第17話 彼は誰星

文字数 15,554文字

 まるで夏の嵐のような魔法の応酬が続いていた。壁も天井も崩れた倉庫だけではなく、夕焼けの空にも爆発音が響く。

「“紫電轟け、Prestissimo(プレスティッシモ)”」
「■■■■■■■■——ッ!!!!」

 シリウスとカメロパルダリスが同時に攻撃を放つ。相手の逃げ場をなくすように挟みこむ、隙のない連携だ。
 しかし、杖である銃を失ったとしても、サジタリアスは歴戦の魔法使いだ。シリウスの紫電を紙一重で避けながら、鼓膜を破裂させるほどに響く嗄声へと呪文を唱える。

「“con sord.(コン・ソルディーノ)”」

 途端に、カメロパルダリスの攻撃魔法は威力を落とした。強制的に弱音(ミュート)にさせられた嗄声は、土埃を立てるだけだ。

「はあ? 記譜式呪文に文句を言っていたのはどこのどいつだ? 咄嗟に出たとは思えないくらい一丁前に使いこなしやがって」
「副団長、それただの褒め言葉です」
「“senza sord.(センツァ・ソルディーノ)”」フォルナクスがカメロパルダリスへ唱える。「解除しといたけど、魔弾の射手のが一枚上手かも。たぶん調子が戻るまで時間がかかるぜ」

 カメロパルダリスは「ア、アー、ヴァー」と喉を鳴らし、発声の調整をするも、弱音(ミュート)状態から回復しきらない。
 基本的な魔法ほど、その効力は発動者の力量に左右される。対称魔法で返そうにも、同じだけの力量を求められるのだ。
 ただし、相対するサジタリアスとて無傷とは言えない。膝をわずかに折るようにして、その場で踏ん張っていた。軽い脳震盪を起こしている。カメロパルダリスの攻撃魔法は、その場を破壊するだけでなく、少なからず人体にも作用する。
 揺れる声で「残響にすら魔法が乗るのかよ。とんだ音響兵器だぜ……」とサジタリアスはこぼした。
 フォルナクスによって切断された腕が燃えるように痛む。迫りくるシリウスたちの攻撃を躱しつつ、切り落とされたほうの腕を探す。己の魔力の断片を感じたので、「“来いよ”」と唱えれば、瓦礫の隙間から血まみれの腕が飛んできた。それを片腕でキャッチし、断面同士をくっつける。魔力を糸のように細く練り、無理矢理に縫いつけて処置した。
 攻撃の合間にそれを見届けたフォルナクスは、舌を打ってから口を開く。

「杖より腕優先かよ。ナメてんのか?」
「ナメてんだろうな。近衛星団の魔法使い四人を相手にして互角って、どういうことだよ。こんだけ魔法使っといて魔力切れも全然起きないし、もしかして人間やめた?」

 カメロパルダリスは不安定な声でぼやく。
 魔法は無限ではなく、必ず魔力を消費する。太陽の加護も薄まりそうな夕空の下、建物を破壊するような攻撃魔法を乱発していては、魔法使いの身がもたない。
 四対一の多勢に無勢にも関わらず、膨大な魔力量を誇るサジタリアスは、余裕という言葉では収まらないほどに泰然としていた。

「……てか、応援いつ来ると思う?」フォルナクスが囁く。「そろそろ来てもいいころだけど」
「ベテルギウスあたりが箒をかっ飛ばして今にも登場してほしい」
「ただの願望でウケる」
「すみません、言い忘れてましたけど、もしかしたらここまで辿り着けないかもです」
「はあ? なんで?」
「魔弾の射手、さっきから魔法で空間認識の阻害入れてます」
「はあ? クソじゃん!」

 カメロパルダリスとフォルナクスは地団駄を踏む。そんな二人へ、シリウスが静かに「団長は」と問いかける。

「たぶん無理。マンチキン家の野郎がいらんことしたせいで、宮廷顧問から呼び出し食らってんの。俺らのとこに葉書来る前に謁見しに行ったから、そもそも、こんなことになってるなんて知りもしないと思う」
「げっ。またマンチキン家(あのひとたち)来たんですか?」
「な? 文句ばっかりじゃなくて、菓子の一つくらい置いてけってんだ」
「ここで魔弾の射手を取り逃したら絶対また調子乗るぜ」
「せめて勝たなきゃ」カメロパルダリスが目を眇める。「団長、また落ちこむ」

 シリウスは銀光りする瞳を細め、ややあってから、固く食いしばっていた口から重い息を吐いた。そばに控えるオリガに「読心術は?」と尋ねると、「安定しません。まだ相手の結界が働いてるみたいです」と返ってくる。

「戦闘に意識を割けば、結界も完全に解けるだろう。お前はこのまま隙を探りながら援護してくれ。俺とカメロとフォルで前に出る。カメロ、次に“黒の喚声(デスボイス)”を使うときは、」
「なるべく相手の間近で。わかってるよ。魔弾の射手の脳みそをぶちまけてやる」
「杖を失っている今が好機だ。なんとしてでも勝つぞ」

 シリウスはすっと息を吸ったのち、美しい発声で魔法を唱える。基礎魔法“紫電轟け”の上位魔法、「“雷霆(らいてい)轟け”」だ。
 菫色の稲妻が走り、視界を大きく割る。朝かと見紛う明るさで網膜は焼きつくされ、その火花放電(スパーク)はさんざめくように音を立てる。触れるどころか近づくだけで、骨の髄まで焼ききれそうだ。
 サジタリアスは持ち前の反射神経でそれを避けたものの、フォルナクスが追尾魔法をかけ、電撃を操る。逃げ回るサジタリアスを追いかける電撃は、まるで生き物のようだった。
 先回りしていたかのように、カメロパルダリスがサジタリアスの眼前へ躍りでる。誘導されたのだとサジタリアスが悟ったときには、カメロパルダリスは口を開いていた。

「■■■■■■■■■■——ッ!!!!」

 カメロパルダリスお得意の、殴りつけるようなシャウト。騒音じみた魔力を最大限に活かす、悪声から成る攻撃魔法。それをもろに食らったサジタリアスは、(ひび)割れた壁面へと身を叩きつける。衝撃で息が乱れた。低く呻きながら、壁面に体重を預け、身を折る。

「今だ! 畳みかけろ!」

 そう張り叫んだシリウスが先陣を切る。構えたサーベルに指を滑らせながら呪文を唱えた。煌々とした刃の上を真紅の文字が走ると、たちまちその剣身に炎が灯った。
 カメロパルダリスもフォルナクスも杖を掲げ、魔法を唱える。
 三人の心中は一つだった——ここで魔弾の射手を仕留める!
 しかし、オリガは違った。刹那、魔力伝いに読み取れてしまったから。

「っだめです! ひいて!」

 オリガの最速を、サジタリアスが凌ぐ。
 まるで超新星爆発——音さえも置き去りにする光の速度で、サジタリアスはその膨大な魔力を噴出させた。
 魔力操作により濃度も密度も上げられたそれは、驚くべきことに質量を伴い、迫りくる三人の魔法使いを貫いた。

「がっ、は……」

 特に重傷なのは前に出ていたシリウスだった。腹と肩を貫かれ、制服が血に染まっている。喉を震わせながら血を吐く。
 後ろのカメロパルダリスも頬と脇腹を掠めていた。フォルナクスは杖を握っていた右腕を吹き飛ばされている。ただ、二人は我が身も顧みずに、白い外套(マント)を赤く染める背中へ、「副団長!」と呼びかけた。息も絶え絶えのシリウスは、なにも返さない。

「焦って漏らしちゃったぜ」

 サジタリアスは魔力を霧散させる。
 その瞬間、シリウスは膝をつく。サーベルを地面に突き刺して体重を支え、もう片方の手で傷口を押さえた。だくだくと()()なく血が流れている。
 ここまで手負った。魔法ですらない、ただの魔力の放出で。ただの魔力が、質量を持っていた。今もなお、獰猛な魔力の残滓がシリウスを毒していく。
 一瞬で思い知らされた——自分ではこの男に勝てない。

「は、ははっ……ふ、ざ、けるなよ……!」

 血に濡れた唇で呪詛を紡ぐシリウス。ギラギラとしたダイヤモンドの瞳でサジタリアスを睨みつけた。
 そんなシリウスの体を羽交い絞めにして、カメロパルダリスは「下がれ、副団長」と自身の背後へと追いやった。そのシリウスをオリガが受け止める。呻くシリウスへ、オリガは魔法で止血する。

「なんでこんなときに限って、治癒魔法の腕が微妙な団員しかここにいないんだよ」
「フォーマルハウトの現着を待つ?」
「阻害魔法の解きかたもわかんないのに?」
「オリガ、副団長どんな感じ」
「やばいです。体に穴が空いてる。今すぐ治療しないと死んじゃうかも」
「副団長だけでも戦線離脱しなきゃだな」

 新星以外に傷を負わせ、副団長に至っては瀕死だというのに、サジタリアスは追い打ちをかけることはしなかった。あたりにこびりつく、最大粘度で硬化させた魔力を払拭しながら、杖の気配を探った。やがてわずかに笑まいを浮かべ、「“来いよ”」と唱える。飛んできたものをキャッチして、眉を顰める。

「なんで杖の魔力を探して、方位磁針(こんなの)が引っかかるんだ?」

 オリガは「あっ」と声を漏らす。サジタリアスが“魔弾の射手探知器”を手にしていたのだ。さきほどの呼び寄せ魔法によって、シリウスの懐から飛んでいってしまったのだ。

「……ああ。中に俺の弾が入ってるのか。これで俺の居場所を突き止めたわけだ。がんばったな、かわいいぜ」

 その“魔弾の射手探知器”を魔力で潰す。ベキベキと音を立てて壊れ、砕け散っていった。そして、サジタリアスは今度こそ杖を呼び寄せる。
 それを眺めたフォルナクスは「考えるかぎりの最悪」とこぼした。
 カメロパルダリスが呪文を唱え、フォルナクスの杖を呼び寄せる。フォルナクスはそれを左手で受け取ってから、気怠げに口を開く。

「はい、お前らに質問です。このメンバーの中に、人体を医務室にまで転移できる空間転移魔法の使い手はいらっしゃいますか?」
「はーい。俺の使える上級魔法五種は、時限魔法と変身魔法でーす」
「……空間転移の座標計算と詠唱に七分かかります」
「俺だと五回に一回の確率で人体がバラける。オリガで決まりだな」フォルナクスは前へ出る。「俺とカメロで時間を稼ぐ。副団長連れて、宮殿の医務室まで飛べ」

 オリガは頷いて杖を構える。ぶつぶつと呪文を唱える姿を横目に、フォルナクスは盾となる結界魔法をオリガとシリウスへ被せた。サジタリアスが小手先で破ってしまうような、気休め程度の魔法だ。ただ、結界を隔て、こちらの音は向こうへ届かないよう施した。
 傷口に止血魔法を施したカメロパルダリスが、フォルナクスの隣へと並ぶ。

「二人で時間を稼ぐって言ったよこいつ! あーあ! 俺、フォルと違って生身なんだけどな! 痛いんだけどな!」
「後輩の前くらい格好つけろよ」
「はいはい、わかってますよ! 先輩は馬車馬のように働きますって!」
「それはオリガの持ちネタだろ」

 相変わらず、相手の魔力は無尽蔵で、枯渇することはない。質量を持って具現化するほどに魔力を放出したというのに、「漏らしちゃった」程度なのだ。
 怖気を知らないはずの人形の左手で、ぎゅっと杖を握りしめる。

「……で、実際やれんの? カメロ」
「こっちの台詞だっての。フォル、人形の破損がひどいと、遠隔魔法でも操れなくなるんだろ。さっきから魔力が途切れ途切れ」
「お前は枯渇気味。大味な魔法は魔力消費も激しいもんな。調子乗って乱発するから」
「俺の魔力の性質的に、意外と低コストで済むのよ。あと三発くらいなら余裕。四発目からは血反吐を吐くかも」
「その感じだと三発目も痩せ我慢だろ」

 二人の会話を聞いていたサジタリアスがクツクツと喉を鳴らす。カメロパルダリスは牙を剥くように「は? なに勝手に傍聴してんだゴルァ」と顎を突きだした。

「美しいね。自分を犠牲にしてでも、新星を守ろうってのか。お前らも未来ある若者がかわいいわけだ。気が合うな。俺たち仲良くなれそうだぜ」
「んなわけねえだろカス!」
「全世界の誰も、お前なんかと友達になりたがらねえよ!」
「はあ……分母や主語のでかい語り口をするやつは信用に値しない。その点、俺が俺はって自己主張の強いやつは、不特定多数の他人を巻きこまないという点では信用できる。顕示欲も強くてかわいいよな」
「はぁあ〜!? 俺だって自己顕示欲はだいぶあるんだが〜〜!?!?」
「最初に俺のことかわいいって言ったのお前のほうなんだが~~!?!?」

 サジタリアスは「“再装填(リロード)”」する。カメロパルダリスは“黒の喚声(デスボイス)”を放ち、フォルナクスは「“反響”」を唱える。辺り一帯が地獄から湧きたつような嗄声に支配されたが、サジタリアスは魔力で我が身を守った。
 パパパパンッと発砲された弾丸はそれぞれが尾を引いて、その軌道は光線となった。触れれば肌も糜爛するような熱量で、獰猛な魔力が乗っているのが見て取れる。
 サジタリアスは静かに「“遊べよ”」と唱えると、光線が鮮やかに回旋する。まるで剣舞のようだった。
 それを躱しながら、カメロパルダリスは声を張りあげる。

「おいおい、遊びてえのはお前のほうなんじゃねえの!? 踊れよ、魔弾の射手!」そのまま吐きだすように。「“大反響”! “拍手喝采”、“雨霰(あめあられ)”!」

 幾重にも反射しゆく“黒の喚声(デスボイス)”が割れるほどに響く。発動者のカメロパルダリス以外の鼓膜など破る勢いだ。しかし、この場にいるのは人形遣いと憎き怨敵。遠慮をする必要は皆無だった。

「アッハッハッハ! いいぞカメロ、腹から声出してけ! “crescendo(クレッシェンド)”!」

 フォルナクスは下品に笑いながら煽る。
 石礫(いしつぶて)も窓硝子も暴風になって吹き巻くこの戦場で、カメロパルダリスとフォルナクスはお祭り騒ぎだ。
 そのとき、サジタリアスがまた発砲する。なんの魔法も帯びていなかった弾丸は、カメロパルダリスを横切り、足元の瓦礫へと植わった。
 カメロパルダリスは「どこ撃ってんだまぬけ!」とがなり立てる。そんな彼を見据えたサジタリアスは、淡々と呪文を唱えた。

「“staccato(スタッカート)”」

 ザク、と肉の切れる音。ふらつく足元。カメロパルダリスが気づいたときには、左腿から下が


 濁声(だみごえ)の悲鳴が上がる。フォルナクスはカメロパルダリスの左側に回りこみ、その身体を支えた。足元にはカメロパルダリスの左脚が転がっている。わずかに感じ取れる、魔弾の射手の魔力。

「トラップかよ……!」

 適当に撃ったかのように見えた先刻の弾丸が仕掛けだった。あの弾丸から“staccato(スタッカート)”が発動した。大振りな魔法を連発しておいて、ここで技巧的な魔法の応用。完全に死角となった角度からいきなり発動されては防ぎようもなかった。

「アアァアァアアッ、“アァアアッッ”」

 激痛の中でも、相手から距離を取るため、カメロパルダリスは悲鳴に魔法を乗せる。威力は“黒の喚声(デスボイス)”には及ばないものの、己に負わせた傷を浴びせかけるような、懸命の攻撃魔法だった。

「アアアアァあァぁあああぁッ(いで)ェじゃねえかよこのクソ野郎おおお、てめえマジでぶち殺してやるかんなぁ!?!?」
「騒ぐなカメロ、本当にぶっ倒れるぞ!」

 血気に()るのは痛みの裏返しだ。フォルナクスは痛み止めの魔法を切断面に唱える。
 とはいえ、痛みが消えたところで、大量にこぼれ出る血は止まらない。止血しきれないほどの出血だった。小さな少女の姿をした人形に寄りかかっているだけでは、立っているのもやっとだろう。
 血を流しながら喚きたてるカメロパルダリスへ、サジタリアスは「柄悪」と小さくこぼした。

「言ったろ。怒りはストレスだ。その人形遣いとハグしてるお前は幸せなはずだぜ。ドーパミンやオキシトシンが分泌されるからな……それともあの論説は嘘だったのか? やられた、俺まで嘘つきになるところだった」
「意味わかんねえことべらべらしゃべりやがって……殺意が分泌されすぎて毛穴詰まるだろうが、どうしてくれんだてめえ!」

 カメロパルダリスは肩で息をしながらも威勢よく吠える。ただし、その威勢は虚勢だった。額や首筋には脂汗が滲み、指先は震えている。
 それをそばで感じながら、フォルナクスはサジタリアスに杖を向け——ようとして、頭部に衝撃。左目が見えなくなった。撃ち抜かれたのだ。わずかにふらつくものの、カメロパルダリスを支えるために踏ん張った。
 悲しきかな理解している。この人形は、もう長くはもたない。そのうち崩れ、遠隔魔法も途切れるだろう。背後の二人が転移()ぶまであと少し。なんとしてでも、その時間だけは稼がなければ。
 サジタリアスが弾丸を放つ。その弾丸には、電撃魔法、重力魔法、爆発魔法と、幾重にも魔法が重ねられていて、着弾すれば四人まとめて吹っ飛ぶ。
 カメロパルダリスは咄嗟に結界魔法を幾重にも張り、フォルナクスはそれを強化する魔法を重ねた。ありったけの魔力をこめて。
 二人の前に現れた透明の壁を、獰猛な光輪を纏った弾丸が食い破ろうとする。カメロパルダリスはさらに魔力をこめた。白熱する視界とは裏腹に、どんどん身体は冷めていく。
 右腕を失くしていなければ、その背中を撫でていたはずだ。フォルナクスはカメロパルダリスへと囁きかける。

「大丈夫だ、カメロ」
「うん」
「近衛星団の魔法使いが阻害魔法くらい解けないがない。味方が来るまでの辛抱だ」
「わかってるよ。あいつをここで食い止めたら、俺らの勝ちだよな」
「俺もいる。生きて帰るぞ」
「そういや俺さあ、一回でいいからフォルと飲みたかったな」
「は? なんだよ急に」
「訓練星時代からの同期じゃん。飲み食いのできない人形のお前にしか会ったことないけど、酒入ってないとできない話もあるんだよ。たとえば、お前とバディやれて楽しかったとかさ」
「やめろ。そんな話すんな」
「俺ら、口の悪さも沸点もおんなじで、いっつもアルタイルが手綱握ってたよな。たぶんアルタイルのときと同じで、いなくなって初めて、俺のありがたみがわかるぜ。出不精で付き合いの悪いお前と友達やれんのなんて、俺くらいのものだったんだって」
「お前、死ぬ? 俺を一人にする気?」

 カメロパルダリスは青い顔で笑った。

「死んだら俺のこと操っていいよ。そうやって一緒に団長のとこ帰ろう」

 パンッと再び発砲音が響けば、攻撃魔法は強化される。二人がかりで張った結界など風前の灯火だ。
 カメロパルダリスの目はもう霞んでいた。
 フォルナクスとて魔力切れを起こそうとしている。人形を残して、カメロパルダリスを残して去ってしまう。
 終わりを覚悟したそのとき、空間転移の魔法式を完成させたオリガが呪文を唱える。

「“みんなで一緒に帰りましょ”!」

 え、と声を漏らす間もなく、カメロパルダリスとフォルナクスの体は、オリガの魔法に引っ張られる。
 耳鳴りと眩暈のする遠心力に身を縮こませて、息を飲み、それがやんだと思ったときには、宮殿の中の医務室に転がっていた。
 あの猛烈な光も、身の擦り切れるような魔力圧も感じない。
 自分たちまで転移したことに驚いて、フォルナクスは目を白黒とさせる。

「……は? オリガに副団長?」医務室で寝ていたカノープスが目を丸める。「ってひどい怪我だな! カメロまで! 宮廷医を呼んでくるからちょっと待ってろよ! おい、メリク起きろ、寝てる場合じゃない!」

 カメロパルダリスも仰向けに倒れ、ぼんやりと天井を眺めている。未だに早鐘を打つ心臓の音で、カノープスの声がぼやけていた。
 床にへたりこむオリガが、シリウスを介抱しながら口を開く。

「四人で戦っても勝てないんだから、副団長が負傷した時点で、全員で撤退する空間転移で演算するに決まってるじゃないですか。おかげで、詠唱も長引きましたが……先輩たちのおかげでなんとか帰還できました」

 オリガは最初(はな)から四人で戦線離脱する心算でいたのだ。どっと疲れたのか、大きく肩を落とし、「はあ、もう、ヒヤヒヤした」と力なくこぼす。

「貴方たちの心の中なんてお見通しなんですよ、馬鹿なんじゃないですか、置いて行くわけないのに、かっこつけてんじゃないですよ、怖かった、間に合わないかと、本当に死んじゃうかとを思っ……」

 ばたんと背中から倒れこむオリガ。
 魔力切れである。
 緊張が解けたのもあるだろう。眠るように気を失っていた。
 カメロパルダリスとフォルナクスは目を合わせる。お互いに満身創痍だ。カメロパルダリスは左脚を失い、フォルナクスの人形は左目と右手を失った。それでも、壊れた体で「……お前の身体はいらねえわ」と憎まれ口を叩く。そんなフォルナクスに、カメロパルダリスは「一生やらねえよ」と笑いながら返した。





 建国祭五日目の朝、またもや魔弾の射手が出没したという記事が各社の一面を飾った。
 死者こそ出なかったものの、近衛星団は多数負傷、戦闘区域の被害も甚大で、連日取り逃がす結果となった事実を、アトランティス帝国中が重く受け止めている。
 近衛星団に同情的だった声も、度重なる失態により不満に染まりかけている。建国祭に招かれた他国からの使者は不安と憤りの声を上げていて、我が身を案じて国に帰る意思を見せる者もいた。
 公国のラリマー公子を代表する一部の者は「帝国の対策を信じる」と声明を出しているものの、このまま事態が解決しなければ意見を変えるのは明白だ。
 魔弾の射手を野放しにしている現状に、アトランティスの威信は崩れかけていた。
 そして、不安や不満は、国中に広がる。

「……悪い、コメット。今日は、俺もベルリラも、家から出るなって言われてるんだ」

 一緒に建国祭を見て回ろうと誘いに、コメットがアップルガースの店へ訪れると、申し訳なさそうな顔をしたギロがそのように告げた。

「え、なんで」
「魔弾の射手がうろついてるかもしれないから……ほら、昨日、港町で近衛星団が戦闘がしたっていうだろ? それで建物のいくつかが被害を受けたとかなんとか。怪我人はいなかったみたいだけど、いつ巻きこまれるかわかったものじゃないから、今日はみんな店も閉めて、外に出ないようにしてるんだ」

 コメットが商店街に来たときから、様子がおかしいと感じていた。祭り仕立ての街並みを歩くのはほんの何人かで、建国祭期間とは思えないほど閑散としていたのだ。ギロの言うとおり、店を閉めているところも多かった。
 ギロの隣にいるベルリラは「ごめんね、コメット」としょんぼりしている。コメットは「気にしないで」と返した。そういう事情ならしょうがない。

「コメットも、こんなところまで来て大丈夫なのかよ。ハーメルンさんだって怪我したんだろ?」
「あ、うん。大先生は宮殿の医務室にいる。元気そうだったよ」
「だったらいいけど、お前も危ないから、早く帰ったほうがいいって」

 すると、カウンターの上にいた妖精猫(ケット・シー)が、「一人で帰すのも危険じゃない?」と話した。アップルガースの飼い猫であるため、コメットもよく見かけるものの、実際にしゃべっているのを見ることは珍しかった。
 ギロは「たしかに」とこぼして、「とりあえず(うち)入る?」とコメットに尋ねる。コメットは首を振って断った。

「それなら、僕も家に帰っておとなしくしておくよ」
「一人で帰れる?」
「大丈夫。ここまでも平気だったし」
「本当に気をつけろよ、お嬢ちゃん」話に割って入ったのは、ギロの父親でもあるアップルガースの主人だ。「いくら魔弾の射手が近衛星団以外は狙わないって言ったって、なにをするかわからない……巻き添えを食らうことだってありえるんだからな」
「……うん」

 コメットが頷くと、主人はため息まじりに「とんだ建国祭だぜ」とこぼした。

「これじゃあ俺たちだって気安く表を出歩けないし、客の入りも減る。近衛星団もなかなか捕まえてくれないしよ。まったくなにやってんだか。アトランティスを代表する魔法使いの騎士さまが聞いて呆れるぜ」
「親父」ギロが目を眇める。「ハーメルンさんにも失礼だろ」
「ハーメルンさんは可哀想だが、実際、近衛星団はずっと星団殺しを捕まえられてないんだ。近衛星団が弱いのか、星団殺しが強いのかは知らないが、これ以上被害が出る前になんとかしてもらわなきゃ困るだろ」

 そこへ、顔を顰めたベルリラが反論する。

「大丈夫だもん。カシオペヤは賢くて優秀な魔法使いだし、アークトゥルスだって星団歴三百年のベテランなんだだよ。きっとそのうち魔弾の射手も捕まえる」
「どうだろうな。三十年前にキルキヌスが殺られたときも、みんなが期待して、でも失敗に終わったんだよ」ため息はさらに深くなる。「何百年も捕まえられてないんだから、団長が頼りないんじゃないのか?」
「そんなことないもん!」ベルリラは自分が傷つけられたみたいに声を張りあげた。「団長はすごい魔法使いだもん! いっぱい活躍してきたアトランティスの英雄、一番強い魔法使いの騎士だよ! 絶対絶対、魔弾の射手なんかに負けたりしない!」

 近衛星団とは人々の憧れだ。帝国に一握りしかいない宮廷魔法使いで、皇帝直属の魔法騎士組織。その中でも、若くして星団のトップの座に就いた現星団長に対しては、惜しみない称賛と敬慕が注がれている。
 そして、同じだけ、アトランティス帝国の不安や不満も、彼の肩に乗る。

「……俺だって、ガキのころは憧れたさ。もし俺にも魔力があったらあんな魔法使いになりたかったって思うくらいに」主人は力なく目を伏せる。「でもよ、今度こそって思いながら、ずっとずっと負けつづけてるだろ。いつまで経っても死んだだの逃しただの。今回は生きて帰ってきてるだけ

だが、たった一人を相手にして、手負いにさせられてるんじゃあ、期待するだけ無駄だ」

 アップルガースの主人などはまだ言葉を選んでいるほうで、もっと(したた)かに非難する者もいる。
 希望を抱けば抱くほど失望するし、信じれば信じるほど不信になるのだ。
 コメットは見送られながらアップルガースを出た。道を踏み締める音がわずかに反響するほど、あたりはしんとして寂しい。北風は神様の口笛みたいに吹き、コメットの外套(ケープ)をふわふわと揺らす。
 コメットはあたりを見回す。建国祭の初日、こんなことになるなんて思いもしていなかったあの日は、帝国のどこもかしこもがお祭り騒ぎだったのに。今はその彩りが切なくなるほど、人々の心から光が消えている。

「……一人で出歩いては危ないよ」

 振り返るようにあたりを眺め見ていたとき、歩を進める道の先から声をかけられた。
 コメットがそちらへ目を遣ると、オリーブ色の外套(ローブ)を羽織り、フードを目深に被ったヘスパー・ゴーシュが、優しげに見下ろしていた。

「えっ、ヘスパーさん?」コメットは目を丸める。「こんにちは。じゃなくて、えっと、どうしてブルースに?」

 ヘスパーは外套(ローブ)の下に制服は着ていなかった。仕事できたというわけではないらしい。
 コメットの問いかけに、ヘスパーは苦笑するようにして「休みなんだ」と返す。

「せっかく建国祭に休みをもらったんだしと思って、あちこちを見て回ってるんだけど……どこも寂しいね。嫌なことが続いているから、みんな思うように楽しめないんだろうね」

 そのように語るヘスパーも、コメットの目には寂しそうに見えた。彼はにこりと微笑みかけて「家まで送るよ。サダルメリクの家だよね?」と告げる。
 こんな時勢だからとコメットの帰路を気遣い、コメットの歩調に合わせてゆったりと歩く彼は、親切で優しい魔法使いだ。そんな魔法使いの心を痛めている気配に、コメットは恐る恐る口を開く。

「今日、急に休みになったんですか? 昨日あんなことがあったから」
「ははは、君は聡いね」ヘスパーは肩を竦める。「昨日、君たちと別れたあと、トリスメギストスさまに呼びだされてね。魔弾の射手に手を焼いているようなので自分も介入しようかと提案された。あの方は優れたお方だから、自分が介入したら近衛星団や俺がどのような目で見られるか、わかってらっしゃったんだ。だから、これまで静観していた。けれど、このまま近衛星団の魔法使いが犠牲になるのなら……俺さえよければ力を貸すと。まばゆいほどにお優しい方だよ」

 ヘスパーは一つ息をつき、俯いた。コメットはその横顔を追う。形のいい唇が「俺が愚かだった」と吐いた。

「あの方の提案を受け入れるべきだった……仲間を信じて、自分を信じて、その結果がこれなんだから。気を落としているだろう俺を気遣って、一日(いとま)をくれたけど、持て余した時間で考えては嫌になる。俺はどれだけ不甲斐ない団長なんだって」

 俺の仲間はみんな、強くてかっこいいやつばかりだよ——昨日、そのように語ったヘスパーの眼差しは、燃える星の輝きそのものだった。
 けれど、今のヘスパーにその輝きはない。ゆらゆらとひそかに揺れているのは、炎ではなく涙かもしれない。それほどまでに、ヘスパーの光は弱りかけていた。

「泣かないで」

 思わず、そんな言葉がコメットの口をついて出た。こちらを見下ろすヘスパーは涙を流していなかったけれど、驚いたような顔をしているけれど、コメットは、きっと自分は間違っていないと思った。

「そんなことないです。近衛星団のみんな、ヘスパーさんのことが大好きで、信頼してて、不甲斐ないなんて絶対に思ってない。貴方に憧れてるひとはたくさんいる」

 カメロパルダリスもフォルナクスも、ヘスパーを侮辱されて我が事のように、否、我が事以上に怒りを(あら)わにしていた。先刻のベルリラも、父親の言葉に噛みついて、あのひとはすごいんだと胸を張った。

「貴方はみんなの希望の星です」
「そんなことないよ」ヘスパーは断じる。「俺は頼りなくて、不甲斐なくて、部下に怪我ばかりさせて、そのくせ自分は生き永らえてしまうような、そんなどうしようもない団長なんだ。死んで逝った彼らが俺を恨んでも無理はない」
「恨むなんて、」
「いるんだよ」

 コメットの言葉を割るように、ヘスパーは言った。コメットは息を呑んで固まる。
 ヘスパーは額に手を遣り、項垂(うなだ)れるように(こうべ)を垂れ、力ない声で言葉を続ける。

「いったい誰が言いだしたんだろうね。人は死んだら星になるんだとか、空から見守ってくれてるとか……でも、最初にそう言ったひとは、きっと優しいひとだったんだ。残されてしまったひとの涙の夜を慰めるために、そんな嘘をついたんだよ」
「…………」
「あいつらも、俺を見てる。恨みがましく俺を見てる。いるんだ、どこかにずっと、魔力みたいに感じるんだ」ヘスパーはぐしゃりと前髪を握りしめる。「ごめん。ごめんな、みんな。死にたくなかったよな。俺が、俺のせいで、ミーティアも。カノープスもサダルメリクも、シリウスもカメロパルダリスも、俺のせいであんな怪我を、俺が、俺が、」

 ヘスパーの魔力が揺れる。
 それを感じ取れたわけではないけれと、コメットは、ヘスパーの異様を悟って、「大丈夫ですか」と声をかける。
 ヘスパーはずるずると膝をつき、息を荒くした。コメットもその場にしゃがみこみ、丸まった背を(さす)るように撫でる。あまりにも弱った星団長を覗きこむ。
 そのとき、ヘスパーの息が止まった。
 否、止まったように感じただけだった。洗い呼吸も肩の強張りも落ち着き、平静を取り戻したように静かになる。
 コメットは背を撫でる手を止めて、伺うように彼の名前を呼ぶ。

「……ヘスパーさん?」
宵の明星(ヘスパー)はもう寝る時間」

 返ってきた声ははっきりとしていた。
 おもむろに上げた顔つきさえ、先刻までとは違って見えた。文字どおり、見違えた。
 赤い眼差しが爛々と燦々と燃えている。
 その輝きに目が眩む。
 どくどくと心臓が強く鳴る心地に、コメットの息が震える。圧倒されそうだった。魔力圧というものをコメットは知らない。爆発するような魔力の輝きを間近で感じて、コメットは確信を得た。
 ベルリラの抱きかかえていたファゴット・ザシャの『星団姿絵集』——あの、果てしなく遠くから放たれる輝きを押し花にして閉じこめたみたいな、一人一人が美しい絵姿の中で、ひときわ強く光を放つ魔法使いがいた。
 三代目星団長。黄金に輝く美しき君。弱冠二十五歳で近衛星団の団長の座を射止めた魔法使い。誰もが認める天才。アトランティスに光を齎す者。戦の守護星。
 そんな誉れ高い肩書きに霞む彼の秘密を、サダルメリクからひそやかに語られた話を、コメットは思い出す。

「おはよう。俺は明けの明星(ルシファー)

 ルシファー・ゴーシュ——度重(たびかさ)なる仲間の死に、魂を割った、悲しいひと。





「二重人格、」

 とこぼしたサダルメリクが「って、一種の病なんだって言ってましたよ」と肩を竦める。
 サダルメリクの突拍子もない言葉に、ラリマーは目を瞬かせた。ちょうど宮殿の医務室に見舞いに来ての話だったので、「宮廷医の言葉ですか?」と尋ねた。サダルメリクは「ううん、知り合いの医者」と答えた。

「なんらかの心的外傷が要因で、苦しい現実から逃避するために、二つ目の人格を自分の身に形成する。どれだけ年老いたって心に癒えない傷を負うことはあるからね」
「あの誉れ高きルシファー・ゴーシュ星団長がそうだと?」
「まあ、そうだね。団長の中には二つの人格がある。四百歳のカリスマ星団長ルシファー・ゴーシュと、二十五歳の若手星団長ヘスパー・ゴーシュ。普段、本物の

であるルシファーは眠りについていて、代わりにヘスパーが団長として生きているんだよ」

 ラリマーの御側(おそば)(づか)えとして背後に付き従っていたルピナスが、「とんでもないこと聞いちゃった……」という顔でぞっとしている。
 宮中の作法と身の振りかたについては、ルピナスとて理解している。皇帝直属の宮廷魔法使い、その長であるルシファーが心を病んでいるなど、表に出していい情報ではないはずだ。
 案の定、サダルメリクの隣のベッドから、カノープスの「公子にも言うんかい」という非難の声が上がる。しかし、ラリマーの手土産であるフルーツバスケットから林檎を取り出し、杖を振るって皮を剥く手元を見るに、その心理は悠長だ。

「ネブラやコメットにも言ったし」サダルメリクは答える。「団長や僕たちの味方をして、公国の追及から庇ってくれてるラリマー公子に、話さないわけにはいかないでしょ。秘匿事項ってわけじゃないしね。宮殿で働いている人間の半分くらいは理解してる事情なんだから。宮殿で生活しているラリマー公子には教えとくべきでしょ」

 奥のベッドで同じように横になっているカメロパルダリスが、「どうせ弱味にもならないくらい団長は強くて偉大だもんな」とこぼした。こちらは悠長というか暢気だった。
 ふむ、と呑みこむラリマーは、ややあってから口を開く。

「ちなみに、星団長本人にその自覚は? 人格が分裂していても、本当は四百年の時を生きているわけでしょう。誰もが知るほどの歴史として、彼の逸話は多く残っている。そういった過去の記憶や情報の処理はどうなっているのか」
「そのあたりの感じは曖昧なんだよね。ヘスパーには二重人格である自覚はないみたいで、認識乖離によるズレも脳が都合よく処理している。なんせ自認は永遠の二十五歳だから、他の団員は全員歳上の魔法使いだと思ってるようです」
「でも、団長は、俺たちの訓練星時代からの魔法の癖まで覚えてるし、五十年以上前の話だって普通に持ちだすよ。それに対する違和感はなさそう」
「もう滅茶苦茶だよね。僕たちも慣れるまでには苦労した」
「仕事どころか日常生活にも支障を来すレベルだな……普通なら近衛星団から除籍されてもおかしくないのでは?」
「まあ、そういう意見も実際にわりとあったみたいですよ? 魔法使いの名家からしてみれば、無門の彼を引き摺り下ろすのに、打ってつけの状況だっただろうさ」サダルメリクは目を眇める。「でも、近衛星団は皇室直属の組織だからね。皇帝や後援する貴族たちが手放さなければ、その座から退けることは不可能だ。なんせ彼、実力があるから。結果、彼は団長の座に就いたまま、あらゆる批判も全部その才能で捻じ伏せちゃったんだって」
「たしかに……宮廷顧問のトリスメギストス殿も、現星団長を高く評価していました」
「そのようで。まあ、ルシファー・ゴーシュは、多少の(きず)さえも許されるほどの巨星ってことさ」

 多少の瑕などと言ったものの、多少どころでない傷を負ったからその心は割れてしまったのだと、サダルメリクは思う。
 傷ついたまま、彼は彼ではいられなくなって、その結果、ヘスパー・ゴーシュという人格が生まれた。過去に起こった凄惨な事件も悲惨な別れもなにも知らない、ただの瑞々しい魔法使い。

「とはいえ、ルシファーの彼に比べれば、ヘスパーの彼の力は弱いよ。僕も何度かルシファーのときの団長に会ったことがあるけど、まあ、すごいよね。面白いのは魔力の性質もちょっと違うんだ。今の団長の魔力だって、常に爆発してるみたいにとんでもないのに、本当の彼はそれ以上」
「ほう。ルシファーの人格が表に出ることもあるのですね」
「と言っても、ほとんどないですけど」とカノープス。「五分くらいで沈むときもあれば、ずっと表に出るときもあります。トリガーは、大抵が魔弾の射手の出没。というか、死んじゃった団員の想起かな」
「団長は仲間想いの優しいひとなんだよ~~! 俺、どっちの団長も好きだから、苦しい気持ちになってほしくねえよ~~!」

 カメロパルダリスは枕に顔を(うず)め、えへんえへんと泣き真似をした。演技がかった振る舞いでも、その言葉は誇張ではなく、本心であると察せられる。

「嫌ではないのか。自分たちを束ねる者が、魂の覚束ない魔法使いで」

 ラリマーは純粋に尋ねたけれど、ルピナスは「公子」と諫める。ラリマーに悪意はないものの、その発言は率直に無礼だ。
 カメロパルダリスは「嫌なわけないですけど!?」と枕の奥から叫んだ。最低限の節度を保ち、ラリマーを睨みつけなかったこと、敬語を外さなかったことに、カノープスは心の中で拍手を贈った。

「俺たちは、どちらも団長だと思っています」カノープスはラリマーへ答える。「あのひとが誰かなんて些細なことです。どんな団長でも、あのひとは誰にも貶められないほど強い、素晴らしい魔法使いだから」
「みんな割り切っているんだな」
「いやあ、みんなじゃないですよ」ラリマーの言葉に、サダルメリクがへらりと笑う。「僕やカノープスなんかはああなる前の団長を知らないから、そういうものなんだって思えるけど、昔の団長を知ってるやつからすれば、幻滅したり、失望したり、なかなか飲みこめないことはありますからね。でも、近衛星団の団員としてはそうも言ってらんないし、どうにかこうにか折り合いをつけるしかないので、時間をかけてそれぞれ受け止めていくんだけど……」

 サダルメリクは意味ありげに視線を外す。ラリマーとルピナスは不思議に思い、その視線につられるように、そちらを見遣った。逆に、カノープスとカメロパルダリスは明後日の方向を向いた。サダルメリクの視線の先に誰がいるかなんて、わかりきっているので。

「百年単位で割り切れてないやつが、星団にはいるんですよね」

 ダイヤモンドの瞳を細めるシリウスが、不快そうに眉を顰めた。
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