第7章 ファティックとは何か

文字数 1,430文字

7 ファティックとは何か
 『大列車強盗』は「ファティック(Phatic)」だと言うことができよう。観客は「ファティック・コミュニケーション(Phatic Communication)」によって覚えたカタルシスがグルーミングと感じられる。

 「交語」とも訳されるファティックは、特にメッセージ性がないけれども、発することにより送信者と受信者の間につながりをつくり、強める言語の機能である。自己を表現するためでも、情報を伝達するためのものでもない。「あいさつは、その代表的なものであって、人間同士の結びつきを作り、社会を作り出す。会っておきながらあいさつをしないと、その人との関係が切れていく。あいさつをするからといって、それだけで関係が深まるわけではない。『おはよう』などのあいさつは、一度できた社会的な関係を維持するという働きをする」(金田一秀穂『新しい日本語の予習法』)。

 他にも、友人や恋人、家族とのおしゃべりもファティックに含まれる。それらは伝えるべきメッセージ性に乏しく、生産的・建設的な内容でもない。それは発すること自体に意味がある。ファティックは関係性をつくり、強め、グルーミングの機能を持っている。

 実際、ポーターはファティックの持つ役割を意識している。彼は『鉄道のロマンス(A Romance of Rail)』(1903)という映画も製作している。これは、駅で出会った男女が二人で旅に出発し、列車の中で結婚式を挙げるという物語である。ポーターはファティックから関係が始まり、それが深まっていく過程を映像化している。

 映画観賞後、流行のレストランで恋人同士が次のよう会話をしているとしたら、それはファティックである。

「さっきの映画、面白かったね」
「そうだね」
「最後のシーン、びっくりしちゃった」
「ほんと、意外だったよね」

 この会話には、これと言った内容がない。お互いの関係を確かめるために交わされているのであって、行為自体に意義がある。この会話に潜在している意味を顕在化させれば、次のようになるだろう。

「あなたが好きよ」
「ぼくもさ」
「あなたが好きよ」
「ぼくもさ」

 しかし、こういった他愛のない会話を「あああ、聞いてらんねえや」と軽視すべきではない。なごやか笑い声がし、食器の音が微かに響き、ウェーターが丁寧に応対している雰囲気のレストランで、カップルが無言でいたり、深刻に言い合っていたりしている方が本人たちだけでなく、周囲も気まずい。こうしたファティック・コミュニケーションにはグルーミング効果がある。ファティックこそが言葉の起源という学説もあるほどだ。「ことばはコミュニケーションの道具である、とよく言う。しかし、ことばは情報伝達の道具というだけではすまされない。ことばの起源を見た人はどこにもいないのだから、あくまでも仮説にすぎないけれど、ことばがお互いに仲良くする目的のために生まれたのだという考え方は、ちょっと魅力的だと思う」(『新しい日本語の予習法』)。

 『大列車強盗』の最後のシーンからは「心配すんなよ。映画じゃねえか。でも、面白かったろう?」というポーター監督の声が聞こえてきそうだ。これは、明らかに、ファティックである。ファティック・コミュニケーションが成り立つ関係になったということは、映画が社会的に認知されたのを意味する。このシーンを契機に映画は社会に浸透していく。ハ「ッハッハッハッハ、面白かったぜ」(黒澤明『用心棒』)。
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