夜走行

文字数 14,055文字

 3RD


 雨に濡れて、雨に降られて、雨に歌えばじゃなくて、あれ、なんて曲だったかな、ポールニューマンの映画の唄だよ、よくラジオから流れてくる。まぁいい、とにかくあのメロディが頭のなかに流れる。ターンタカッターララララー、とにかく雨が気持ちいいときにはこの曲が頭に流れる。つまりご機嫌なのだ。死ぬまで寝るんじゃないぜ。とっておきの夜はここからだ。
 昼間は雨粒で雨が降っていたのに夜になってみれば霧雨、というより雲の中だ。重力に逆らっているのか雨が地面に落ちようとしてない。逆に足元から昇っているようにも感じた。雨が雪のように体積をもち積もり始めたのかと思えるほど空気中の水分が飽和状態に達していた。先頭を走っているヨシヒコはマフラーから出る爆音と楕円の真っ赤に光るテールランプを目印にして、水しぶきを上げて輪郭をぼやかして得体の知れぬ様子で走っているし、後のタツヤはベスパ特有の「べえー」って蜂のような音しか聞こえてこない。殺虫剤を撒いたらうんともすんとも言わなくなりそうだ。車間の頼りは音だけだったが、はっきりとは聞こえなかった。音が空気の振動で伝わるものならば、水の中では抵抗が多くはっきりと聞こえなくなる。俺等は暗い半分水の中をつっ走っているみたいだった。
 赤い光があたりじゅうを何もかも真っ赤に染める。赤い太陽と暗闇だけしか存在しない世界にいる。赤い太陽のまわりに赤いガス。赤いガスはたちまち地上から物凄いスピードで空に舞い上がっていく。うねるような渦を巻いている。赤い世界は夕日なのか朝日なのか、たちまち存在する幻なのか?
 「何照れてんだよ、俺とおまえの中じゃんか。」
 「つまんねえこと言うな。それにしてもヘルメットごしで話すのは聞きにくいな。」
 「あー?なに?なんて言った?良く聞こえません。それにしても真っ赤だな。ところでシン君よ、おまえ免許もないのにいいバイク乗りやがって、タツヤ見てみろ、普通二輪持ってるのに原付だぜ。」
 「いいじゃねーか、それに俺のは全部あのくそ兄貴の借り物だぜ。大体どこがいいバイクなんだ?レプリカじゃないか。ダサイだろうが。」
 「実は気に入っとんだろ。意味もなく速いもんな。カッコ悪いけど。」
 タツヤのベスパはとんでもなくクールだ。ブルーのメタリックに黄色とオレンジのファイヤーパターン。そんなのに乗ってる奴にカッコ悪いといわれたらどうしようもない。信号機の赤い光がもっとクールに見せている。まるで無敵艦隊のようだ。それに引き替え俺のはなんなんだ。バカ大学生の兄貴が「自分探しの旅」だなんていって、自分探すのに皮を剥いたら玉葱みたいに何も残らないような奴が、親に金借りて旅立ってる隙に、気に入らないからって勝手にスプレーでフルカウルのバイクを真っ黒に塗った呪われた、ついでに「馬鹿丸出し」って、こいつらに笑われたポンコツだ。加えて、兄貴が下手なくせに「峠を攻めるぜ」って転がりまくっていてカウルをガムテープで補強しててみっともないし、ボコボコだし、真っすぐ走らないような代物なのだ。タツヤのと違って、赤い光でB級映画の殺人マシーンのようにしか見えないじゃないか。
 「それにしてもヨシヒコはいい物もろうたね、SRはいいバイクよ。後はシンみたいにじゃなく、わしみたいに好きな色にペイントすることだわ、タンクだけなら2~3万で済むよ。俺のみたいに高校最後の夏休みをすべてバイトに注ぎ込まんでもいいもんな。色塗るのにスッカンカンって結構辛いんよ。」
 「って言うか、買えば良かったのに。免許泣いてるぞ。」
 そこでみんなの顔色が悪くなった。真っ青だ。青い光が解き放たれて一瞬にして青が膨張して世界を何もかも真っ青に染めた。
 「晴れたぜ、走りだせ!」
 目の前の青い大きな光に迫っていく。世界がどんどん青で充たされていく。青にこれ以上に近付けって思った瞬間、青は頭上を過ぎていく。振り向きもせせす背中に青を感じながら、逃れるようにアクセルを開ける。加速が青をぶっ飛ばした。後は3台のバイクの音と目の前に点在するぼうっとした光が過ぎていくのが残っただけだった。 
 道路はまるで水面で、ぼうっとした街の光たち、外灯やら、お人好しな看板、コンビニの明るさなんかを反射さして、暗い世の中をやけくそに照らしていた。猛スピードで迫ってくる対抗者のヘッドライトは明るすぎて瞬間すべてを真っ白にした。こうなったらアクセルを握る右手だけが本物だった。つるつる滑る道の上をヤケクソに加速していく。危険なのは承知だ。タイヤを滑らせバランス崩せば血を吹いた肉の塊に変身する。命をバイクに括り付けてすべてはスピードの中に一切過ぎ去っていく。気が触れんばかりの血がたぎる興奮。風雨が体に打ち当たり合羽をばたつかせ、風が体を通り過ぎていく。縫うように避けて走る間に血へどを吐いているような赤い光の行列はマイホームに急ぐ車の行列か、土曜の夜の憂さ晴らしに出ていく車の行列なんだろうけど、小さな鳥居が並ぶ山奥の神社に連なる道標の赤い提灯に見えたな。「こーこはどーこの細道じゃ、天神様の細道じゃー」って童謡が十六ビートで聞こえてきそうだった。赤い光のつぶが気持ち良く猛スピードで思い出のように過ぎていく。
 明かりだけはこんなに騒がしいのに、音って言うのは、生まれたときから常に耳に入っている遠くから聞こえる「シャー」とか、「ブーン」なんかの忙しく疾走する車の音ぐらいしか聞こえてなくて、あんまし音は聞こえない。まぁ、バイクに乗って法定速度プラスアルファで走っているわけだから、風切り音とエンジン音のために音なんてぶっ飛んで聞こえにくいもんなんだろうけど、霧みたいな雨が合羽を着ている体中にパサッパサッて弾ける音が聞こえるぐらい静かだ。まぁ、此所はほとんどが中流家庭の清潔な家が並ぶ銀杏並木なんかが呑気に植えてあるしらけた住宅街だから静かなもんなんだろうけど、それでもやっぱり人が沢山生活をして、居るはずだろ、店だって結構あるし、コンビニも目まぐるしく腐るほど並んでる。気の抜けたオッサンたちがふらりと立ち寄る焼肉屋だって焼鳥屋だってあるんだ。なんか人が出す音ってしれたもんなのかな?
 ヨシヒコが急にスピードを落して赤いブレーキランプを光らせて左にウインカーを出した。何事かと思えば蛍光灯の光で白く輝くガラス張りの憩いの場、コンビニの駐車場にバイクを止める。暗やみ近い道路を走っていた俺にはコンビニの光はあまりにも眩しく、思わず顔をしかめた。
 「おい、腹減らない?なんか食おうよ。俺昼から何も食ってないんだ。」
 「あー、俺は食ってから出てきたけえ腹減ってないよ。ほいでも、まあ、煙草キレそうじゃけえ、調度よかったわ。シン、コンビに嫌いなん?顔顰めてからに。」
 「いや、別に嫌いじゃないよ、好きでもないけどね。眩しいんだわ。電気が。俺もバイト終わってなんも食ってないからちょうど腹減ってて・・でも、あとでファミレスかどっか寄るんじゃいの?俺今日は君等におごるつもりでいたけど。」
 「マジで?でもな、腹減ったしな。俺はちょこっとだけ食うよ。パンか何か。」
 「たんと食っとけよせっかくだから。後で俺が楽じゃんか。」
 「せこいね。マジで。」
 コンビニに入ると大概そうだが、何人か必ず立ち読みしている。そーいえば高校の友達でコンビニの立ち読みを日課にしている奴がいたな。そのことをエロ本コーナーの前でうろうろしているタツヤに話したら
 「そいつはあれか、暇なんか?それとも何や、何か狙っとるんか?」
 「はー?よく分からんけど、なんか月曜日はセブンイレブン、火曜日はローソン、って立ち読みするところ決めてからその店に攻めているらしい。そんでもって、人に見つかったら言い訳できないような雑誌、学制服着て女性週刊誌を堂々読むとか、ホモの雑誌を読み耽るとか、オッサン向けのコアな週刊誌のエロ欄を同じページを一時間かけて読むとか、なんか傍から見ると結構ヤバイよ。」
 「俺はそれを店に対する報復措置と考えるね、そいつ恨み有るんよ、コンビニに。もしくはただ暇なバカの日常精神的冒険野郎に違いないわ。挑戦者よ。戦士なんよ。」
 「タツヤ、エロ本堂々と片手に持って「戦士」なんて言ったら、お前がコンビニに迷惑な冒険野郎に見えるぞ。」
 「いや、失敬。思わず興奮して・・。」
 タツヤはいつも何処まで本気か解らないようなことを言う。面白かろうがつまらなかろうがおかまいなしで自分のペースで冗談とも本気ともよく分からないことを何事もないように言い切ってしまう。言い切られてしまったら、突っ込みようもないので「その浮遊感はずるい。」と言ったことがある。そしたら「俺はいつでも本気さ、いつでも不安は期待であるし、走ることは止まることでも有るんだ。わかるだろ?俺の言ってる意味が。」っていつもの広島弁抜きで言ってきて、ただ、言ってることは抽象的だがまともで分からなくもなかったので納得することにした。ヨシヒコが「あいつは恐らく、なんか知っているんだよ。俺等が検討つかないようなことを、俺等が考えてもなくて、しかし考えても答えを見付けれないようなことを。間違いないって思ってるのは、俺だけじゃないし、お前だけでもない。これは、お前の口癖ヨロシク「間違いないだろ」。」って前に言ってたことを思い出す。
 「おい、シンは何も買わないの?俺はもうレジ済ましたよ。それより、あのバイトのレジの女、なんか良くない?ジャンケンで負けたら缶コーヒーをズボンの中に忍ばせて、レジの前でチャック開けて何げに缶コーヒー取り出して、「冷たくて縮んでしまった。ああ、ああ」って独り言言わない?。」
 「お前セクハラ親父か?茶髪の、恐らく女子大生を、性的に、それも子供じみたやり方で興奮させてどうすんだよ。」
 「興奮するかーや。こっちが興奮するんじゃけーのう。「冷たいコーヒーで熱くなった俺を冷やしちまった。いや、まだ、ホットだ、ホットドッグレース。」って渋み効かせてあいつを今夜落すんだ。」
 「訳分かんねーよ。おまえ等バカだろ。間違いない。とにかく、そんなことやっても辛い眼差し受けるだけよん。それよりヨシヒコ、おまえ何か最近溜まってんのか?」
 「ほら、ヨシヒコ、元気出せーや。ついでにたっぷりと出しんさい。」
 と、にこやかにタツヤはエロ本をヨシヒコに差し出した。ヨシヒコはそれをタツヤから受け取ると雑誌の棚に戻した。それもわざと女性週刊誌やファッション誌のある棚の真ん中に目立つように。
 「これでよし。とにかくとっとと外に出ようぜ。シン、お前もパンか何か買えよ。あと缶コーヒー三人分おごりでヨロシク。」
 レジで商品出してバイトの髪を束ねた女の子が慣れてないらしくたどたどしくバーコードをピッピと鳴らして会計してる間、何やらくすっと笑ったので、すかさず話し掛けてみた。ヨシヒコの言うとおり結構可愛い人だった。
 「え、なに、えーと、騒いじゃってすいませんでした。」
 バイトの女の子はきょろきょろして店長かなにか居ないことを確認して
 「え、いいよ、べつに。えっと、あなたたち高校生?なんか楽しそうね。」
 「うん。年下連中です。バイトって独りなんですか?」
 「えーとね、今日もう一人のバイトの子休んじゃったの。いつもは二人よ。でもね、そのこ風邪だとか言って遊んでるみたいだけどね。」
 「なんか、不公平な話ですね。一人は退屈ですか?なんなら話相手になりますけど。」 「えーでも、仕事中だしね。えっと、五百十五円になります。」
 「あ、仕事忘れないんですね。いい人じゃないですか。はい、ちょうど渡しときます。ところで何時に終わるんですか?」
 「ちょうどいただきます。えーと今日の交替は十二時。なに?おねーさんナンパするつもり?」
 「気が向いたら来るかもしれない。来ないかもしれない。一応頭に入れときます。」
 「ありがとうございました。」
 「いえいえ、じゃあ、また。」
 店を出るとヨシヒコとタツヤが何か言いたそうに二人並んで待っていた。
 「何話してたんだよ。教えろよ。」
 「いや、マジでおこぼれ恵んでくれーや。いや、恵んでください。」
 「別に何もないよ。ただ、何時に終わるか聞いただけ。十二時だって。」
 「なんやそれ!ずるいよ、出会いの広場。テレクラ大王。絶対十二時ここ集合。」
 「まぁ、タツヤ落ち着け。みなさん座りましょう。」
 コンビニの駐車場の車止めのに並んで座ると買ったカレーパンを食べ始める。ヨシヒコはあんパン食っていた。当たり前のように缶コーヒーを配ろうとしたら
 「後の為にとっとく。」
 ってヨシヒコが言った。それに従い雨で湿気った空気の中、乾いたパンを飲み込んだ。目の前を長距離トラックが水しぶきを上げてタイヤを唸らせ走っていった。さっきバイトの女の子に「退屈ですか?」なんて聞いてみたが、俺等の方がよっぽど退屈なはずだ。意味無く雨のなか彷徨って、何のためだろな。解らないな。たぶん世間のみんなは知ってることなんだろうけど、俺には解らない。でもな、みんなが知ってないことを俺はなんか解ってる。理解ってのはそういうものだ。雨の中バイクで走る意味を知ってる奴は少ないだろう。その意味を他のことで理解する人もいれば、理解なんててんでしてなくて、その必要もない人だっているだろう。
 水分を切って走っている間は気が付かなかったけど、水の中じゃない雨の降る地上には、やっぱり何処彼処で色々みんなそれぞれくそ文句たれながら動いているんだ。
 「たぶんあの女の人、いい人。間違いないね。俺等のこと見て楽しそうだって言ってたよ。」
 煙草を吹かしていたタツヤがほんの少し嬉しそうに
 「マジで?だったら仲良しになれるってことかいね?通うしかないな。」
 「そこまでしなくても。」
 「せんけどね。」
 タツヤは何事もなかったように言い切る。 「え、俺は興味有るけどな。なんか、見た目に好み。」
 「ヨシヒコが乗り気なんて珍しいね。十二時にまた来るか。」
 「当たり前じゃいや。行くに決まっとろうが。」
 「予定が決まったところで、そろそろ行くか。」
 俺等は立ち上がって、店の外からレジの女の子に手を振った。向こうは少し微笑んで、キョロキョロして手を振り返した。俺等は今度は飛び跳ねてそれに答えた。
 一休みが済むとヘルメット被ってエンジンをかける。駐車場に車できたジャージ姿のオッサンがが俺等に怪訝な視線を向けたが気にしないで白煙と爆音を立てて夜の湿った道路に飛びだした。
 ヘルメットのシールドごしに見えるいっさい過ぎていく世界は水滴でゆらゆら揺れていた。水滴による光の乱反射、白やら赤や等のギラギラで前が見えなくて、さっと手で拭いたりしてたが、めんど臭くなってシールドをかぱって上げた。細かい霧が一気に顔中に激しく襲いかかってきた。叩きつける水滴に目を開けるのが困難で顔をしかめたら、鼻の穴がかっ開いて、匂いが脳天に直撃した。今日の雨はゆっくり降ってたためか地面なんかと呼応して、川の泥臭い匂いがした。夏に山にキャンプにいって、鮎釣りの邪魔になるのを承知で嫌がらせのように愉快に川で泳いだときの匂いを思い出した。河の中から見上げる水面は真夏の太陽にぎらぎら揺れていた。
 顔中が水で、音もボンヤリ聞こえてて、まわりがなまあたたかい水分で充たされていて、水の匂いに嗅覚が支配されて、まるで別世界の住人になったようだった。水中人だ。潜ってても息が出来る河童のような生活。なるほど合羽か。ぶくぶくと泡を吐き自由に振る舞えるような重力無視した束縛されない気持ち良さに思わずさらにアクセルを空けたくなる。現実なら水の中でこんなに魚のように速く動くなんてできやしないぜ。雨の日に飛ばすのも悪くない。霧のような雨だったら水の中に浮かんでるみたいで相当気持ちいい。前を走るヨシヒコがフラフラと蛇行運転を始めた。奴も気持ちいいんだ。後から微かにあたる光りも揺れだした。タツヤもノっている。そうこうしているうちに目的地である丘の上の行き止まりにあるに公園に近づいてきた。轟音を立てて突っ走って坂道をある程度登ると、眼下に街の中心部の夜景がいきなり開けるようにぱっと見えてきた。不思議な浮遊感が増してくる。スピードに乗ってどこまでも登っていきそうだった。笑いがなぜかこみあげてきた。相当愉快だ。間違いない。
 水銀灯の緑がかった灯りの下に3台のバイクを止めて、いっちょ空ぶかしを静かな夜の公園に轟かせてエンジンを切る。ヘルメットを脱ぎバックミラーに掛けて3人顔を見合わせる。そして吐き捨てるように笑う。
 「気分いいな。なんか水の中走ってたみたいで気持ち良かったよ。なんもかんもがきれいな感じだ。」
 ピカピカ光るバイクに跨がったヨシヒコが嬉しそうな顔で屈託なく言ってきた。そうだなって言おうかと思ったが、当たり前なことを口に出すのが嫌だったので笑った顔で小鼻に皺を寄せた。これ以上の返事はないだろ。タツヤは気の抜けた顔で胸のポケットから煙草を取り出し自慢のジッポでうつむいて火を点けて煙りを胸いっぱいに吸い込むと、顔を空に向けて一気に煙を吐いた。いかにも美味そうに煙草を吸っていた。そして吐き捨てるように「へっ」って笑った。        
「俺にも一本よこせ。」
 「ついでに俺にも。」
 タツヤはくわえ煙草で自分の煙で煙たそうにして、マルボロの箱を投げた。
 「なんぼでも吸いんさい。」
 なんてカッコいいんだ。広島弁がこいつほど似合う奴はいない。ヨシヒコと俺は負けまいと「ライターぐらいは俺でも持ってるぜ」と言わんばかりに、それぞれズボンのポケットから百円ライターを取り出し雨で湿気って台無しにする前に普段吸う奴よりきついマルボロの煙で肺の中をいっぱいにした。正直俺はクラっとしたが、こいつ等に気づかれまいと平静を装った。
 此所は街の中心部が一望できるとっておきの場所だ。何にもない昼間に来たらスモッグで覆われた街の全体が、小さく見えるビル群がやたらに取るに足らないようなものに見えて世の中に対して「んーなものか、なんにしたって。」って軽い失望を感じるものだが、夜来たら夜景がきれいで、点在する光を適当に目で追い、繰り返していき、全部の光を、あの下らない生活、下らない飲み屋街、下らない大きなビル、大したことのない車の行列を連なる巨大な一つのものだと見えてきたら、一つ一つの光からなる大きな全体に見えてきたら、不思議となぜか感動してくる。「ああ、でかいんだ。」大きな物の前では誰だってそうだろ。ヨシヒコとタツヤはそんな風に考えているかどうか知らないけど、横向いたら、ヨシヒコもタツヤも黙って光り輝く夜景を見てた。
 「ぼやってしてるな。空まで明るくなってら、上の水銀灯が消えてもあの光で真っ暗になることないな。シンとタツヤの顔なら十分判別できるぞ。」
 「ああ、」
 霧みたいな雨で点在する光がボンヤリとした光となって街を包んでいる。水の泡に包まれているみたいだ。もしくは巨大なスプリンクラーによって散水されてるようだ。目的はすべてを曖昧にすることにあるのか?水に流せっていうのか?だったらいっその事、すっきりと全部流しちまえ。
 「シン、例のごとく社会に対する不満か、おいヨシヒコ、早く妹どうにかしてあげんさい。それでついでに俺にも誰か紹介してくれーや。」
 「どうにもならんよ、シン君奥手だし、おまえはシャイ君じゃん。」
 「シンのどこが奥手や、言うてみいや、こいつ結構鬼畜なことしてんじゃん。夏休みにわしが遊園地でバイトしてたらこいつ女連れとって、次に街であったとき「ベーット・イーン。それでバイバーイ。」って、で今日は他の女と待ち合わせです。わしはそれ聞いたとき、持ちあわせの金握り締めて「僕と援助交際なんてどうだい?」って街中の女の子に声掛けたとーなったぞ。」
 「シン、おまえそんなことしてんのか。」 タツヤとヨシヒコがからかってきた。ちきしょう、本当の事だから反論できない。
 「人を乱ちきマシーンのように言うな。しょうがねーだろ、あいつら馬鹿なんだから、ほんと簡単なんだから。」
 「うわっ、人じゃねーぞ、こいつ。」
 「そんな奴に妹はやれん。タツヤ、おまえに任した。」
 「そんな、いいのかい?僕で?」
 こいつら俺で遊んでやがる。くそっ、なんか言い返してやろうと見回したら、灯のついてる公園の広場の真ん中に白いボールがポツンと落ちてるのを見付けた。俺はバイクの止めてある公園の入り口から走ってボールを取りにいった。軟式テニスのボールだった。濡れてるボールを掴んで入り口の方を向き、ゆっくりこっちに向かって来る二人にボール握った手を振って
 「おい、野球やろうぜ、バット探せ。」
 って叫んだ。二人は呆れたように笑いながら何か話すとふたてに別れた。ヨシヒコがすぐに公園の端っこで角材を見付けて、振り回しながら「これでいいだろ」って叫んだ。
 中学のとき野球部にいたタツヤがピッチャーで、テニス部でろくに部活に出なかった俺がバッター、サッカー部のヨシヒコは「どうせ大して飛ばないだろ」ってキャッチャーのかまえをしていたが、タツヤが軽く投げた初球をポコンって俺が結構飛ばしたら「走りゃいいんだろ、でも交替しろよ」ってボールを走って取りにいってくれた。どんどん小さくなっていくヨシヒコがボールに追い付くと、矢のような返球をしてきた。
 「ばか、取れねーだろが。」
 初めのうちはポジション交替で結構広い公園内でおもいきり投げ、おもいきり打ち、おもいきり走って取りにいってた。頭使わなくて原始的に面白かったが、どのくらいそれを繰り返したか解らないが息が切れて、そのうちにダレてきて、ピッチャー軽く投げ、キャッチャーが取るか、バッターがピッチャーに返すように打つのを繰り返した。
 「結構野球ってハードだな、涼しいけど汗かいたよ、これがもし炎天下ならきついんだろな。タツヤ、中学の時、夏休みとかきつくなかったか、野球部練習きつそうだったじゃん。サッカー部弱かったし顧問がやる気なくて楽だったけど、野球部のコーチ体育の小林だったろ、はねっかえりのおっさんの。」
 俺等の中学卒業した奴ならたいがい体育教師の小林のことを忘れないだろう。あいつは教師というより、困ったおっさんだった。頑固というより偏屈で、人はいいが急に怒り散らす腹の出た赤ら顔の酒飲み特有の柿の腐ったような匂いの息を吐く、ハイライトを死ぬほど吸い、黒塗りの古いセダンに好んで乗る、親戚に一人はいる気前はいいが、かならず親族の集まりでトラブルのもとになるはねっかえりのおっさんだった。廊下を歩いていたらいきなり殴られたことを思い出した。メチャクチャだった。ピッチャーをやってるタツヤが急に何かを思い出したようで、球を投げながら話し始めた。
 「俺は忘れもせんで、二年のとき真夏の炎天下のなか他の中学がうちの学校にきて練習試合した時、試合に負けて、そいつらが帰った後も「負けたのは練習不足だから」って小林の奴俺等を休ませんで、二時間ぐらい走り込みだとか、きついノックして、暑い中汗も出なくなって体から塩吹いて、唇がカサカサになるまでいつもよりきつい練習さしたんじゃ、何回も頭の中が真っ白になったよ。」
 この時点で俺とヨシヒコはゲラゲラ笑っていたが、タツヤはボールを投げながらさらに話し続けた。
 「ばか、それで終わりじゃないんじゃ、その後ようやく練習が終わってから、ふらふらしながら「ようやく日陰に行ける」「水が飲める」って思っとったら、グランドに集合さして正座させられて「おまえ等今日の試合はなんじゃ!やる気あるんか・・」って説教が始まって、それも直射日光の中二十分ぐらい、「いっその事殺せ」って感じじゃったよ。そのうち「もう駄目じゃ」って意識が遠退きそうになったとき「じゃが、今日はおまえ等よう頑張った。」ってなんか箱を取りにいったから、ポカリスエットかなんかだろうって期待したんよ、普通そうだろ、喉乾いとるの目に見えとるよ、「ああ、なんか飲める」って思ったら、小林の奴、事もあろうに菓子パン一抱え持ってきやがった。「疲れたろうけえ、甘いもん食べーや。腹すいとるだろ」って、わしゃ、信じられんかったよ。炎天下のなか、グランドに座って脱水症状起こしそうなのに、唇乾いとるのに、パンで。それも甘い奴。食えるかーや、パサパサで飲み物なしで。でも仕方ないけーみんな惨めな思いで黙って食ったよ。」
 ヨシヒコと俺はこれ以上ないぐらい馬鹿笑いした。わははははは、炎天下のなかパン。こんなに可笑しい事がないかってぐらい腹抱えて笑った。
 「まずかったでー、口のなかが乾いとるのに菓子パン。暴力じゃ。」
 タツヤもバカみたいに笑ってた。
 笑うのも一息ついて公園の隅の白いペンキの禿げた朽ちたようなベンチの周りに座り込んで、つきにくい煙草に火をつけて水分の多い空気と煙を交互に吸って、さっきコンビニで買い込んだ甘ったるくあったかい缶コーヒーで体に悪そうな心地よさを堪能し、周りの湿った生暖かい空気と気持ち良くにやけて同化しようとしてたら、一瞬強い光がさしてきて俺を心地よさから冷ましやがった。スポーツカーのヘッドライトのハイビームだった。誰だってそうだろうと思うけど、例えば春のよく晴れた日に縁側で寝そべってとろけるような気分に身を任せ、うたた寝してるときに耳障りな掃除機の音や、道路工事の腹立つ音が急に聞こえてきたら、これ以上に無いくらい嫌な気分になるだろ。ちょうど今の俺はそれだった。「あーっ」ってな気分だ。それを訴え掛けるかようにヨシヒコとタツヤの方を向いたら、二人ともムッとした顔をしてたが、ヨシヒコの方は何かを思い付いたらしく悪魔のような意地悪な顔をしてニヤッて笑うと、
 「土曜の夜です。夜景の見える人気のない公園です。スポーツカーで来ました。さて、連想できることは?はい、亀さんチームのタツヤ君!」
 タツヤはわざとらしくへどもどしながら、 「えーっと、ちょっと待ってくださいよ。なんだろな、俺みたいに一人じゃないような気がするな、えーっと「つがい」だ。」
 「うん、おしい、では熊さんチームのシン君、どうぞ。」
 「ネチョネチョ、ぬとぬと、ぬぷぬぷ。」 「はい、行きすぎです。そこまでのことはないでしょう。」
 「いっけねー。鬼畜な俺だけか。」
 「では、何が起こっているか検証してみましょう。」
 ヨシヒコは濡れた公園のベンチから腰を上げ、それに続いて俺とタツヤも地べたから立ち上がった。ゴアテックスの合羽のズボンの尻についた泥を手で払い、手に付いた泥をズボンで拭いながらニヤけた面してヨシヒコに続く。
 まずは、偵察。タツヤが俺達に日本兵のように敬礼をすると、
 「見事に散ってまいります。」
 と言って、腰を低くして両手を水平にのばして忍者のようにあのスポーツカーに近づいていく。よく見ると車は一台だけじゃなく奥の方に何台か並んでいた。もと来た坂道もガードレール添いに結構車が並んでいた。
 「俺たちゃ、カップルに囲まれてるな。どいつもこいつもいい車乗りやがって、あ、でも、広島なのにマツダの車は少ないね。せっかくヨシヒコの親父が作ってるのに、なんで地元の車を買わないんだろね。」
 「おめーん所もトヨタ乗ってるじゃねーか、そういうことだよ、此所は田舎なんだ。田舎者は一見、地元意識が強そうで、実際は都会に憧れていて、中心部で流行っているみんなが持っているような物にしか目を向けないんだ。流されまいとしがみ付いてるある種の下らない島国根性だよ。日本人が日本に誇りを持ってないのにやっぱり日本人でいるのと同じなんだ。一回うちのオヤジに、「宇品の桟橋に毎日作った車が山ほどあるけど、あれはどこに行くの」って聞いたら、「半分は海にそのまま沈めよる。夜になったらドボンドボンと音がしよるよ。」ってやけくそに言ってたな。海外じゃあマツダの車人気あるんだけどね、日本、とくに地元じゃまるで駄目らしい。」
 「ふーん、なんか結構考えてるんだな。そういえばヨシヒコの父ちゃんは車の何を作ってんの?」
 「あー、うちの親父は、シートメタルワーカー。板金工。ボディーの試作。」
 「かっこいいね、ロジャーダルトリーと同じじゃん。俺、弟子入りしようかな。」   「おまえのオヤジは何やってたけ?タツヤの所は肉屋さんだったよな。昔コロッケ作ってた頃に、ただで揚げたてのコロッケ貰ったことがあったよな。あれは美味かったな。」 「俺のオヤジは何やってんのかな?サラリーマンだよ、雨樋を作ってる会社のサラリーマン。具体的に何をやってるか知らないけど、たぶんつまんねえ事してんだろうな。冴えないもの、なんか自信無さそうだし、とにかくカッコ悪い。家では、会社の人の悪口しか言わなくて、自分が何してるか言わないな。なんか、おろおろと何してるか本人分かって無さそうだしね。男らしさもないな、腹は出てるしヨシヒコの親父みたいにあんなに腕太くないもの。ああ、腹立つから親父の話は止めよう。」

 そうなのだ。俺は親父のことを考えるとムナクソが悪くなる。おそらく会社じゃへーこらしてるに違いなく、家に帰ってしょんぼりと立場無し。机にしがみ付いてるだけでなんか自信が無くてみっともない。それでいて人のことをバカにしてやがる。晩飯時に隣から聞こえてくるヨシヒコ親子の罵り合いを聞いて、「仕方ないなあ、肉体労働者の人は。」って言ったときから、俺は親父に疑問を感じ始めた。あれこれ考え巡らし、それからわかったことは、親父の奴はどうしようのないバカだと、気取ってるだけでユリのような白いぶよぶよした手で何も出来なくて、自分の体裁に執拗し、これといって普通の人と同じで、内心それ以上だと信じて疑わない、楽したがってるが何もせず「あいつ等が悪い」と言い訳ばかりで、ただ生活の向上のみを、いかにして金を楽して手に入れられるかに下らない思案をめぐらすだけのバカだと気付いた。そこから大半の大人が自分のまわりのしか目に入らない、善悪を知ってても何も出来なくただ大きな力に取り込まれてる、自立できないバカの集団だと、小学校の延長で何やら難しそうな顔をして、そりゃ辛いだろうが大したことないことを、泥臭く、もっともらしく演じている、定規が好きな、細かいことを点数稼ぎしてるひ弱な奴らだと、何となく思った。世の中に問題は限りなくあるのに、自らその問題を作ってきたのに知らん振りだ。この雨だってそうだろ、中学までの勉強してれば、一日教育テレビ見てりゃ解るようなことだ。誰が悪くて、どうにかしなけりゃいかんだろうに。何を見てるんだ、その嘘のほほ笑み讃えた腐った目で。幸せそうな振りしやがって。短いスパンでしか考えないで、自分たちのことで精一杯なんだろ。大体これ以上何がいるって言うんだ!
 「おい、シン君よ、また社会に対する不満ね?飽きないのね。心配するなよ。俺等がそのうち、大将じゃんか、大将になったらどうにかしようや。」
 「湿気た面すんなよ。それよりタツヤ、どうなってた。車のなか。」
 「おお、忘れとった、シン見たら、浮かれたことが飛んでしもうた。えーと、とんでもないことになっとるみたいよ。シートが倒れてて、俺が露骨に覗いて、「よっ、」ってあいさつしても気付かんぐらい、こう、なんていうか蠢きもつれとった。テ、テッシュ貸してくれんかの。」
 「おい、シン、どうするよ、黙ってないでなんか言えよ、あーいう奴らも気に入らないんじゃないの?適当に楽しんで虫けらみたいな脳味噌ではいずり回ってる連中だよ。バカなのよ。」
 「おう、わかってるよ。どうするかな、前に夜釣りにいったときに、カップルの車に釣った魚投げ付けて、海水バケツで注いできてぶっかけた事あったな、あんときゃ、面白かったな。雨降ってるから、水掛けてもしょうがないしな、どうするかな。」
 とりあえず話し合った結果、揺らすことにした。ひねりは無いがタツヤに言わせればストレートでキレがあるそうだ。どうでもいいや。俺等3人はまずバイクのエンジンをかけといて、中腰でそろりと車に近付き、車の前側にヨシヒコが、後にタツヤが、俺は側面についてドアを開けて出れないようにしっかり押さえ、車の中を確認して(とんでもないぜ、こいつら)大きな声で「はじめ!」と、柔道か空手の試合の審判の合図のような掛け声を出し、後は思い付く限りのとんでもなく汚く耳を覆いたくなるような、教育的によろしくない言葉を連呼して、無茶苦茶に車を揺らした。車はまるで荒波の小舟のようにグワングワンと揺れて、中の奴らは大慌てで、その時ネクタイ巻いた中年の男と、制服姿のバカ女を車のなかに確認し、破棄すべき対象を見つけ、揺らすだけで物足りなく車を蹴ったり、肘打ちするのを始めた。自慢の車をベコベコにしてやるのだ。だが、タツヤとヨシヒコは俺の変化に気付くと揺らすのを止めて、
 「おい、昔懐かしのスト2じゃないんだから、それに、後で痛くなるよ。」
 って、俺を止めて、ついでに車を三人でボコって蹴飛ばして、それで納得しないで食い下がろうとする俺をタツヤとヨシヒコは単車の方に引っ張っていった。途中まで俺は引っ張られる格好だったが、ある程度離れたら逃げるように3人で走った。
 「まてよ、あいつら、女子高生とおっさんだったんだ。いいだろ、あのくらい。」
 「マジで?だったら止めるんじゃなかった。もうちっと、やりゃよかったな。」
 「止めときんさい。今頃ショックで抜けんようになってたいへんなはずじゃけえ、「おう、締まりが断然いいね。」って、おっさん得した気分で中で昇天。」
 「なにー、そこまでやってたのか?黙って見たほうが面白かったんじゃないのか。」
 「いいじゃないの、とにかくづらかろうぜ、次どこ行くよ?」
 「知らねーよ、とにかく走ろう。」
 「待ってくれーや、スピードが違いすぎるで。」
 「こっからは下り坂だ。原付だって落ちて行きゃー大丈夫。」
 単車に跨がると目の前に広がる街の夜景に飛び込むように一気に下り坂をブレーキ無視で下っていった。風雨を切って加速していく中、夜景だけを見てるとそいつで目の前がいっぱいになり飛んでるような気がした。まぁ、飛んでるといっても特攻機でつっこむ気持ちしか浮かばなかったが。もし俺が突っ込んですべてが跡形も無くなるのなら、喜んで突っ込んでやるよ、間違いない。救ってやるんだ。こんなXXXな世の中は終わるしか道はないんだよ。
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