【日陰の身】

文字数 1,472文字


 キリシタン狩が激しさを増す中、いくら目立たない村であっても、徐々に出歩くのが厳しくなっていく。
 村の外にはでない、その掟を守って限られた敷地内にいたとしても。
 家の中に隠し部屋を作り、マリア像とロザリオを隠す。
 肌身離さずを産まれた時から当たり前であった四郎にとっては、とても落ち着かないものであった。

「母上、もう我慢がなりませぬ」
 独学で色々と知識を蓄えていった四郎は、まだ十と数年ほどしか生きていないのに、時々大人顔負けの凛々しい表情を見せるようになっていた。
「だからといって、出て行くことは母が許しません」
 子供の頃のような無謀な脱走はなくなったものの、まだこの村を出たいという気持ちは変わらない。
 過激さが増していくキリシタンへの追い込み。
 今と昔とでは、出て行きたいという意図が違うのだと四郎が話しても、母は聞き入れてはくれない。
 子を思う母であれば、当然のことだろう。
「だかと言って、このまま身を潜めて、何が変わるというのですか、母上」
 今度ばかりは簡単に引き下がることをしない四郎に、母も何かを感じとっていたのかもしれない。
 思わず口からこぼれてしまう――そういう決まりなのだと。
 理由も理屈も説明せずに、昔からの決まりと上から押さえ込む。
 自分より知識が豊富になり、口が達者になった四郎を黙らせる手段。
「そうやって母上は逃げるのですね?」
「四郎、母に向かって逃げるとは――」
「立ち向かってもいいことはない。そう、受け取ったのですか、母上は。あの、明智光秀が残した巻物から」
「――見た、のですか……あれを」
「はい。少し前にですけれど」
「それでも四郎は戦うべきだと、感じたと?」
「はい。行動を起こさねば何も変わりません。もし、あの時。明智光秀が織田信長に反旗を翻さなければ、今よりも悪い時代になっていたかも、しれません。私は、光秀殿のされた行動を評価いたします」
「仮にそうだとして、今のあなたに何ができるというのですか、四郎。共に戦う同士もいない。地位や権力もない、片田舎の子供に、何ができるというのですか!」
 母のその言葉は、悲痛な叫びにも、ヒステリックにも受け取れる。 
 四郎はその母の言葉に返す言葉を飲み込み、その前から姿を隠した。
 いつの間にか隠し部屋は地中通路が出来、隣接する家の隠し部屋とも通じるようになっていた。
 誰もが肩を寄せ合い、ひっそりと事が済んでくれることだけを願っている。
 血を流す争いを望んではいない。
 だからといって、率先して自白、見せしめの貼り付けや的になる度胸もない。
 日陰の身と言われてもいい。
 ただ命があるなら――それが、明智光秀の血を受け継いだ家系の答え。
 その家系に従う者の答えだった。
 唯一、四郎だけを除いて。

 寝静まった時間、外を警戒している反キリシタンの者も見回る人数が減る。
 母が確実に寝入ったのを確認した四郎は、隠したロザリオを胸にかけ、静かに母の寝顔を見た。
 これが最後になるかもしれない。
 理解するまで話し合うという時間はない。
 理解されないのならば、ここを黙って出て行くしかない。
 ここを出てしまっては確実に四郎はひとりになる。
 ひとり――それは、いままで味わったことのない四郎にはわからない感覚。
 それでも、今出て行かなくてはならない、そう四郎の中の何かが訴えていた。
「母上――」
 きっと、誰もが聞き取れないほど小さな声で呟いた後、益田四郎という少年の姿は忽然と消えたのだった。
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