【時の流れ】

文字数 1,083文字


 1621年未明、ひっそりと存在している小さな村に、元気な男の子の産声が響き渡った。
 名は、秀綱。
 父の名から一文字をもらって、つけられた。
 父の名は秀頼。
 母は、この子を産むことで精魂果てて生死を彷徨ったが、数年後静かに息を引き取った。
 その時、秀綱は十にも満たしていない。
 そんな子に、父は気難しい顔でこれからのことを話す。
「いいか、秀綱。これから数年後に一揆が起こる。そうしたらおまえは、このロザリオを持って、島原へ行け。そして名を天草四郎時貞と名乗れ」
「なぜです、父上」
「父の、命の恩人の名だ。時貞とは、父がその者をひとりの男として認めた時につけた名。それと共に、おまえが受け継ぐのだ。意味がわかるか?」
 まだ幼い秀綱には、父の言葉の意味のほとんどを理解できない。
 父の命の恩人がいたからこそ、今の秀綱が存在しているなどと、どうやってこの幼子に言い聞かせるべきか。
 考えたところで、答えが出るはずもない。

 あの日、大阪城を出てから、下々の生活に慣れない秀頼を助けながらの逃亡生活。
 四郎とて、慣れたものではなかっただろう。
 故郷を目前にして息絶えた無念さを秀頼は受け継ぎ、島原と程近い場所までたどり着いた。
 共に城を出た女官の女と寝起きしているうちに情が生まれ、一夜を共に。
 そして出来た秀綱であったが、もともと武家の出てあったその女にも、逃亡生活は辛いものだったのだろう。
 四郎がいた時は、誰もが彼に頼っていたが、彼が倒れてからは、戦うこと以外に何も知らない男を支えたのは、女達である。
 共に城を出て生き残ったのは、秀頼とその妻。
 妻は子を宿したことで生き甲斐が増したが、衰えていく身体には勝てなかったようだった。
 悲しんでばかりはいられない。
 四郎がしたことは、何か意味があること。
 この時代に、天草四郎という人物がいなくてはならないように思える。
 そう、口癖のように言っていた秀頼も、一揆が勃発、秀綱を島原に見送ってから数日後、使命を果たした安堵から、息を引き取った。


 島原の乱と言われた一揆は、勃発から4ヶ月で終結。
 中心人物とされていた天草四郎の首は、掲げた旗の傍にあった青年兵のもの。
 年恰好が似ている、たったそれだけの理由で身体と首が切り離されたのだった。
 本当の天草四郎時貞という人物を知るものはいない。
 そしてまた、秀綱の行方もわからない。

 ただ、四郎の人生が大きく変わるきっかけとなった祠には、そこに存在しないはずのロザリオがそっと捧げられていた。


★★ 完 ★★
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