十六

文字数 2,364文字

 またいつもの土曜日がやってくる。早朝の電車の中で、ユキナが思うことはショウのことである。日本橋でショウの家族の秘密を知り、以前よりも関係が深まったと言えば、そうかもしれないが、ショウにとっては特別なことではないのかと、思ったりもする。ショウとの関係を、はっきりさせたいという気持ちはある。けれども、悪い方向にはっきりさせるくらいなら、このままの方がいい。ユキナらしくないと言われれば、その通りだが、何故かショウのことになると、急に臆病風に吹かれてしまう。ショウに振られても、次があるさと、十代のような捨て身にはなれない自分がいる。一か八か目を瞑って気持ちを伝えるほど、この恋は安いものではない。ユキナはそんな自分が恐かった。歌舞伎町「ライムスター」のニッタジュンコについて、ショウは笑い飛ばしたが、ユキナの気持ちが完全に晴れたわけではなかった。日本橋で、その女について問いただそうと、意気込んではいたが、あの話の展開では、ショウの気持ちを壊してしまう。口にできないのは当然だった。ショウが言うように、キャバクラの女に対抗心を剥き出しにする必要もなかったが、女の直感と言うか、気になるのである。
 岩本町の駅に着き、地上へのエスカレーターに乗っている時、急に後ろから声をかけられた。アキラだった。目を輝かせ、走って来たのだろうか、肩で息をしている。
「ホームの向こうから、ユキナさんの姿が見えたから、走って」
「何だ、お前も都営新宿線だったのか? 家はどこだ?」
「東大島です」
「そうか、アタシとは反対方向だね、アタシは調布だから」
「ユキナさんって、調布に住んでたんですね」
 アキラが手に持っていた花束をユキナに渡した。
「いつも、あんがとな、それで、お前、午後までいつもどうしてんの?」
「はい、僕は秋葉原が大好きですから、電気街でパソコン見たり、ゲームやったりしながら、何時間だって潰せますよ、一日中、秋葉原にいたって平気です」
 ユキナは指で頭を掻いた。
「やっぱ、お前はオタクか?」
 アキラは爽やかな笑顔に頬を少し紅く染めている。
「やっぱり、わかりますか? ユキナさんはオタク、嫌いですか?」
 ユキナの頭の中に、できの悪い弟、ヒデユキの顔が思い浮かんだ。
「別に、オタクは嫌いじゃないよ、アタシもゲームとかやるし」
 アキラが嬉しそうに目を大きく広げた。
「いつも朝から待ってくれてんだろ? 今日はお礼にコーヒー一杯、ご馳走してやんけど、行くか?」
「え! 本当に一緒にいいんですか! 信じられない」
 大喜びする弟のようなアキラを見て、満更でもなかった。
「お前、名前、アキラって言ったっけ?」
 アキラが頷いた。
「ウチにも、アキラと同い年くらいの弟がいてな、コイツが毎日、ゲームばかりやってるんよ」
「ユキナさんに弟さんがいるんですね、僕は一人っ子だから羨ましいな、ユキナさんみたいな姉がいたらって、思う時あります」
「アキラ、お前、大学生か?」
「はい、早稲田の二年生です」
「なんだ、ちょっとした秀才じゃねえかよ、毎週土曜日に地下アイドルなんか観に来てて大丈夫なのか?」
 アキラは嬉しそうに微笑していた。二人は駅前のカフェに入り、コーヒーを飲みながら雑談を交わし、二十分程したところで、ユキナは時計に目をやった。
「アキラ、悪いな、これからリハーサルとか色々準備があるんだ、午後会場でまた会おうぜ!」
 アキラは頷きながらも、何か言いたそうに口元を震わせている。
「一つ聞いてもいいですか?」
「いいよ、何?」
「今、付き合ってる人、いますか?」
 ユキナはしばらく黙ったまま、通りを行く人の流れを見ていたが、やがて、アキラの目を見て答えた。
「悪いな、付き合ってはいないが、好きな人はいる」
 アキラの表情が一瞬歪んだが、すぐに笑顔に戻した。
「なら、まだ僕にもチャンスがあるってことですよね!」
 ユキナは「いや・・・・・・」と言いかけてやめた。
「じゃあな、アキラ、また午後に会おう!」
 店を出た。ユキナは自分のことがよくわからなくなってきた。確かに事務所からは、ファンの夢を壊すなと強く言われている。彼氏がいるなんて御法度、例えいたとしても、口にしてはならないことだった。けれども、そういう事務所的なルールとは関係ない感情が、ユキナに働いたのも事実だった。弟のようなアキラを傷つけたくないという思いがどこかにあった。しかし、ユキナは嘘はついていない。ショウとは良い関係ではあるが、恋人同士と呼ぶ自信が無かった。ショウはミステリアスで憧れのような存在であり、アキラには母性をくすぐるような可愛さがある。ショウという存在を、もし知らなかったとしたら、またはショウに完全に振られていたとしたら、ユキナは恐らくアキラと付き合っていたかもしれない。けれども、今、ユキナの心を埋め尽くしているのは間違いなくショウである。ショウは、アキラにとっては大き過ぎる壁であるはずだ。アキラがショウの存在を知っていて、それでもユキナにアプローチしてくるかどうかはわからない。ユキナは自分でもずるい女だとわかっているが、学生時代のように、ライバルがショウだと知って自然に諦めていった男たちのように、アキラにも自然に身を引いてくれることを、心のどこかで望んでいた。ずるいのは私。振るのも振られるのも嫌。優柔不断だと言われても仕方がない。アイドルを続けて行くのも、そろそろ限界なのかな、ユキナは思った。アイドルだけではなく、芸能界に入って行くには、自分は弱過ぎる。この先出会うだろう、多くのファンの思いを、自分を偽って受け流すことも、受け止めることもできそうにない。ただ、女優になることを諦め、ショウにも捨てられることにでもなったら、自分はこの世に立っていられるだろうか? ユキナの心は震えた。
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