両親

文字数 2,023文字

母親になりたかった。私の母とは違う何の評価にも動じない母親に。
母は、父と結婚して私が生まれて、幸せではなかった。夜勤明けで父が眠りたいときに赤子の私が泣くと、「眠れないだろう。泣かせるな。」と、父に怒鳴られたのだという。乳飲み子を抱えて慢性的に寝不足で不安定な母親に、支えになるどころか理不尽な責任を押し付けて怒鳴りつけることが、男性に許された時代だった。高度成長期、収入を得る男性に都合よく社会は出来ていた。
母は勉強が得意だったらしい。クラスで3人しか合格しなかった学校に通ったことや、テニスで県大会の決勝にまで進んだことが自慢だった。その母が父と結婚して専業主婦になった。父の転勤で実家から遠く離れたところ残してきた。私を抱えて家の中、孤独だったに違いない。頼みの夫は好景気の会社勤めで、夜な夜な遊び歩いた。母は自分の価値を満たすものが欲しかった。私の見栄えや出来栄えを自分の評価であるように、社会の目を気にして私を育てた。
母は私の我慢強さを褒めた。痛くても泣かなかったり、出来ないことを出来るまで頑張ったり、幼い妹の面倒を見て自分が欲しいものを我慢して妹に譲ったりすることを褒めた。私は母に認められたくて、そうすることに慣れた。どんなときでも母の顔を思い浮かべ、母が喜びそうなことを選ぶようになっていた。それが自分の喜びでないことが分かっていても、母の不機嫌を目の当たりにするよりはよかった。それなのに私の努力はなかなか母を満足させられなかった。こんな母親にはならない。
子供の気持ちを尊重できる母親になりたかった。
母は私をもらってくれる人を待っていた。婚期を過ぎて娘が結婚できないのは、自分の育て方が悪かったとでも否定されるように思うのだろう。夫に出会って話がトントンと決まって、私はあっという間に結婚した。誰でも良かったわけではない。親と確執があって、自分が育った家庭とは違う温かい家庭を作りたいと言ったところに、惹かれてしまったのだと思う。ご縁と言えばそれまで。それでも挑戦は挑戦。私は私の信じたものを、夫は夫の信じたものを目指して、私達は結婚した。
 それから四半世紀。私は母のような母親にならないことを目指していながら、相変わらず母の機嫌を損ねないように生きていた。夫との溝が埋まらないだけでなく、心病んでも我慢をし続けて苦しんでいた。私が夫を諦めて自分を活かしたいと思ったとき、父や母への反逆であることが怖かった。期待通りの娘でないことが勝手に苦しかった。それでも私は生きるために、助けを求めることにした。子ども達にも両親にも、現状を打ち明けて理解されたかった。私のことを大切に思ってくれる人たちに私の弱くて情けなくて駄目なところをさらけ出す。心配をかけないように仮面夫婦を保つのはもう限界だった。すんなり受け入れられることではないと思った。私が更に否定されることも想定した。そのうえで私に至らないところがあるのであれば、受け入れて頭を下げるしか生きる道はないと思った。
妹は私を受け入れた。同じ両親のもとに育ったたった一人の妹。私がどんな想いで両親に打ち明けるか、その難しさを理解してくれた。父と母は案の定、そう簡単にはいかなかった。最初に打ち明けた母は、自分が父の横暴に耐えてきた話を繰り返して、力にはなるけれどよく考えなさいと言った。母の口から父に伝えてもらうことは出来なかった。母は相変わらず、私の褒められない話を自分の評価だと勘違いして、父には言えなかったのかもしれない。父は何を言っているんだと、努力が足りないのではないかと言った。お前は自分のことばかりで、子供がどんな思いをするか考えたことがあるのかと私を責めた。予想はしていた。やっぱりかと崩れ落ちた。
その矢先だった。夫は職場で、校長の役職に就いていながら生徒に体罰を加え、保護者に訴え出られて自宅謹慎を食らった。2年以上会話のなかった私達夫婦が、夫からの話で会話をすることになった。ヘラヘラしながら事の次第を語る夫が、正気ではなく見えた。2ヶ月以上夫は仕事に行かなかった。夫は強いられた在宅をビデオを見たり図書館に行って本を読んだりして過ごした。暇なので夕食の支度をさせてくれと言った。私はそれを受け入れられなかった。私と同じように、もしくはそれ以上に夫も病んでいた。お互いに、いい影響を与えられていないことに同意して、夫はアパートを借りた。離婚は自分の処分が決まって、先が見通せるようになるまでは考えられないと言って出て行った。
そんなことがあって、父と母は私の話を受け入れ始めた。夫との別居が叶って、私が私を取り戻して元気になっていくのを、どんな想いで見ているのだろうと時々思う。私は、私の幸せを願ってくれる人なら、私が幸せになることを応援してくれるはずだと、思えるまでに回復してきた。
もう我慢なんかして自分を殺さない。どんどん幸せになろうと思うようになってきた。
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