【開戦】
文字数 1,508文字
梅雨の季節がやってくる少し前、火蓋は下ろされた。
秀頼と穏やかに過ごせたのは数日。
こんなにも早く幕開けとなるとは、秀頼も思っていなかったらしい。
「大丈夫だ、四郎。豊臣大将の懐にいれば、時間稼ぎが出来る。逃げる時は女人の姿がよかろう。おまえなら、疑われずに大阪を出られる」
命の保障は安心していいと、秀頼は口癖のように四郎に話していた。
なぜそこまで四郎に肩入れしてくれるのかはわからないが、数日とはいえ、一時も離れずにいれば情が移るというもの。
もともと四郎は心優しい青年であったがゆえに、正義感も強かった。
守るといわれて、素直に逃げるはずがない。
「いいえ、秀頼様。少しでも長く、お傍にいさせてください」
そう願い出た。
秀頼とて、気まぐれで声をかけたようなものであったが、好奇心がなければ気まぐれも起きることはない。
それなりに好奇心があったから、四郎を傍に置いたのだ。
四郎以上に情がある。
四郎に傍にいたいといわれれば、素直に嬉しい。
「残念だな、四郎。もう少し早く出会えていれば」
本当に残念そうに言う。
「なに、勝てばいいのだ。そうだろう、四郎?」
付け加えられた言葉は、四郎にとって苦痛でしかなかった。
ここで終わる。
それを知っている四郎には、嘘でも力強く、そうですよね――とは、言えなかった。
だからと言って、ここで終わるのです、一緒に逃げましょう――とも、言えない。
それでは歴史が変わってしまう。
創世した神への冒涜となる。
背徳――
信教深い四郎には、そんな行為が出来るはずもなかった。
状況は現状維持というよりは、少しずつ悪化し始める。
それを豊臣はどう受け止め攻めるのか。
引くのも戦略のひとつなのだが――と、秀頼がこぼす。
しかし、それは上に聞き入れられなかったのだろう。
更なる戦力がつぎ込まれた。
勝てるという見込みではない、勝たなくてはならないからだと、秀頼は言う。
「行きなさい、四郎。もう、ここもあと何日持つか」
そう口にする秀頼は少し寂しそうな顔を見せた。
その表情を見て立ち去れるほど、四郎の心臓は冷たく出来てはいなかった。
まだ誰にも話していなかった自分の秘密を、ここで打ち明ける。
黙って聞いていた秀頼は驚きを露にしたが、騒ぐことなく静かに最後まで四郎の話を聞いていた。
「それで、おまえはこの後のことも知っているのだな?」
「はい――豊臣から徳川へと移り変わっていきます」
「そうか。滅びる者がいれば、新たに頭角を示す者もいる。当たり前のことだ。我ら豊臣はもう時代に必要ないと、言われたのだな。ならば、急げ、四郎。ぐずぐずしていては、退路も断たれる」
「それならば、秀頼様もご一緒に」
「なに?」
「歴史では、秀頼様の没年は不明とされています。恐らく、それらしき遺体か何かが見つからなかったのでしょう。一緒に生き延びましょう」
「ばかな――それでは、おまえの知っている歴史でも、知られていないだけで、こうやって誰かの手引きで私が生き延びたとでも言うのか?」
「もし、そうなのであれば、神のお導きです。従いましょう」
神に背く行為でありながら、こうすることが四郎に与えられた神からの使命のように思えてならない。
自分が過去に飛ばされた理由。
もし、光秀がこれを望んでいるとしたら、尊敬する光秀の思いを実らせてみたかった。
秀頼はいち兵士へと姿を変え、四郎と共に城の隠し通路を使い外へとでる。
落ちることを知らない他の者が必死に戦っている最中、豊臣秀頼は小姓の導きで生き延びたのだった。