【南へ】
文字数 410文字
西暦1582年6月2日未明。
本能寺を囲む明智の幟(のぼり)。
号令と共に火矢が放たれ、瞬く間に本能寺は炎に包まれた。
応戦しつつ奥へと逃げる織田信長と小姓の森蘭丸。
首を取るため攻めるのは、主君信長に反旗を翻した明智軍。
しかし吉報を待つ明智軍の大将、光秀の前に信長の首が届けられることはなかった。
本能寺崩落と共に去った明智軍を追いかけ、主君の仇討ちを掲げたのは後の豊臣秀吉。
正面から応戦するも、明智軍が叶うはずもない。
疲労と戦力低下で、気が付けば光秀と忠実な家臣数人だった。
ここは潔く――そう唱える光秀を家臣は引き止める。
最後まで、最後のひとりになるまでは――と。
結果、彼らは未開の地であった南へと、流れることにした。
それから40年余り。
日陰の身のように目立たず暮らし、ひっそりと子孫を残しつつあった彼ら。
あるひとりの子の誕生で、流れは大きく変わろうとしていた。