写真

文字数 10,978文字

2ND

 じゃーじゃじゃっ、あまっありげーたー、じゃーじゃじゃっ、あまっまま、ぱぱ、かみっふぉゆーでんてけてんて、ってな具合にデビット・ボウイのアルバム、ジギースターダストの一曲「月世界の白昼夢」のイントロを頭の中で思い浮べる。どっかから抜け出たり、目の前が広くなったときに絶望感を感じたら無性にこの曲が聞きたくなる。今日一日の労働が終わり、帰り道のフリーマン達がねぐらとする酸っぱい匂いで充満している地下道から駅前に続くゴンゴン唸ってるエスカレーターに乗って夕方の薄暗い雨降る地上に出るときどうしても、いつも頭のなかにこの曲のイントロが流れる。地下(アンダーグラウンド)から出ても曇り空なのが気に入らないのか、目の前にそびえるテナントでごったがえした下らないテーマ曲を常時かけてる駅ビルの存在が気に入らないのか、これから密閉されて蒸し返す電車に乗るということが気に入らないのか、何もかも気に入らないのかどうか知らないが兎に角嫌気がさしてくる。もし、俺が愛すべき小動物「ワラビー」ならストレスでとっくに死んでるに違いない。エスカレーターにはサラリーマンや買物帰りのおばさん、ジャージを着たじいさん、塾帰りの中学生の小集団、女性、女の子なんかが乗っていて、ベルトコンベア上の製品のように駅に運ばれてゆく。まるでその人達が出荷されているようで、全国津々浦々に配達されると思うと面白い。軽トラはどこにだって行く。
 土曜の夕方、ネオン輝く街が活気付こうとする時間に慌ただしい駅の構内をセカセカと家路に急ぐサラリーマン達。週休二日が当然の時代にご苦労なこってす。ただ、よく考えてみれば、土曜の夜に真っすぐ夕方には家に帰るってことは、あんまし稼ぎはよくないんだろうな。だからって駄目なわけじゃない。酒飲んで愚痴言ったり、大したことない自分を誇示したりする連中、もしくは、そんな奴らに媚を売る連中(家に帰りゃあ大将気取り)なんかよりましだ。精神衛生上、清潔といえるんだろ。別にそこまで酒飲みを悪く言う必要が俺には無いだろう。それにサラリーマンを断罪できるほど自分が偉いとも思ってない。ただ単に気に入らないのだ。赤ら顔の傍若無人の勝手なヒロイズムに浸ってそうな、お人悪しの酒臭い奴らが。
 改札口を出ていろんな人でごった返すプラットホームで電車を待っているとキオスクでカップ酒と竹輪を買い込んで「俺はおまえ等より辛いんだ。」と言わんばかりに電車待ちの列に順番抜かしで割り込んできた中年サラリーマンがいた。紺色でストライプの入った地味で古そうなスーツを着た腕と足が細くて腹ばっかり出て猫背で誰の目にも、なにか気に入らないはぶてた口元でグタっと首をぶら下げてるような古井戸のガマがえるの親玉みたいな奴だ。突如、俺は電車が来るのを見計らて混雑に紛れて生理的に気に入らないガマがえるを蹴で突き落として降り続く雨を鮮血で真っ赤に染めてやろうと思ったが、止めといた。そんな後からだなんて姑息な手を使いたくないし、殺すのももったいない。大体酒飲みの嫌な奴の体が千切れたら中からアルコールとニコチンが吹き出るに決まっている。保険体育の教科書に載ってるニコチンの実験に出てくる水に溶けたニコチンで死んでいくイトミミズを増やす訳にはいかない。ヤルんなら正面切って顔面にドロップキックしてやる。同じ駅で降りたら絶対ヤル。この前も一人ほどおっさんを成敗しといた。そんときは人気のない路地裏で後から傘でぶん殴ってやった。傘を頭に振り下ろすとぱちんとした音がして傘がぺこって「く」の字に曲がった。膝をガクッて落としたおやじが振り向いた瞬間胸ぐらつかんで「やんのかーコラー」って逆切れしてやった。そしたら逆にぶん殴られて奥歯を一本折られた。淡々として語ってっけどかなりドキドキした。痛いって感覚がかなり気持ち良かったな。そんでもそこは男の子、やはり負ける訳にはいかなかったので、傘がぼろぼろになるまでメッタ打ちしてやった。おっさんは濡れた路地に倒れこんで「なにしやがる。俺は・・」ってよく聞こえなかったけど会社名と役職をほざいてたらしく、ますます気に入らないから口に俺の鉄入りブーツをおもいきり打ち込んでやった。ザマミロ。もちろん走って逃げたぜ。雨のなか息を切らして走っている間、手の先やら足の先に気持ちのいい感覚がジワッと染みてきた。あの時は雨がこれ以上ないぐらい気持ち良かったな。あたりは暗くて静かで車が遠くで「シャー」って水きり音を出して走るのが聞こえるぐらいでとても独りで居たくないような状態だったが、うきうきした。公園の水銀灯や人通りの無い通りの外灯なんかが太陽のようにひどく明るく見えた。とても眩しかった。花火みたいだったな。
 てなわけで、また一人、夜のとばりに撃沈てもらおうかと考えたが、まあ今日は止めとこう。なぜかって、今日は労働に対する見返りが俺の懐でぬくぬくとしてる。金持ち喧嘩せず。これは世の道理だ。たかが5万ぽっちだが、あの酒臭い奴の財布の中身よりは上等だろう。間違いないぜ。ちっと辛いことであんな歳になってもブーたれているに違いない奴が金持ちである訳が無い。きっととぼけた眼鏡かけた脂肪の塊みてーな、「お帰りなさい」もろくに言えない自分に対して失望しているのにも気付かないで食うことと人のこと、つまりは嫉みや蔑みなんかが生活を支配しているような呪われた女房殿にせいぜい日に2千円貰うのがやっとだろう。(本人は「せしめた」とか思ってんだ。自分が稼いだ金なのにな)よれよれの背広着やがって、だいたい俺は基本的にネクタイをしている奴は信用しない。ネクタイってのが何のためのものかサッパリ分からんし「首にぶら下げて・・」てのが嫌だ。なんかの大きな「ごっこ」をして集団で遊んでいるようにしか見えないじゃないか。だってネクタイはその証明みたいなもんだろ。分かりやすく言えば、探偵ごっこする子供の胸に光る探偵バッチ。俺にとっては、ホワイトカラーの社会ってのは会社って言う学校みたいな清潔な建物のなかで、会社員という何しているかはっきりしない存在をネクタイをしている奴らが必死で、たまに憂を晴らしながら演じているようにしか思えないのだ。いや、たぶんそれに違いない。それだったらカッコ悪いじゃないか、いい歳した連中が自分をもたないでなんかの振りしなきゃいけないっていうのが。連中何時の間にか名刺や戸籍や免許書が無いと自分が何だか証明出来ないんだぜ、バカだとしか言いようが無いだろ。電車を待つ列のサラリーマンを眺める。やっぱりそうだ。みんな同じに見えるじゃないか。
 ただ悔しいのがそういう奴らを極めた大将連中の方が金をたくさん持って行きやがる。綺麗事抜かして中身はうんこみたいに最悪なのに、自分の取り分を自分たちで決めれるから、大して大変でもないのに「この位は頂かないとね。何しろこっちも疲れるんだから。」なんて具合に勝手に能力以上働き以上の取り分を決めやがる。ちっとも汗水流してないのにだよ。話は飛躍して戻ってくるが、国会の人たちが予算が足りないからって税金増やして、国民のための金を削りやがる。国会の先生たちは明日をも知れぬ貧乏人は我慢さして、予算が足りないのにとんでもない給料を当然のごとく「働いてまーす。」と厚顔でちゃっかりせしめている。国会の奴らが不景気だからって減給になったのを聞いたことが無い。何しろ自分たちで決めれるからな。財布の持ち主にはかなわんよ。それなのに国民はその不条理に怒りを燃やして国会を焼き払おうとしたり議員をバットでメッタ打ちに打ち殺してやろうとか官僚を捕まえて錆びた釘を金玉に打ち込もうって思わないのはなぜか、なぜなら自分たちも会社という組織のなかで同じようなことをしているから、「人間だもんな」って強く責めれないのだ。何しろネクタイを喜び勇んでしているしょうがない連中だ。同じ穴のムジナ。上を向いてあーるこうよ。泪がこぼれないよおおに。ネクタイ連中によく似合うブルースだ。上に就いたら泣かなくてもいいという世知辛い世の教訓。
 そんな連中に限って、個人になったら「自分はまともだ、あいつらはバカだ、何も解っちゃいない。」なんて具合にお互いバカにしあっていやがる。敬語なんてものを使い責任転嫁しあって、したたかにやっている。
 ガマがえるのオッサンがカップ酒の蓋を開けた。酒の匂いがぷんとしてくる。このおっさんみたいな立派な大人が、キチガイロボットみたいな連中が燃料としているのが酒だ。不味いのかうまいのか分からない顔をしてグビッと一杯。連中は酒を燃料として、精神的な内燃機関を回転さしている。まぁクズだろうがバカだろうがしょうもない奴だろうが偉い人だろうが立派な人だろうが人のために頑張っている人だろうが、酒が好きな人は酒を飲む。それは別に悪いことではない。ただ、嫌な奴が酒を飲んでいい気になっているのが気に入らない。社会的、道徳的に駄目な奴が酒を飲んだら倍ではなくて、2乗、3乗のべき数で嫌さ加減を増していく。ねずみ公どころの増え方ではない。そんな奴らには自分の会社が汚した体が捩れるような排水で上等なのだが、(そこのガマがえるに排水の中に沈んでもらいたいが)世の中おかしいなことに、そんなクズたちを喜ばせるためのスタンドがあちらこちらに乱立する。無数に、無意味に派手に乱立するのはガソリンスタンドと本当によく似ている。燃料補給と気味悪いぐらいのわざとらしいサービスなんて機能も全く同じだ。タイヤをすり減らして走る車、自分をすり減らして、髪の毛すり減らして疾走する連中。ポンコツのセダンは安いのを、高級車はハイオクを、どこまで行くのか。どっちにしろ排気ガスが世界を汚すのだ。騒音公害にもなるしね。
 ところで俺は何のバイトをしているかというと、これがまた、「酒屋」。それもスタンドに酒をいそいそと「お世話になります」なんて具合に供給している。酒の匂いは嫌いだなんて言ってられぬ。俺のこれっぽちのパートタイムジョブからもらえる報酬は俺の一番嫌いな奴らから流れてきている。そこの駅のベンチでのたくって浮かれたガマがえるの親玉などなどをたまに楽しませるのに一役買っているのだ。なんとも、蚊や蝿に餌をやる気持ち。それがまた嫌なのだが、それがいいというマゾヒスチックな気持ち。解ってもらえるだろうか。
 遠くから「スー」って車輪が線路を滑る音が聞こえてきて、急に強い光が暗くなってきたまわりを明るくして電車がホームに入ってきた。雨の筋が茹でたてのきらきら光る春雨のように映し出された。一瞬、僕はどんどん近づいてくる電車の前面に、あのとぼけたロボット面に強く惹かれた、マジで轢かれたかった。もし、ホームに人が今みたいにごった返していなかったら、線路までの道が開けていたなら何の疑問もなく電車が迫ってくる線路に飛び込んでいたに違いない。
 誰も彼もがゆっくりホームに入ってくる電車の方を向いている。エレベーターに乗ってるとき無意識に階数表示板をぼんやり意味もなく眺める仕草に似てるな。意識下でのつながりの無い集団は行動によって無意識下でつながりをもつようだ。何を隠そう私も電車を見つめる集団の一人です。だからそのうち酒飲みになるのでしょう。ネクタイ緩めた息の臭い嫌なオヤジになるに違いない。だったらどうする?自分が否定したものになる屈辱。そんなのゴメンだ。これだけは間違いない。ピートよろしく「歳とる前に死んでやるぜ。HOPE I DIE BEFORE I GET OLD 」どうせ大したことないんだ。なんもかんも。ただしやり残したことが少しある。そいつらをかたずけなけりゃ死んでも仕方ない。まさに犬死にだ。
 電車がついて、並んでいた列がやっぱり多少崩れて我先に入り口に向かう熱気と湿気の人込みの中、俺は滝の渦にくるくる巻き込まれる木の葉のように電車の入り口に吸い込まれていった。ところで、さっきのがまがえるはどうしていたかというと、やはり人の波に乗れず、入り口付近で、つまはじきのかっこうで往生していた。顔はいっちょまえに怒っているように見えたが、目尻に泣き皺がより、ブーたれた半べその子供のように見えた。可哀相にも思えなくもなかったが、やはりいい歳こいた男が子供特有のどうしていいか判らない顔をしてるのも気持ち悪かったので、どさくさ紛れにガマがえるの細くもろいすねを出来るかぎり思いっきり蹴っといた。もしその傷が原因でガマがえるが死んだら俺は人助けをしたことになるな。おそらくね。世の中、とどめを欲しがっている人はいくらでもいるんじゃないかな。とくにどうしていいか判らない顔をする奴なんかだったら、とどめなんて渡りに船の助け船だろうね(諺の意味はよく判らないがたぶんこんな具合に使うんだろ。)間違いないよ。


 運良く込みあった中であっても座れて、俺は低い位置から車両の中を見回すことが出来た。脚を組んで興味無さげに、蛍光灯の光をやけに眩しく感じながら、いつも込みあった電車の中で感じることをやはり思い浮べながら膝に肘を置き頬杖をつき、他人から見ればはぶてたような口元で目をあちこちに向けてみる。いつも思うんだ。電車に乗っているときの人の顔っていうのは、子供や、行楽に向かってる家族や、学生の集団以外の通勤に使ってる人たちの表情のことなんだが、人生で一番まずい面をしているんじゃないかって。何せ表情が乏しい。これは良くない。証明写真やなんかを見るとその「素」な表情が間抜けに見えて、笑えるか、もしくは兎に角悪い顔なので「前科一犯」なんて具合にからいたくなるもんで、電車に乗っている人の顔は、そんな顔に近く、それ以上にまずい顔をしてる。どんな顔かって言うと、みんな何かを期待してそれを表面に出さないでなるべくつまらなそうに気取っている顔と言ったらいいだろうか?なんか他力本願の極みというべきだろうか、もしくは何食わぬ顔をして餌をねだってる鳩の顔か、とにかく俺が嫌いな顔だ。どうしたらいいか判らないおっさんの顔より嫌いだ。情けない顔なら憎めばいいし、「しっかりしろ!」と蹴り飛ばせばいい、だが、集団の意識的な、無意識的な無表情はまるで駄目だ。何をしてもビクともしないし、なんか蹴り飛ばす気力も失せる。兎に角失せろって顔だ。間違いない。俺が躍起になっても勝てない顔なのだ。
 だから俺はじっと見る。飽きるまで見回してやる。みんなあの無表情で、眠くもないのに眠る振りをするしか出来ない疲れた奴(何か音でもしたら見逃すまいかという野次馬根性で目を開き、大したことなかったら、損したかのようにまた狸寝入りだ。)、どこを見てるかまるで見当つかない奴(まるで誰かと目が合うのを恐れているような、自信のない負け犬の顔だ。)逆におまえ等はバカで俺は偉いとでも言わんばかりに、何か勘違いして見下すようにすまし顔、空威張りの顔をしてる小心者(俺のことなのか?まだ俺はましだ。自覚している。だか同じようなものだ。俺も間抜けだ。)疲れた奴、目立たない奴、不満げな奴、とにかくいろんな種類の顔があって、いろんな思いがあるのだが、どいつもこいつも「なんか面白いことないのかな、楽したいな、どうにかならないかな、どうにかしてもらいたいな、淋しいな、金がほしいな、とっとと終わっちまえばいいのに。」なんて具合に何か期待して、それを悟られまいと取り繕うようになるべく表情を出さないようにしてる。無関心にすましているサラリーマンも電車が揺れ、吊り革が握った手に食い込む瞬間に感情を漏らしている。「畜生、俺は悪くない。どうにかならねえのか。」なんてな具合に一瞬だけ。
 ドコカラ来ルノダロウコノ淋シイ人達ハ。 隣で背広姿がイカさない20代後半なのだろうが、全く年令の判らない男がため息を何度もつきながらあの無表情で少年マガジンを読んでる。発売日は水曜のはずだが、土曜の夜に読んでいる。横から覗くと記憶にあった今週号と内容が違う。読み忘れたかと思ったが、良く見れば見たことのある内容だった。この次で主人公は決着をつけ、新しいウキウキする展開が始まる。あれ、このマガジン一月ぐらい前のだ。思わずマガジンを読んでるサラリーマンの顔を見る。次の瞬間、後悔した。よく見てはいけない顔だった。なんて表情だ!
 さっと視線を車窓に移す。遠くの夜景がゆっくりと動いている。たくさんの生活の明かりがばらばらに集中して揺らめいている。だがそれ以上に車窓には明るい車内が映し出される。たくさんの色々な個人がいる。こんなにたくさんの人がいて、たぶん同じようなことを考えているのに、不思議な話、個人個人には何らつながりがない、おかしな事にみんな全くの孤独なのだ。侘しい話さ。でも、ただ救われているのが孤独なのは自分だけでなく、全員だということを全員が無意識に感じ取り、それを普通と思って生活していることだ。ついでに言えば、おかしな話だが、そんな集団に所属しているという錯覚が社会への帰属欲を十分とは言えないが充たしている。だから、孤独だけど孤独ではないのだ。だから、もしここで、「さみしい」と口に出し、本当の社会への帰属欲を出したなら、逆に現実の社会からあぶれてしまうことになる。何だかややこしい話だが、つまり、弱かったら、誤魔化さなかったら、つまはじきにされるってことだ。大体、誰ももの言わぬ電車の中で「友達になりませんか?」なんて出し抜けに話し掛けられたらどうする?いやだろ?恐いだろ?まともじゃないと思うだろ?でも本当は「友達になりませんか?私はとても孤独です。」という奴の方がはるかに素直でまともな神経を持ってるような気がしないか?よく判らないが気に入らない表情ってのはそこら辺が鍵のような気がする。俺にとってだけかもしれないが。とにかく葬式みたいな雰囲気の方がましだ。しけてやがるが理由がまともで人間らしい。
 それにしても俯いてるみんなに蛍光灯の光りってのは平面的で、こんな揺れる電車の中にぴったりだ。訳分からぬ嫌な表情をもっと嫌な表情にしてくれる。
 ははは、どうもいけない。思考回路が精神異常者的になっている。どうしようもないどうでもいいことの堂々巡りだ。そのうちそれ行け発狂大作戦になるに違いない。涎が垂れてないか口元に手をやる。大丈夫だ、大して垂れてなかった。まぁ、たぶん大したことないんだ。気分転換に二つ折りにして雨に濡れないようにズボンの腹の所に詰め込んでおいた写真週刊誌を取り出す。触ると俺の体温でホカホカしていた。今回の特集目当てでいつもなら見向きもしないくだらない写真週刊誌をキオスクで買った。内容ってのは相変わらずで、誰も目を向けることのなくなったようなタレントの過去だの、逢引き、密会だの、隠し子だの(二つの意味をそのままとれば良い)であって、めずらしくもないヘアヌードだの、ナンパ目隠しおっぴらげの写真だったりで、まぁ、買う価値なんてなさそうだし、とくに必要とする人もいないようなもんだったが、今回は、写真家の故・水沢清の特集があったので買い込んだ。エロとグロと噂にまみれてマンネリ化した写真週刊誌に新しい風を起こし、第二の写真週刊誌ブームを作るかとまで言われた故・水沢清の一連の写真を特集していたのだ。
 水沢清の写真はまさに「写真」だった。真を写す。有りそうであったが誰も出来なかったことをやってのけた、まさにコロンブスの卵的発想であった。床屋での待時間その写真を見て、いっぺんにその写真にやられてしまった。俺の思ってることを証明してくれた気もするし、本当に見たかったものを見せてもらった気もした。あと、生意気なのだが悔しかった。俺だってそう思ってたのに先に世間に発表された気がした。
 まぁ、とにかくその時の俺にとってはとてつもない衝撃だった。人生観が変わったといっても過言ではなかろう。とにかく、今まで思いもしなかった人生に目標というものが持てるぐらいに自分が変わった。自己啓発や自分探しなんて下らない事をしなくてもよく言われる「やりたいこと」がふっと浮き出てきたのだ。
 さて、それがどんな写真だったかというと、集団の人の顔が写された写真だった。どんな集団かというと、まさに此所のような電車の中とか街中だのの表情が乏しくなりそうな所での写真だった。そして水沢の写真の中では集団のすました表情がなんとも見事にひっぺがされ、打ち壊されていた。そこには本当の表情で溢れていた。気の弱い奴は驚き不安げな顔をしてたし(男が多い)気の強い奴は驚きながらも攻撃的な顔をしていた(女が多い)怒ってる人もいたし、笑ってる人もいた。ただただ驚いてるだけの人もいたし、精神的に対処できないでただ唖然とした人もいた。充たされた顔もなぜかいた。興奮した顔も多かった。期待する表情がかなりいた。写真には皆がこちらに顔を向けそれぞれの表情を、本当の顔を惜し気もなくすます余裕もなくさらしていた。個性というものがこんなにあるものかと感心させられるような写真だった。たぶんなんでもない通勤電車に乗り込んで、突然周囲が関心を向けるようなことをして、そこでシャッターをきる撮り方で撮られた写真だろう。突然の出来事には誰も自分を隠すことが出来ない。だから真の姿を見ることが出来る。どうやってそんな表情を作ったのか知らないが、撮られた人もなぜか余り口に出さないので、どのようなことが行なわれたのか知られてないのだが、アイデアの面白さと、大体において神出鬼没で驚かしたような感じがあったので、水沢は驚きの写真家といわれ、何時の間にか、写真週刊誌に驚きの写真というコーナーまで出来てしまった。まぁ、そこまではよかったのだが、そのあとがいけなかった。どんなものでもそうなのだが、刺激という奴は常に強くなることを求められる。水着写真が、ヌードへ移行するのと同じで、水沢の写真もより過激なものが求められるようになった。今回の週刊誌でも順を追って写真の紹介をしているが、はじめは学校の教室だの、電車のなかだのであったが、そのうちデパートだの競馬場だのコンサート会場だの、街中だの規模が大きくなり、規模が大きくなるだけでは刺激も足りず、ここら辺で路線が変わってしまったのだが、水沢自体も調子乗りであり、より洒落にならないところ、警察署の中、裁判所の中でのゲリラ的な写真を撮るようになり、(その頃の写真には驚きというより怒りの表情が多くなってた。)米軍基地前、ついには、それが最後の写真になってしまったのだがヤクザの事務所内の写真を撮っていた。
 その最後の写真は掲載されたときには水沢のコーナーではなく社会の事件として掲載され、水沢の名前の前に故が着いていた。出入りと勘違いしたヤクザが水沢を鉄砲で打ち殺したのであった。週刊誌に載った写真には驚きの表情もあったようだがほとんどが黒塗りされていた。記事によると小荷物のフリをして段ボール箱に入った水沢が事務所に潜入し外部から頃合のいいときに怪しい電話をその組にしもらい(写真週刊誌の編集者が手伝ったらしい)困惑して箱の前に組員が集まったとき、箱を破り正義にヒーローの着ぐるみを着て、クラッカーを鳴らして叫んでシャッターを切ったらしい。自殺するようなものだったらしい。水沢清はたった半年ほどの写真家だった。ぱっと出てきて、ぱっと死んだ。あれから半年覚えてる人もなくなったが、俺にとっては忘れることが出来ない人であり衝撃を与え続ける写真だ。俺にも写真という希望が持てた。嘘ばかりの中に本当を見付けるのだ。そこで真実を語ろう、バカでも解るかたちで。この意志が俺を支えている。なんかしてやる。でなきゃ、俺みたいなパラノイアの持ち主はとうに首をくくっているか、なんかの宗教に入ってるに違いない。死ぬかおかしくなるか家で屈んでよからぬことを考え一日中ラジオを聞いて、「リスナーのみなさん今日は、僕はクラスの人気者で・・」なんて明るい葉書を出して、それをラジオで読んでもらい、自分が楽しくとても人に好かれて頑張り屋さんだと有りもしない幻想に痺れているに違いない。もしくは誰かを付け回して、ゴミをあさり精神的高揚にエレクトして落ちこぼれた自分にヒロイズムを感じる。はは、完璧に最低だ。まぁ、そこまで酷いことはないだろうけど、無理なことに文句言って、ボンヤリしてたんだろな。
 そこで懐が温かいのを思い出す。週に2日の労働。まぁ、そんなに大変でもないのだが、5万円。五まーん、えーん。未だ触ったことも見たこともない一眼レフカメラが、俺に近づいてくる。それを思うと無表情の揺れる電車の中一人ほくそ笑む。まわりが「なんだ?浮かれた馬鹿ずらしやがって。」なんてな顔をしてたが気にもならなかった。その昔は買物を人生の使命と考えているような奴は死ねばいいと考えていたが(よくいるだろ、買物こそ命、楽しみとしてる奴らが。)今は違う、欲しいもの、結構、それを買う、なおさら結構、頑張って、言うことなし、すばらしい。来月の給料が出たら買える。それまで頑張ろう。いやーなんか機嫌が良くなってきたぞ。おい、みんな元気出せよ、笑いなよ、そしたらいい事有るんだぜ、根拠ないけどさ、ドーナツを持って出掛けよう!
 相変わらず電車の中はこんなに人がいても静かだったし、ねじれた意識だけが強烈に漂っていた。なんか電磁波みたいだね。ゴトン、ゴトン、ゴトン。足元が濡れてテカテカしていた。電車が揺れるたびにたくさんの靴の間を水玉溜りが軟体生物のようにゆっくりと動いていた。足元はもはや雨の奴に制圧され始めている。黙っているとみんなこいつ等に飲み込まれちまうぞ。間違いない。
 「ぷしゅー。」
 電車の扉が開いた。俺は開いたドアから流れ落ちる水溜まりと一緒に電車から流れ出る。にゅるっとね。水溜まりには仲間の迎えがあった。雨が降っている。流れ落ちる水は降り落ちる雨と同化していく。水溜まりの水でもなく空から落ちてきた水でもない、まとめて雨水になる。俺はどうだろう?何が迎えにきてくれるのかな?孤独に耐えかねて何と同化するのかな?いいや俺は何とも同化しない。俺は俺でいなければならない、I MUST BE MYSELH俺は俺だ。ただ、仲間とはつるむ。
 「出迎えご苦労。ヨシヒコ君、タツヤ君、リッチマンのお帰りだよ。」
 「いくらもらったか知らんがどうせおごらねーじゃねーか、どうでもいいけど早く後に乗れよ、家にバイク取りに帰るんだろ。」
 「早くしろよ雨の日にはエンジン止まりやすいんじゃけえ、それにサビるだろうが。」 「原付ぐらいどうでもいいだろタツヤ。」 「原付って言うな、外車でぇ、おまえ、高いんぞ、坊主。おっちゃんはな、苦労して手に入れたんぞ、「買ってください」って夜の街角に立って。どうしてくれるんね。」
 「よう分からんけど、まぁ、早く帰ろう。原付くん。」
 「だから、原付じゃないんだって。」
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