第5章 エドウィン・S・ポーター

文字数 3,615文字

5 エドウィン・S・ポーター
 映画を「映画」として確立させた作品、すなわち映画がアイデンティティを獲得した作品が『大列車強盗(The Great Train Robbery)』である。ヒットがアーティストや芸人のアイデンティティにつながることがしばしばあるが、映画ではそれ以上の意味がある。

 淀川長治は、『淀川長治の映画塾』の中で、シネラマの宣伝の際に、それと比較するために、従来のシネマの代表として『大列車強盗』を上映したと語っている。なお、シネラマは三台の撮影機でパノラマ式に撮影、これを横長の画面に三台の映写機で映す方式である。この作品は1896年に初演されたスコット・マーブル(Scott Marble)のメロドラマ『大列車強盗』をモチーフにしているが、筈見恒夫が『写真映画百年史』において「舞台劇を脱した最初の映画」と言っているように、原作を凌駕している。

 このわずか12分16カット一巻の映画が歴史を変える。監督・撮影はエジソンのカメラマンを務めていたエドウィン・S・ポーター(Edwin Stanton Porter)である。出演者には、ジュスダス・D・バーンズ(Justus D. Barnes)、”ブロンコ・ビリー”・アンダーソン(Gilbert M. 'Broncho Billy' Anderson)、A・C・エイバディ(A. C. Abadie) などがいたけれども、クレジットはない。

 『大列車強盗』は次の16カットから構成されている。

01 『大列車強盗(The Great Train Robbery)』のタイトル。
02 強盗たちが駅舎を襲撃。強盗は画面左から右へ、駅員は右から左へ発砲。
03 列車に侵入。列車は右から左へ移動。
04 貨物車内で銃撃戦。強盗は左から右へ、乗務員は右から左へ発砲。
05 機関車へ乱入。強盗は画面下から上へ移動し、次々に乗務員を始末。
06 機関車を停止させ、貨車を切り離し。貨車は右から左へ移動。
07 乗客乗員を列車から降ろし、金品を強奪。右から左へ逃げようとする紳士を射殺。
08 機関車を奪い、逃走。右から左へ移動。
09 汽車を捨てて、逃走。パンとティルトを混ぜ合わせ使い、逃げていく強盗をカメラが追跡。
10 金を持った強盗たちが川の向こう岸へ渡るため、入水。パンで逃げる方向が提示。
11 少女が駅で縛られている駅員を発見。
12 ダンス・パーティを楽しんでいた保安官たちに事件が伝えられ、捜査開始。
13 画面上から下に向かって、馬に乗って追跡をしていると、強盗団とはぐれた犯人一人と遭遇し、射殺。
14 逃げおおせたと油断している強盗団を保安官たちが画面上から下に向かって包囲。追っ手に気づいた強盗団との銃撃戦。強盗一味は全滅。
15 タフさを誇らしげにした保安官のクローズ・アップ、暗転。
16 死んだはずの強盗の首領が一人登場。スクリーンを見ている観客に向けて、拳銃を6発発砲し、弾がきれてからも、なお引き金を引き続ける。

 この映画には、後に映画で定番の手法となるいくつかの技法が盛りこまれている。特に、サイズやアングルを含めたカメラ・ワークが巧みである。カットバックやロケーション撮影、パンやティルトのカメラ・ワーク、縦構図での奥行き、斜め構図による不安感・不安定の表現、登場人物の動く向きを暗示させる仮想方向の設定、画面外での出来事を想像させるオフスクリーン、フレーム・バイ・フレームなど意欲的に導入している。

 特に、第9カットはワンシーン・ワンカットのカメラ・ワークによって構成され、ティルトやパンが印象的である。「ティルト(Tilt)」はカメラを上下に振って撮影することを指し、概して、高さのあるものの撮影や動きの追尾に使われる。他方、「パン(Pan)」はカメラを左右に振って撮影する技法であり、通常は右か左に振る。広角で風景を撮る、もしくは動きを追うときに用いられる。いずれも再フレーミングのテクニックとしてもよく利用される。このカットは、こうした技法もあり、非常にスリリングで、映画内の最大の見せ場である。

 けれども、こういった新技法の考案がこの映画の画期性ではない。メリエスの映画と違って、撮影テクニックにあまり気がとられない。言うまでもなく、視覚の認知には、「見る」や「見える」だけでなく、「見ようとする」も含まれる。技法はこの見ようとすることによって認識されるが、ポーターの場合、それを意識していない一般の観客にとっては問題ではない。

 一般的な映画批評はストーリー・キャラクター・演技が中心である。しかし、より映画固有の批評をするなら、カメラ・ワークやサイズ、アングル、構図、音響、音楽、照明、衣装、美術、特殊効果、編集、映画史などの映画のリテラシーを知った上で臨む必要がある。見る側だけでなく、作る側にも経って作品を表するべきである。作る側に立って批評すると、作品を再構成せざるをえなくなり、見る精度が上がる。

 ちなみに、構図の知識は映画に限らず、美術や写真委にも不可欠である。視覚的芸術を論じる際に、それを知っていることが当然の前提である。構図の甘い写ショットは監督が絵コンテを描いていないと推察できる。絵コンテは監督のイメージをスタッフ・出演者が理解を共有するために必要である。同時に、監督自身が自らのイメージを認識するためにも要る。具体的にそれがどのように構成されているかを承知していなければ、絵を描けない。また、絵を描くことで自身の想像を具現化する機能がある。絵コンテがないと、これらの作用が働かず、なんとなく撮り、構図が甘くなってしまう。

 メリエス作品では真の主役が撮影トリックであるとすると、ポーターにおいては、第9カットが端的に示している通り、スリルとサスペンスである。ポーターは、新聞の漫画を映画化した『あるレアビット狂の夢(Dream of a Rarebit Fiend)』(1906)において、メリエスばりのトリックを用いている。ポーターは、リュミエール兄弟やメリエスなど先人たちの功績を踏まえている。その上で、彼はテンポのいいストーリー展開、スピード感溢れる逃亡と追跡、派手な銃撃戦などにより、観客をかつてないほどハラハラドキドキさせることをスクリーンに具現している。

 ポーターがハラハラドキドキ感を意識していたことは、前作の『アメリカ消防夫の生活(The Life of an American Fireman)』(1902)でも明らかである。これは消防隊による火事現場での救出を描いたドキュメンタリー・タッチの作品である。なお、ポーターは実際の消防隊の出動の記録映画に撮影したシーンを加えている。ジェームズ・ウィリアムソン(James Robert Williamson)によるイギリス映画『火事だ!(Fire!)』(1901)に影響を受けたと見られている。より厳密に言うと、『アメリカ消防夫の生活』がハラハラ=サスペンス、『大列車強盗強』がドキドキ=スリルである。

 ウィリアムソンはブライトン派を代表する映像作家である。1900年頃、英仏海峡に面したブライトンを拠点として写真家などが映画を撮影し始め、彼らは「ブライトン派(Brighton School)」と呼ばれている。モンタージュ手法を得意とするウィリアムソンのほかに、全景ショットとクローズ・アップ・ショットの交互の入れ替えを発案したG・A・スミス(George Albert Smith)がよく知られている。彼らは技法だけでなく、社会的主題を映画に取り入れた点でも、ポーターを含めた後世に影響を与えている。

 『アメリカ消防夫の生活』は次のような映画である。ある消防夫が家族のことを考えていると、そこに火事の発生が告げられ、消防夫たちは馬車で現場に急行する。一人の消防夫が建物に入り、煙にまかれて倒れてしまった女性と子供を部屋の窓から助け出し、別の消防夫たちが消火活動を行う。この映画の現代版がオリバー・ストーン監督の『ワールド・トレード・センター(World Trade Center)』(2006)である。

 ただし、この救出のシーンは、現在の常識的な編集から見ると、いささか奇妙である。まず、カメラは建物の内側にあり、外から入ってくる消防夫が部屋の中の母子を救出するシーンを映し出している。それが終わると、同じ救出が建物の外のカメラからのシーンが始まる。時間軸に沿って内側と外側が交互に入れ替わりながら映されていない。

 なお、これは最初の公開のヴァージョンであって、後に再編集された版では構成や内容が異なっている。

 このスリルとサスペンスは現代におけるカタルシスと言えるだろう。しかし、これはアリストテレス的とも、精神分析的とも異なっている。
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