十三

文字数 1,946文字

 ユキナから電話があったのは、ショウが盛岡から帰って、二、三日後のことだった。気付けば七月も半ばになっていた。ユキナの声を聞いて始めて、劇団の公演が昨日終わっていたことに気付いた。
「おい、ショウ、お前、一体どこに行ってたんだよ」
「スマン、盛岡に行ってた」
「は? 盛岡だ? 何だよ、実家にでも帰ってたのか?」
「そうだ、スマン、お前の演劇のこと、すっかり忘れていた」
「ちぇ、どうせ、アタシのことなんて気にしてねぇんだろ、観に来てくれるなんて、こっちも期待してねぇからさ、別にいいけどよ」
 ショウが苦笑した。
「そんなつもりじゃなかった。ちゃんと観に行くつもりだったんだ。この埋め合わせは必ずする」
「わかったよ、だけど、ショウがチケット三十枚買った分、誰も来やしねえから、空席目立っちゃって、正直、寒かったぞ。ところで実家に急ぎの用でもあったのか?」
「まあな、盛岡のジイさんの調子が悪くてな、ちょっと」
「そ、そうか、なら仕方ねぇな、ジイさんって、ショウの両親の代わりに育ててくれた大切な人なんだろ?」
「ああ、今回は何とか無事だった」
「ところで、ショウ、今、お前、暇か?」
「ああ、そうだな、暇かと言われれば、そこまで暇じゃないが、時間を作れと言われれば作れなくもない」
「何だよ、それ、まあ、いい、今からそっちに行ってもいいか?」
「いいぞ、別に」
「そっか、じゃあ、今から行く、こっちは演劇終わって、ぱあっと発散したい気分なんだよ、おい、ショウ、この前約束した通り、エロいことさせてやってもいいぞ」
 ユキナが携帯電話の向こうで笑った。
「バァーカ、お前、もっと自分を大事にしろよ、つべこべ言わずに、来たかったら素直に来い」
「わかったよ、じゃあな、すぐ行く!」
 ユキナが慌てて通話を切った。

 一時間後、ユキナが近くのスーパーマーケットで、酒とつまみを買い込んでやってきた。パンティーが見えるほど短いミニスカートを履き、ブラジャーの紐がタンクトップからはみ出ている。
「いやあ、重かったぜ」
「お前、そんな透けて見えるような服着て、街歩いてきたのか?」
「あン? ダメか? 途中でよ、両手塞がってるのをいいことに、階段でパンツ覗き見しようとしたオヤジがいてよ、睨んでやったぜ。」
「そりゃあ、そんな格好してたら、男なら誰でも見るぜ、目のやり場に俺でも困る」
「まずは飯食ってからのお楽しみだよ、キッチン借りるぜ!」
「ああ、好きにしろ」
 ユキナは鼻歌を鳴らしながら、自分で買ってきた食材を使って料理を作り始めた。ユキナはガサツな態度や乱暴な言葉遣いに似合わず、料理の腕前は一級品である。アルバイト先の喫茶店で日頃から作っているということもあるが、元々美的センスが良い。料理に限らず、アクセサリーや小物、服のセンスも非凡なものがある。ショウは学生の頃から気がついていた。
「お待たせ、今日は赤ワインと、チキンのトマトソース煮だ」
「お、凄いな、前々から感心してるんだが、ユキナ、お前、本当に料理上手だな」
「だろ、イイ嫁になると思うだろ? お買い得だよ、ホント」
「自分で言うな」
 ショウが苦笑した。食事が終わった後、ショウが公演を観に来なかった詫びにと、食器の後片付けを買って出た。キッチンに立っている間、ユキナはショウのベッドに横たわっていたが、ふと、デスクの上に転がっていた一枚の名刺を見つけた。
「ライムスター、ニッタジュンコ?」
 ユキナは唇を噛んだ。ショウに限って、そんなことがある筈が無い。いつものユキナであれば、ショウを問い詰めて、白黒はっきりさせていたところであるが、今日のユキナは、ショウが自分の演劇を観に来てくれなかったという思いを、どこか引きずっていたのかもしれない。ショウに対する怒りよりも、自分に対する自信の無さが、先に心を埋め尽くしてしまった。膝から下の力が抜け、頭の中が真っ白になった。
「マジかよ・・・・・・ショウ」
 思わず呟いた。自分がこんな格好をして、喜んでいるのが急に惨めになり、今すぐ消えてしまいたかった。一言ショウに尋ねればいいだけなのに、もはやそんな気力も無い。ユキナは何も言わずにヒールを履き、部屋の扉を乱暴に閉め、廊下を駆け出した。ショウの呼び止める声が微かに聞こえたが、もう、どうにも自分を抑えることができなかった。今回たまたま見つけてしまった女の名刺のせいというわけではない。これまでに積もり積もった思いのはけ口が塞がれただけではなく、凹まされ、ユキナのプライドが傷ついたのだった。恐らく、こんなことがあった時でさえ、ショウは自分から電話をかけてくることはないだろう。悔しさと、情けないほど焦がれる気持ちをコントロールできずにいる。ユキナは部屋に篭り、ベッドの上で一人、枕に顔を埋めた。
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