第3話 猿蔵屋敷

文字数 2,158文字

 民宿から出て、山道を登った先に瓦葺きの大きな家が建っていた。山を切り拓いた高台にあり、見晴らしが良かった。
 道成教授は、こっちの方が早いからと人のやっと通れるくらいの道を登って行った。話を聞くのがメインなので、持っていくのはカメラと録音機で、メモ帳や筆記用具と一緒にそれらが入ったバッグを香と早芽の二人で抱えて持って上がった。
 道成教授は、携帯片手に別働隊の兼枝と連絡を取り合っていた。兼枝には六処が付いて行っている。運ぶ機材が多いので、そっちは兼枝のランドクルーザーである。
「この山が多越山ですか」
 斜面の細い道を登りながら、香が尋ねると、道成は息を切らしながら「この山の向こうだよ」と答えた。
「長老さんの家はこの上ですかあ」
 早芽もハアハア言いながら、聞いた。
「中腹だから、もう少しだ」
 その言葉通り、見晴らしのいい斜面が切り拓かれて平地になっていた。斜面に沿うように家が繋がっている。道も広くなった。その先に立派な門があり、呼び鈴が下がっている。
「これを鳴らすんですか」
 香が聞くと、道成は「必要ないかもしれないけど、鳴らしてみたい?」と聞いてきた。
 そう言われると、別に鳴らしたい訳ではない。香は鳴らすのを止めた。
「わたしが鳴らします」
 早芽がそう宣言すると、呼び鈴の綱に手をかけた。それと同時に扉が開いた。
「ねえ、そうだろ」
 道成は何か楽しそうだ。
 扉の向こうには、婆さんが立っていた。婆さんと言っても、背筋が伸び、凛としている。
「こちらへどうぞ」
 と言うと、くるりと向きを変え、率先して歩いていく。とても婆さんとは思えない歩き方だ。
「弥山婆さんだ。屋敷の中を取り仕切っている」と道成が囁いた。
 母屋の入り口も大きく、引き戸を開けると玄関も広かった。下から見上げているのと比べて、母屋の造りは広く、天井も高かった。
 横に伸びた長い廊下を抜け、畳の間に案内された。正面に神棚と仏壇が合体したような大きな祠がある。
「何か、変」と、早芽が呟く。
 香も、何か澱みのようなどよんとした空気感を感じていた。
「ゆどみがある」
「早芽、それって何」
「ある種の停滞感というか、空気感かな。山奥を歩いていると、たまにそういう場所があるの」
「漢字で書くと・・」と言いつつ、メモ帳に「油土水」と書いた。
「あなたは何か感じる?」
「ちょっと、ね」
「勘が鋭いのね」
 そこへ、この屋敷の主人が現れた。髪は薄く、反対に髭を長く生やしたガタイのでかい老人だ。もう八十を超えているようにも見えるが、体の動きは老人とは思えないほどしっかりしている。
「猿蔵さん、今日はよろしくお願いします」
 道成教授が頭を下げた。猿蔵は、その場にいる全員に座っていいと手で指図した。猿蔵と一緒に部屋に入って来た三人も、猿蔵の左右に座った。そこで、ちょうど道成教授と香、早芽の三人と向かい合うようになった。
 道成は香と早芽を紹介し、今回のフィールドワークに参加した学生だと伝えた。
 それに応えて、猿蔵が簡単に左右の里人を紹介した。
「隣の痩せとる男は諸節辰雄、その隣の太ってるのが太子隈彦、反対側の小さいのは小村早生。子供だが、気が利いとる」
「お伺いしていた怪現象については、別働隊が調査してますので、ここではもう一度詳しくお話ししていただけますか」
 そう道成が切り出した。
「あんたも知っての通り、わしらはあの吐馬古墳をずっと守ってきた。古墳の前にある神社の祭神は建御雷神となっておるが、本当は違う。古墳に眠るお方だ」
「お名前は」
「ない。もう失われて、長い。前に話したところじゃが、吐馬伝説のように姿を変えて現れる」
「それが、また現れたという話ですか」
 道成はすかさず付け加えて問うた。
「吐馬ではない・・・が、姿が一様ではなく、墳丘の近くを一人で歩いていると、何か呼び声がしたり、馬の嘶きが聞こえたりするそうじゃ」
「長老は、まだ出会われてはいないのですね」と道成。
「そこの、さわが聞いておる」
 道成と香、早芽の三人は、小学生くらいの小村早生を見た。早生が困ったように目を伏せた。
「辰雄も、太子も聞いておる」
「馬の嘶きですか」
「いや、俺ん時は、たくさんの馬の蹄の音だった」と辰雄。
 太子は、「僕は地鳴りのような音を聞いた」と答えた。
「早生ちゃんは」
と道成が聞くと、早生は一呼吸おいて、
「私んときは、古墳の周りをたくさんの化け物が巡っていたの」
「それは、明らかに吐馬伝説とは、異なりますな。でも、化け物というのは幽霊みたいなものですか」
「幽霊とは違う、と思う。私たちみたいな身体でもなかったような・・」
「不思議ですな」
 道成教授は、感心したように頷いた。
「古墳の主のお力でしょうか。だとしたら、何を訴えておられるのか」
 道成は誰に聞くともなく、問うた。
「この数百年、何の記録も言い伝えもない。何かが起こっとるようじゃが、わしらには分からん」
 猿蔵はそう言った。正直な話なのだろうと香は思った。
「別働隊が、現地を調査しておりますので、何か異変があれば報告があるはずです」
 道成は猿蔵に伝えた。
 その刹那である。屋敷全体が揺れた。
「地震だ」と道成が叫んだ。
 猿蔵をはじめ諸節、太子、早生の三人も屋敷から走り出して行った。
 遅ればせながら、道成は香と早芽に声をかけて駆け出した。
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