第7話 早生

文字数 2,049文字

 目を覚ましたときは、窓の外はもう真っ暗で、民宿八重洲の部屋の入り口の隙間から廊下の蛍光灯の明かりがさしている。
 六畳一間なので、布団を敷くと後は一人用の文机と可変に立て掛けられた折りたたみ式のちゃぶ台くらいしかない。
 不意に小さな咳払いが聞こえた。
「誰れ、誰かいるの」
 狭い部屋だ。誰かが隠れるところなどない。それなのに、陰と思えた部屋隅から小さな女の子が現れた。猿蔵屋敷で見た子だ。
「あなた・・・早生さん?」
「やっと気づいてくれたんだ」
「ずっとそこにいたの?」
「違うよ。お姉ちゃんは何も覚えてないの」
「わたし、眠っていたから」
「そうだよね」
「お腹いっぱいだったし」
「動ける?」
「うん。何とか」
 身体の節々が痛い。
「だったら、急がなきゃ」
「何?」
「あんた、やられちゃってるんだ」
「どういうこと?」
「取り憑かれてる」
「何に?」
「おかちめんこ」
 香は早生の言い方にクスッと笑った。
「別に冗談言ってるんじゃないよ。わたしがそう呼んでるだけ」
 香はちょっと心配になって、「それって、何か悪いものなの」
 早生は頷く。
「マジか」
 香は怖くなった。
「さあ、行こう」と促す早生に、香は立ち上がった。
 とはいえ、夜中だ。恐らく、六処も早芽も、道成教授も眠っているはず。香は足音を忍ばせて、早生の後を追った。
 外に出て、香は早生に「どこに行くの」と聞いた。
「深山神社だよ。みんなが待ってる」
「みんなって?」
「猿蔵お爺たち」
 香は猿蔵屋敷で出会った面々を思い出した。
 早生は走る足を止めない。香はついていくのに必死だった。が、痛かった身体は意外なほど自由に動いた。
 深山神社の境内には、もう四人の人影があった。明かりはなく、月も出ていない闇夜である。それでも、その影が誰であるかは分かった。
「猿蔵さん」と香は声を掛けた。
 ガタイの大きな影が前に出て、香に近づいてきた。
「もの覚えがいいのう」
「教えてください。わたしに何が取り憑いているというのですか」
「察しがいいし、自覚もありそうじゃ」
「自覚はないけど、何か自分ひとりじゃない気がしてる」
「ほう、だから小山羊の後を追いかけて来れたのかの」
 小山羊と言われて、香は早生を見た。早生は知らん顔してる。早生に声を掛けようとして、急に力が抜けて倒れそうになった。
「言わんこっちゃない」と言ったのは、諸節。
 支えてくれたのは太子。
「動けるか」
 そう猿蔵が聞く。香は急に力が抜け、言葉さえ発することができなくなっていた。太子が困ったように、猿蔵を見る。猿蔵はそのまま寝かせておけというかのように手で指図した。
 香を寝かせると、香を中心に四人が方陣に並んだ。
「一人足らんが、まあいいじゃろう」
 猿蔵はそう呟くと、大きく錫杖を降った。山伏の持っているような杖だ。ただ先端についている錫の形が違う。残りの三人は大きく手を広げた。
「天風、地林、奏韃・・・」
 猿蔵が意味不明の言葉を唱えた。脱力感で身動きの取れない香は、それを聞いているしかなかった。
 香の目には神社の森の切れ間から綺麗な星空が見えていた。しかし、方陣を形作っていた四人には全く別のものが見えていた。香の身体の上に、深いフードを被ったボロボロのマントが立っていた。いや、足は見えないので、浮かんでいるように見えていたし、マントだけなのか中に誰かがいるのかは分からない。
 四人が膝を折り、頭を下げた。
 マントフードは何も言わず立っている。
 猿蔵が大きな扇子を広げて、上下にゆっくりと動かしつつ、
「吐馬の主様に申し上げる。収めたまへ。緩ぎたまへ」
と何度も唱えた。
 その度に香は微かな風を感じた。しかし、それだけだった。星空はくっきりと美しかった。
 残りの三人も立ち上がると手印を組んで、猿蔵の言葉と扇子の動きに合わせて、腕を大きく上げ下げし始めた。
 意識はしっかりしていた香は、不思議な気持ちで、その様を横目に眺めていた。香にはマントフードの姿は見えていない。
 反対に猿蔵達には、ボロボロのマントフードの姿が見えており、猿蔵の言葉に全く反応しないことに戸惑いを感じていた。
「いなりたまへ。いきおりたまへ」
 猿蔵が大きく声を上げた。
 その声と共に、香は自分の目線が変わったことに気づいた。下から見上げていたのが、彼らを正面に見たのだ。怖いと思ったが、それも一瞬で、再び意識を失った。
 その途端に、彼等の表情が変わった。厳しい顔になって、緊張感も漂わせていた。
 猿蔵が一歩前へ踏み出し、諸節、太子、早生の動きも速くなった。方陣の幅も縮めてきた。彼らの姿が少し違ってきた。人ではあるものの、少し姿が変化してきた。諸節はあごひげが伸び、顔や手足の毛もふわふわとしてきた。太子は、もともと太っている身体が広がって、動きに合わせて象の耳のようにたわんでいる。そして、早生は・・・耳が伸び、狐のように見える。
 猿蔵はといえば、これも全身が毛で覆われ、あたかも猿のようだった。
 四人が、少しずつ方陣を狭めている。
 東の方の空が、白んできていた。
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