十九

文字数 4,055文字

 深夜の歌舞伎町。外国人クラブが集まる一角、雑居ビルの三階にある台湾クラブ。酒に酔った日本人の男二人が、まだ入店したての若い台湾人ホステスを、強引にホテルに誘ったことから騒ぎになっていた。
「オ客サン。ウチノ店ハ、ソウ言ウサービスハシテナイネ」
 と店長らしき男が割って入ると、パンチパーマで腕に刺青を入れた男が殴った。店内に女の悲鳴が響き渡る。もう一方の男が、若いホステスの腕を掴んで、外に連れ出そうとしている。
「ナメとんのか、ゴラァ! ワシを誰やと思っとんのか!」
 店長が殴られ、店の従業員が慌てて「ケツ持ち」に連絡する。刺青の男が息をまく。
「ウチの兄貴は、金子組の盃、もろうてんのやぞ!」
 嫌がって腕を振り払おうとする女は、まだ二十歳にもなっていない。正式なルートで入国してきた留学生なのか、密入国してきた女なのかはわからないが、表情は強張り、今にも泣き出しそうである。
 店の「ケツ持ち」がすぐにやってきた。二人の男に対峙したのは、二人の台湾人で、他に一人、男たちの背後で戦況を眺めている男がいた。通常、台湾人オーナーの店は、台湾人マフィアがケツを持つ。外国人の店が日本のヤクザにみかじめ料を払うケースが少なくなっている。台湾人の男二人は、唇を切って血を流している店長と、北京語で、二言三言話すと、日本人の男二人に向かって、北京語で何かを言いながら近づいた。すると、背後にまわっていた男が丁寧な日本語で話しかけた。
「そこの二人、早くこの場から逃げた方がいい、奴らは銃を持ってる。日本のヤクザと違って、気が短い。悪いことは言わん」
 微笑しているようにも見える。年齢は二十台の半ばくらいだろうか。端正な顔立ちで、髪が長く、雑誌のモデルにでもいそうな好男子である。あくまで口調は柔らかく丁寧だが、鋭い刃のような目つきが、爬虫類のようでもあり、落ち着き払った仕草は、普通の若者ではない。その細い目の奥に隠している瞳は、真っ黒な穴のようで、吸い込まれそうでもあった。刺青の男は背筋にぞくっときたが、このまま逃げ帰るわけにも行かず声を荒げた。
「う、うるせえ! こんな奴ら、この俺が相手してやらぁ」
 それと同時に、女の腕を掴んでいた男も女を放し、向き直った。台湾のケツ持ちの一人が北京語でまくしたてる。
「知るか、この中国野郎、何言ってるかわかんねえんだよ、日本語で話せ、コラ!」
 すると、背後にまわっていた男が、クックッと笑った。
「おい、おっさん、俺が通訳してやってるのが聞こえねえのかよ、今すぐ組の事務所にでも帰って、お前んとこの奴らにでも泣きついたらどうだ?」
 すると、刺青の男の顔色が急に青ざめて行くのがわかった。台湾の男たち二人の手に、拳銃が握られていた。
「マジかよ、コイツら、マジかよ」
 台湾の男の一人が刺青の男に銃口を向け、口で「バァン!」と叫ぶと、刺青の男は尻餅をついた。
「おっさんたち、今日のところは見逃してやるからよ、俺が通訳してあげてるうちに、大人しく帰えんな」
 すると、ドア口にいた日本人の男が、慌てて階段を降りて逃げた。それを見て、台湾の男たちが笑う。店内にクックッという人をバカにしたような笑みが響く。一人取り残された刺青の男は、顔面が死んだ魚のように硬直し、大声で詫びを入れながら、後ずさり、階段を逃げ降りていった。通訳をした男は、またクックッと笑い、
「店長、飲み代は、下で仲間がちゃんと徴収してるから心配ない」
「キョウゴクサン、アリガトウ、謝謝!」
 すると、台湾人の男の一人が声をかけた。
「シズカ、我們回家吧!(帰ろうぜ!)」
 日本人の男の名はキョウゴクシズカ。台湾マフィアと組んで仕事をする日本人は少ないが、シズカは北京語と英語が堪能であった。通常、言葉ができたところで、海外のマフィアが日本人を信用して、仲間に迎え入れることはない。しかし、シズカには東京大学時代の親友で、王志明という台湾国籍の男がいる。王は表向きこそ、国費留学する学生であったが、実は台湾黒社会の一員でもあった。その王の親友ということで、例外的に台湾黒社会が、シズカを迎え入れたのである。王は台湾大学から東京大学への留学生で、シズカと同じ分子生物学を研究しに日本にやってきた。母国台湾では「白蓮幇」という台湾黒社会の一員であり、現在は中国本土の黒社会の連中に奪われつつある、日本での勢力をもう一度拡大したいという本国の命を携えていた。そのために、頭脳明晰で北京語が話せ、それでいて、自分たち黒社会に理解のある日本人を探していた。キョウゴクシズカは、王志明がこれまで出会った誰よりも頭が良く、容姿に優れ、二十代の若者とは思えない冷静さと胆力を兼ね備えている。初めはシズカほどの男が、台湾人である自分に興味を示すとは思えなかった。例え友人になれたとしても、黒社会の話など、到底できるはずもないと思っていた。しかし、驚いたことに、シズカの方から、台湾人留学生である王志明に近づいて来たのだった。王志明は、キョウゴクシズカ・・・・・・いや、大学時代の彼の名は「サエキリュウ」と言ったが、彼に話しかけられて、思わず赤面してしまった。存在感が圧倒的だったというか、王志明がこれまでに感じたことのない、人間としての大きさを感じ、同性でありながら、心を奪われてしまいそうであった。王志明も日本語がわかる。台湾では日本語を話し、聞いて理解できることは、それほど珍しいことではない。王志明も祖母が日本語を話すので、自然に覚えてしまった。中国本土と違い、日本人に対する印象も悪くは無く、いつか東京に行ってみたいと思うようになった。東京大学に留学して、分子生物学を学べることも嬉しかったが、日本という国について、より知りたいという思いの方が強かった。そんな矢先に、サエキリュウという男と友達になれたことは、とても幸運だった。リュウは日本に居ながら、独学と短期間の旅行で北京語が話せるようになったという。王はにわかに信じられなかったが、リュウの物事を理解し吸収する早さを知って、納得した。能力は他の東大生に比べても、ずば抜けている。リュウは時に北京語で、時に日本語で、中国や台湾、香港について王に聞いてくる。王志明は、自分が知っている限りのことを、リュウに話して聞かせた。しかし、最後の最後まで、自分が台湾黒社会の一員だということを話せずにいた。親友を失いたくなかった。組織の任務と親友を天秤にかけ、王は自分でも戸惑う中で、親友であるリュウとの関係を優先した。けれども、ある日、リュウがひょんなことから、台湾黒社会について詳しく知りたいと王に言った。リュウが、自分の何か後ろめたいものに気付いたのだろうか? 王志明の心の中には、これ以上隠し続けることへの罪悪感も芽生えていた。
「何故、台湾黒社会ニツイテ、ソンナニ知リタイノ?」
 いつも柔らかな笑顔でいるリュウが、この時だけ、一瞬顔を歪めたのを、王志明は鮮明に覚えている。この時はまだ、リュウはその理由を明かさなかった。
 その理由を聞くことができたのは、大学四年の時、実はリュウは飛び級で、大学を三年で卒業することになっていた。卒業を間近に控えて、あんなに優秀なリュウが大学院にも行かず、就職もせず、自分の進路を決めかねていた時、初めて王志明は、リュウの口から、自分の両親が中国系マフィアに殺害されたという事実を知らされた。王志明は、目の前が真っ暗になり、リュウに合わせる顔が無かった。
「お前のせいじゃない、気にするな。這是命運。(これが運命というものさ)」
 リュウは明らかに王志明を気遣って、これまでずっと話さずにいてくれただけなのだ。王志明は、自分が台湾黒社会の一員であることを、この時初めてリュウに打ち明けた。リュウの表情は、変わらなかった。王志明は、これから自分が組織について話すことで、自分とリュウに危険が及ぶかもしれないと知りつつも、組織について、リュウに全て話した。リュウは真剣な眼差しで王志明を見つめ、この先の自分の人生の目的を告げた。そして、リュウの目的が中国マフィアへの復讐だと言うことを胸の内に隠し、リュウの希望通り、仲間として組織に迎え入れる手はずをとった。いつか組織の仲間の誰かが、リュウによって、復讐の対象として殺されるかもしれない。いや、逆にリュウが仲間の誰かに殺されるかもしれない。けれども、今、この時点では、リュウの思いを踏みにじることなどできない。その時が来たら、その時の感情に任せて決断する。どちら側につくかなんて、今、ここで決められるわけがない。万が一、そんな不幸な決断を迫られる日が来てしまったら、自分は死んで両方の仲間に詫びるつもりだ。この胸の内を誰にも話すわけにはいかないが、王志明は、台湾で生まれ育っても、どこか日本人のような考え方をし始めていることに気がついた。
 年末には王志明と共に台湾に行くことが決まっている。それまでの間、リュウは歌舞伎町の台湾クラブに身を置き、渡航の日を待っている。台湾では主に、日本のヤクザや企業との折衝役を任されることになっている。日本に未練は無い。ただ、唯一の心残りは、兄、ショウとの再会を果たせなかったことである。
「リュウノ兄貴ハドンナ人ダッタ?」
 目を細めて、遠くを見た。
「小学一年だった俺を、いつも守ってくれた、二つ歳上の兄貴さ、名前はタザキショウ。俺の唯一の肉親さ」
「再会デキタノカ?」
 リュウが首を横に振った。
「いいや、祖父を訪ねれば会えることはわかっていたが、兄貴を巻き込みたくなかった」
「イツカキット会エルヨ、リュウト同ジ気持チナラ」
「そうだな」
「東京ノオ母サンニ、サヨナラ言ワナクテダイジョウブカ?」
「ああ、だがな、妹のキョウコと別れるのだけは辛い。兄貴と生き別れた後、アイツだけが、唯一、俺の話し相手だったからな、本当の兄弟ではないが、俺は本当の妹だと思っている」
 リュウは目を瞑り、胸に手をあてた。
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