第6話 憑依

文字数 2,380文字

 香自身は眠ってしまっていた。しかし、身体は布団から起き出した。何者かに操られているかのように、動きがぎこちない。
 部屋の外からは早芽や六処の声が聞こえてくる。香の身体は向きを変え、窓の方に向かう。
 何度も失敗しながらようやく鍵を開け、下を見おろすと、一回の厨房から明かりが漏れている以外は、人影もない。香の身体は窓枠に倒れこむと、髪の毛の毛先から細かな砂粒となって下に落ちていった。
 地面の上に溜まっていく砂の山。次第に人の形を取り戻そうとする。
 不意に厨房の勝手口が開いて、三橋が生ゴミをビニール袋に入れったものを持って出てきた。
 砂の山は崩れ、今度は水のようにサラサラと流れていった。
 三橋は何かを感じたかのように、注意深く周辺を見回していたが、砂の流れに気づかず、そのまま厨房に戻っていった。

 異変に気付いたのは、猿蔵だった。
 もう床についていたところに、ふと何かに気づき目を開けた。その時にはもう、弥山婆が障子の外に来ていた。
「お目覚めですか」
「うむ。嫌な予感がする」
「何物かが動き出している様子です」
「お前も感じるか」
「はい」
「では、間違いない」
と言うと、猿蔵は立ち上がった。弥山は障子を開け、着替えを持って入ってきた。
「他の皆様へも、ご連絡しております」
「手早いな」
 着替えて猿蔵が縁廊に出ると、もう庭先には諸節、太子、早生が来ていた。
「脇は?」
「三橋は、民宿の皆様の警護についています」
「そうか」
 猿蔵は納得した様子で、庭に降りた。民宿八重洲の三橋は、この仲間内では「脇」と呼ばれているようだ。
 四人は夜の闇に消えるように素早く屋敷を出ていった。

 香に取り付いたものの行く先は、深山神社だった。香の姿で夜の山を駆けていく。まっすぐに深山神社の方角に向かっているので、道は関係ない。しかも信じられないほどの早さだ。
 深夜に餌探しをしていたイノシシに出くわすと、素早く手を砂の触手に変えて伸ばし、イノシシを自らの餌とした。
 走りながら香の身体がかすり傷を負っても全く意にもかけない。借り物だからなのだろう。ただ、イノシシのように自らの餌とするような素振りはなかった。
 香は深山神社の鳥居の前に立った。
 境内はシンと静まり返っている。星明かり以外、灯火もない。
 香は辺りを伺いながら、参道を歩き、社殿の横をすぎて、吐馬古墳へと向かった。狭い戸口は閉まっていたが、香は軽々と飛び越えて、墳丘の斜面を登っていった。そこまでは誰とも出くわしていない。
 墳丘の先には、高い岩山があり、墳丘はその崖にぶつかるように造られていて、いわば半円形になっている。香は、というより香の身体に乗り移ったものは、そこに何があるか知っているかのように、崖の絶壁の前に立った。
 古墳は岩山に半分突っ込んだような奇妙な形になっていて、岩山と土盛りとの境目が一筋の線になっている。そこに草も生え、今ではまるで一つの山のようだ。古墳だと言われなければ、気づかない人もいるかもしれない。
 本日起きた地震で、その境目に亀裂が入っていた。その亀裂の奥に石室があるかもしれないと道成が言っていたところだ。
 そこで、香は何かを探している。いや、香に取り付いた何物かがそうしているのだ。その何物かは、民宿八重洲を抜け出す時にやったように、また体の一部を砂のようにサラサラと落として、その亀裂に入り込もうとした。
 その時、いつの間にか、影のように四つの人影が香を取り囲んでいた。香は振り返るや否や、ハイジャンプして崖に取り付いた。
「何をしておる」
 猿蔵が怒鳴った。香を逃がさないように、諸節、太子、早生の三人も距離をとって展開している。香に取り付いたものは、まだ言葉を解さないのか、怒声を返した。女の子の声ではなかった。
 それを聞いて、猿蔵は相手が道成の連れて来た女学生の姿をしているが、違う何物かであることに気付いた。
「気をつけろ。あれは魔かもしれん」
 そう残りの三人に伝えた。「魔」と言われて、諸節、太子、早生の三人は緊張した顔になった。
「どうしますか。倒しますか、捕まえますか」
と諸節が猿蔵に問うた。
「乗っ取られているのだ。傷つけるわけにはいかぬ」
「分かりました」
 四人は展開し、四方陣の形になった。
 そこからは、四対一なのに、やや不利な展開となった。傷つけないように取り押さえるというのは、熟練の彼らをしてもなかなか難しかったのだ。
 捕まえようとすると、すり抜けられ一撃を喰らう羽目に何度もなった。
 早生は堪らず、「お姉ちゃん、自分を取り戻して」と叫んだ。
 当然だが、香本人には届いていない。
 香に取り憑いた魔は、四人を翻弄するように姿を変えた。
「破邪」
と唱えて、猿蔵が何度も香に取り憑いた魔に圧をかけるが、まだ弱い。魔は平気だった。
 その時、魔の動きが一瞬止まった。何か恐ろしいものを見るように、岩山の方を見ている。
 猿蔵も目を向けた。
 そこには、何かが立っていた。ボロボロのマントに、深いフードを被った人のようなものだった。その者が魔に対し、マントを振った。強力な一撃が魔を襲った。魔は吹き飛ばされて、墳丘を転がり落ちていった。
「追いかけろ」
 猿蔵が、三人に命じた。そして、猿蔵はボロボロのマントのお方の方を見た。しかし、そこにはもう何者の姿もなかった。
 しばらくして、諸節が戻って来て、済まなそうに、
「見失いました」
と報告した。
「魔はまだあの女学生に取り憑いたままだ」
と猿蔵が言うと、早生が、
「じゃあ、八重洲に戻ってくるね。私、見てくる」
と言って、駆け出していった。
「大丈夫でしょうか」
 諸節が心配する。
「あやつはまだ子供だが、心得ておる」
 猿蔵はそう言うと、「一旦、帰るぞ」と言って、ゆっくりと歩き出した。
 猿蔵の頭の中では、先ほど見たボロボロのマントのお方のことが気になっていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み