二十一

文字数 1,445文字

 十二月、羽田空港の出国ロビーに、リュウの姿があった。パスポートの名前は「キョウゴクシズカ」と記されている。
「上手に偽造したものだな」
 王志明が手荷物のバッグを持つ。
「サエキリュウとも、これでおさらばだ」
 と力無く微笑した時、視線の先に、妹のキョウコの姿があった。
「キョウコ、来てくれたのか」
「お兄ちゃん」
 キョウコの目が紅く染まっている。
「お兄ちゃん、どうしても行っちゃうの?」
「母さんを頼むぞ、なあに、一生戻って来ないと言ってるんじゃない、俺の探し物が見つかったら、必ず帰ってくる。そしたら、キョウコと母さんと三人で一緒に暮らそう」
 王志明がその様子を見てもらい泣きしている。
「バカ、お前が泣いてどうするんだ」
「俺ニモ台湾ニ妹ガイル、リュウノ気持チヨクワカル」
 リュウが鼻の頭を掻いた。
「キョウコ、俺が台湾に行くことは誰にも話すな、兄貴にも話すな、兄貴はそれを知ったら、きっと台湾に来ると言うだろう。でも、これから先は、この俺にもどうなるか想像もつかない。お前も、母さんも、そして兄貴も、それに巻き込みたくない。だから、お前から、兄貴が実家に訪ねてきたと知らされた時、死ぬほど兄貴に会いたかったが、お前に俺のことは黙ってろと言ったんだ。以前とは、俺も状況が違う。俺はもう、兄貴を探していればいいだけの人生ではなくなっている。キョウコ、済まない、許してくれ」
 キョウコは頷きもせず、ただ真っ直ぐにリュウの顔を見つめた。まるで二度と会えなくなることを悟ったかのような、悲壮感を湛えて。その表情を、かつてリュウは一度だけ見たことがある。それが、兄であるショウとの別れの時だった。王志明がリュウの肩を叩く。
「我々モ、モット強クナッテ、モウ一度、日本ニ戻ッテ来マショウ!」
 リュウは頷き、最後にもう一度だけキョウコの顔を見て、その後は二度と振り返らなかった。
「必ず戻ってくる、必ず!」
 リュウは心の中で誓った。そして、自分の判断が正しかったのだと、自分に言い聞かせた。思えば、王志明から一緒に台湾に来ないかと誘われたのが夏前の話で、八月にはその意志を台湾本国の組織に伝えた。あっという間のことだった。誰かに相談できるわけでもなく、一人で決断した。王志明と共に台湾に渡り、両親を殺害した犯人を探し出し、罪を償わせる。そして、父の盗まれた油彩画を奪い返すことが、最終目標である。そのためには、台湾黒社会の内部に潜り込み、情報を得て、中国マフィアの実態を知ることが早道だと考えたのだ。台湾マフィアの黒社会も、日本語と北京語を操る、頭脳明晰な日本人を仲間に引き入れたかった思惑と重なり、また王
志明の推薦もあり、リュウは台湾黒社会の一員になることを許された。兄が東京にいて自分を捜していると知ったのは、その後であった。兄に会えば、意思を貫き通す自信が無かった。全力で台湾行きを引き止めるだろうし、台湾黒社会に潜り込むことなど許すはずもない。それに、台湾マフィアに入ることが正式に承認された以上、今更引き返すことなどできない。自分が台湾に渡ったと知れば、兄は台湾まで捜しにくるだろう。そうなれば、兄に危険が及ぶことだってある。それだけは避けたかった。だから、妹のキョウコから連絡をもらった時は、嬉しくて、人目を憚らず、大声で叫んでしまったが、同時に再会できぬ事情を作った自分を呪った。でも、もし兄が自分と同じ立場であったら、きっと同じ判断をしたであろうとリュウは確信している。だから、兄に会わぬことを選んだ。
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