訟案件の手続きで裁判所に出かけたとき、被告として戦っているTと偶然すれ違ったのだ。視線が合った。すれ違いざま、Tはまっすぐにこちらを見据え、小さくうなずいた。自分を裏切った帝都銀行のおれを、その目は責めてなどいなかった。まだ負けてはいない。再起するからまた一緒にやろう。そう言っていた。――知らず、おれは涙を流した。
 だが、その裁判が佳境に入ろうというときに、Tは死んでしまった。弁護士との打ち合わせの直前だった。クモ膜下出血。まだ五十代だった。
 世界中で起こされた訴訟は、その後数年のうちにほぼすべて負けることになるのだが、資産査定は何とかうまくいった。当局を説得しきったのだ。ぎりぎりのところで、帝都銀行は、公的資金の注入を受けずに存続することを許された……。

 探偵は首を傾げた。
「帝都銀行の破綻はそれから何年も後のことです。あなたはとっくに退職されていた。それなのに何故、ご自分が破綻の原因になったとおっしゃるのですか」
 橋本老人は吐き捨てるように言った。
「それはな――」
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